夕張物語 その8    「私の夕張」

yubari_16250b.jpg









「夕張鉄道」ならともかく、「私の夕張」ってタイトルからして何だよ、立ち読みに開いてみればまた仰天の中身。

1970年代初頭の夕張鉄道と蒸気時代の大夕張鉄道(後の三菱石炭鉱業鉄道線)を捉えた鉄道写真集なのだが、

車両そのものよりも乗客や働く鉄道員のスナップに多くのページが割かれており、特に乗客は通学女子高生のスナップばかりが満載なのだ。

「女子高生図鑑」とも揶揄され、1981年秋の発刊当時は仲間内でもキワモノ扱いされていたのだが、

風太郎は妙に心に引っ掛かるものがあって、3,200円と当時の財力では厳しくも思い切って買ったら、「そんなに見たいのか。」とまた変人扱い。

(只見・会津・日中各線撮り放題の「会津磐梯ミニ周遊券」が学割4千円台で買えた時代だ)








yubari_16255b.jpg

yubari_16251b.jpg

yubari_16254b.jpg






夕張鉄道の自社発注機や大夕張の払下げ96、鹿ノ谷機関区の威容など最末期の炭鉱鉄道の記録として貴重なのは言うまでもないが、

軒を連ねる炭鉱住宅、笑う子供達、学生たちのざわめき、機関区員の作業服の石炭の匂いまで伝わって来る。

それはヤマがまだ生きていた時代の、混沌とした沿線生活のエネルギー。


「女子高生」については決して趣味嗜好の産物ではない事は、後に現地に行ってみて分かった。

人口密度が都会並みに高く、基本的に徒歩圏内で日常生活は充足出来たヤマの暮らしにあって、

「汽車」に乗るのは通学の高校生ばかりで、こめかみに剃りの入った男子は遠慮するなら、写るのは女子高生ONLYなのだ。

(一応男子も若干写っているから風太郎より度胸がある。)







yubari_16258b.jpg

yubari_16256b.jpg







作者の方は地元では無いのだが本当に根を詰めてこの夕張の地に通ったらしく、そのカメラワークは丁寧に大胆にそして温かくヤマの息遣いを伝える。

「その土地やそこに住む人々を愛し、なつかしい想いで語れる場所もふるさとならば、夕張は正に私のふるさとである。」

という後書きは作者がこの写真集に込めた想いだろうし、「私の夕張」のタイトルこそむしろ相応しいように思うのだ。

夕張鉄道最終日、去りゆく列車を見送る少女のラストカットなんぞは鉄道写真を見て初めて泣いた一枚かもしれない。


この写真集から教えられたのは、ある土地に拘り、愛し、鉄道ばかりでなく沿線の風土や生活まで包括した「その土地の物語」を紡ぐ写真の豊かさだ。

後に風太郎が総花的な全国行脚を縮小し、蒲原とか五能線とか特定の線区の撮り込みに拘り始めたのは、

後追いながら「私の◯◯」が欲しくなったからに他ならない。


写真遍歴に出会った中で忘れ難く、撮るべき写真の方向性をも示してくれた一冊。






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
[ 2017/06/27 21:50 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(8)

夕張物語 その7    双子のリリーズ

yubari_16057take1b.jpg





清水沢は知る人ぞ知る1970年代後半の双子アイドルデュオ「ザ・リリーズ」の出身地である。

双子アイドルと言えば高度成長期に「ザ・ピーナッツ」が一世を風靡し、「モスラの歌」とかは子供心にも耳から離れないところがあったもの。

しかしその引退が取り沙汰されるや後継をどうするかは業界の一大関心事となり、スカウト合戦のボルテージも上がりまくったらしく。

何しろ「一卵性双生児でアイドル年齢かつルックス良しの姉妹」という極めて高いハードルがあっただけに、

この片田舎の炭鉱町に育った朴訥な中学生姉妹が入り込む余地もあったと言う事だろう。


「リリーズ」の名前は北海道の花の代表格、鈴蘭に由来する。全国区人気を大いに期待されていた割にはご当地アイドル風なのも面白い。

彼女たちの実家は「燕電器商会」という清水沢駅の真ん前にあった電器屋さんで、駅に展示された古い写真にも写っている。

画面左端、「東芝」「ツバメ商会」の看板が掛かる家がそれだ。


1975年、デビュー2曲目の「好きよキャプテン」がヒット、一躍シンデレラガールとなる。

当時の映像を見れば振りが合ってないぞとか、左の姉の視線が時々泳ぐのは脇でADが広げる歌詞のカンペ見てるだろとか、

突っ込みどころは満載なのだが、何せ当時14歳、素朴な清純派路線としてこれはこれで良かったのだろう。














蒸気天国だったかつての清水沢だ。彼女たちはひっきりなしの汽笛やドラフト、運炭列車の轟音を子守唄に育ったに違いない。

しかし大夕張鉄道(後の三菱石炭鉱業鉄道線)は1973年には閉山に伴い路線を大きく縮小、お隣の夕張鉄道も同年に全廃となる。

もはや覆い隠せぬ石炭産業の黄昏は凄まじい人口流出を生み、清水沢市街の意気消沈も推して知るべしだが、

全国放送のテレビから流れる「好きよ、好きよ、」の彼女たちの歌声が地元に勇気を与えたであろう事は想像に難くない。

そういう時代である。


しかしまだ幼い彼女たちの一生懸命さとはうらはらに、時代が求めるアイドル像は大きく変わりつつあったのかも知れぬ。

なかなかその後のヒットに恵まれぬまま「ピンクレディ」という怪物デュオが現れるに及んで、この世界の壁は厚かったように思える。



清水沢も寂しくなった。シャッター通りは早朝の撮影である事を割り引いても。

「燕電器商会」はその後廃業したと聞くが新旧の写真を比較して場所を割り出せば、

下の写真の奥、ひとつだけ妻面が道路に向いた青屋根の「大黒屋旅館」は上の写真と変わらないようだから、その2軒手前あたりか。


「ザ・リリーズ」の二人は今もライブを中心に活動中で、相応のお歳もあって「キャプテン」もこれはド貫録の歌いっぷりだ。

聞きたい人見たい人はそれらしいのを探してみるべし。

夕張市の財政破綻を受けて故郷の支援ボランティアとしても活躍していると聞く。






yubari_16055b.jpg





HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/25 21:01 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

夕張物語 その6    清水沢

yubari_16052take1b.jpg

   石勝線 夕張支線  清水沢    2017年6月






夕張線と接続した三菱石炭鉱業鉄道線が向かう「南部」と呼ばれた地域は、シューパロ湖のほとりに北部地域に負けぬ炭鉱住宅街を形成していた。

しかしその狭隘な地形は繁華街まで形成するには不都合だったのか、地域の商業的中心はこの清水沢駅周辺だったようだ。

もちろん南部から運び出される石炭列車を国鉄に受け渡す場所でもあったから、広大なヤードを備えた要衝でもあった。

今の清水沢と往時のそれを見比べれば、夢の跡の念を禁じ得ない。






三菱石炭鉱業 清水沢3 198402 take1b

   夕張線 清水沢   1984年






産炭と共に始まった夕張線の歴史を秘めた清水沢駅は今年開業120周年を迎えるとの事、駅舎内では写真展が開かれていた。






yubari_15992b.jpg

yubari_16051b.jpg

yubari_16058b.jpg






駅前旅館、パチンコ屋、スポーツ用品、文房具屋、そして盛大な夏祭り。往時の清水沢の雑踏が写真から響いて来るようだ。

そしてかつてこの駅を利用した人々から寄せられたメッセージがまた沁みるのだ。


「清水沢の町がちょっぴり都会のような。ちよっぴり自由があったような。」


都会人には想像が難しい閉鎖社会にあって、清水沢は自由な都会への憧れを掻き立てる場所だったのかもしれない。

若さ故に故郷を捨てたけれど、歳月を経て心は此処に帰ると。






yubari_16049b.jpg



三菱石炭鉱業 清水沢改札口と駅員1 1984年2月 日 16bitAdobeRGB原版 take1b


清水沢駅6 1984 55mmF28 原版take1b

   夕張線 清水沢    1984年





HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村


[ 2017/06/23 22:41 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(2)

夕張物語 その5    花よりメロン

hokkaido_16175b.jpg








ツレは典型的な「花より団子」志向なので、ご当地名物を食べさせないとご機嫌が悪く。


「夕張はメロンだけか。」と夕張市PR映像は問うが、メロンだけじゃないにしても全国区ブランドがある事は夕張の救いである事に疑いはない。

風太郎が子供の頃、メロンといえば高級果実の代表格で滅多に口に入るものではなく、

ごく稀に給食とかに出ようものならいかに極薄までスプーンを皮に食い込ませるか競った程であり、えい面倒と皮ごと食った奴さえ居る位だ。

「メロン・コンプレックス」を持つ最後の世代かもしれない。(もう少し上の世代は「バナナ・コンプレックス」。)


6月といえば夕張メロンの初物である。

良玉、優玉、秀玉と順に糖度が上がっていき、表面のネットがきれいに張られているか否かなどで大きく値段も変わるそうだが、

「良玉」でさえ頬が落ちる程甘い。

まだ高い時期だそうだが、北海道弁丸出しのおじさんが売るのは良玉で3千円位、

寅さん風なら「紅白粉塗った女店員から買ったら1万円は下らぬ品物だ、えい持ってけドロボー!」かと思うから、

メロン・コンプレックスが消滅するまで食い尽くすべし。





hokkaido_16185b.jpg








沼ノ沢駅舎に併設された「レストランおーやま」。

駅構内店舗といえば儲かりまくると相場が決まっているが、なにせ「沼ノ沢」だからねえ。

ところがオーナーシェフは夕張出身ながら帝国ホテルで長年修行し、2020年のオリンピックメニューに参画したかった、残念、という本格派。

地元産の長芋を含ませた名物の「長芋ハンバーグ」は田舎らしからぬ味だ。

観光ガイドブックにも結構載ってる有名店だし、地元のコミュニティセンター機能も果たしているようだが、オーナーの表情が曇るのは「2年後」の事。

夕張支線の2年後の廃止、沼ノ沢駅の終焉が確定的な今、店の未来は。

二本の細いレールは様々な人生を繋いでそこに在る。







hokkaido_16190b.jpg






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/21 22:39 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(8)

夕張物語 その4    幸福の黄色いハンカチ想いでひろば②

yubari_15943take1b.jpg







今回夕張に来た目的は、実は「自分の写真を見る」事にあって。


昨夏の写真展の後、夕張市の関係者からオファーがあって、案内ハガキの写真をリニューアルする

「ハンカチひろば」のキービジュアルにしたいとの事。

確かに夕張で撮った写真だし、当時の写真は何よりその土地に撮らせてもらったと思っているから、

ささやかでも地元のお役に立てるなら異論のあろうはずもない。ましてや夕張なら。

しかし映画を紹介する場所でしょ、あの写真は映画とは何の脈絡も無いのですがと疑問を呈したら、

そこには映画のストーリーを超えた想いがあるようで。







yubari_15944b.jpg








勇作と光枝の物語は終わらず、その幸せ探しは今も続くならば。

人の数だけ違う形の幸せが、実はごく身近なところにもあるはず。

この夕張の地で幸せが足りぬと嘆くより、今一度すぐ隣にあるかも知れぬONLY ONEの幸せについて考える場にしたいのだと。

市民から募集したそれぞれの幸せの瞬間を捉えた膨大な写真群と、炭鉱全盛期の夕張の記憶を伝える写真を重ね合わせた空間に、

夕張が若くて元気だった頃の一瞬を掲げたい、と聞いてようやくその意図を理解する。


2.5m×1.8mまで大伸ばしすると聞いて仰天するし、気持ち後ピンがいよいよバレるじゃないか、

35mm原版をD800で複写したデータをもってしてもピクセル補完必至、

シャドウからハイライトまでトーンを出すのが難しいぞ、写真展のハガキは無闇にカチカチだったしと心配は尽きぬところで、

念入りに調整した画像データを送ったものの、現物を見るまで気が気ではなかったのだが。








yubari_15923take1b.jpg







トーンがうまく出た凄くいいプリントになっていると思う。


しかし想定外だったのはリニューアルオープン後、地元夕張関係者のSNSで、

この写真のキャプションに表示した撮影地点について疑義が沸き上がった事。

風太郎はこの写真は朝の登校風景であり、夕張線との接続駅だった「清水沢」と固く思い込んでいて、

昨夏の写真展もそうだが「清水沢」と堂々と表記していたのだが、「これが清水沢なら背後に跨線橋があるはず」。

さらにはスハニ6の窓下にある「清水沢⇔南大夕張」のサボはその矢印方向と駅の所在方向が一致していた、

到着直後の列車の先頭に立つ機関車は南大夕張側に付いている、つまりこれは明らかに南大夕張行列車である、

と詳細な画像解析まで入ればもう地元の情報力には敵いません。


訂正いたします。この写真は終点「南大夕張」でした。女子高生は「下校中」だったんですね。

それは改めてネガの並びを確認すれば一目瞭然で、33年前とはいえ、げに思い込みとは恐ろしいもの。

あまりみっともないので修正を依頼しなければ。







yubari_15926take1b.jpg







それはともかく。

「幸せの瞬間」の一枚一枚は皆温かい。撮影者と被写体との幸せな関係性があってこそ生まれる写真は、

その人以外の誰にも撮れない、その人だけの傑作なのだ。

一枚だけデカイのが恐縮な位だが、この土地に今も生きる人、初めて訪れる人、

それぞれの心の奥の幸せを呼び覚ます場所になっているのなら、そして夕張再生へ祈りも感じていただけるなら、

ささやかながら関わりを持てた者として嬉しい。








yubari_15933take1b.jpg





HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/19 19:48 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(12)

夕張物語 その3    幸福の黄色いハンカチ想いでひろば①

yubari_15951take1b.jpg






映画「幸福の黄色いハンカチ」の超有名なラストシーン、高倉健演じる勇作が帰って来る炭鉱長屋を使った記念館。

普通映画の公開から月日が経つにつれ関連施設も忘れられていくものだが、最近むしろ来場者が増えているそうな。

今や夕張最大の観光スポットである。

風太郎は8年位前に一度来た事があるのだが、夕張市の財政破綻の余波もあってか老朽化が目立ち、

劇中使われた赤いファミリアも埃を被った状態だった。

しかし10年間の再建努力が評価されてか国から補助金も出たとの事で、今春全面的にリニューアルオープンした。

ご覧の通り「長屋」は外観のみで、内部はブチ抜かれて大きな展示スペースになっている。







yubari_15954b.jpg






ここは夕張線の鹿ノ谷駅から少し清水沢寄りの丘の上、崖っぷちにある。

映画の撮影当時、本物の炭鉱長屋が建っていて人も住んでおり、外観の撮影はそのまま使われた。

崖っぷちの理由は、斜面の下から仰角を付けたアングルで黄色いハンカチを青空に抜きたかったからとの事。

実際高倉健が倍賞千恵子に鞄を渡すシーンでは下から仰角が付いている。

映画の完成後、住民も無人となり、モニュメントとして残そうという機運は盛り上がったが、

老朽化は著しく、結局元のイメージを残して建替えたものである。






yubari_15936take1b.jpg





もともとこの周辺は本当に炭鉱長屋がびっしりと軒を連ねていたらしく。

今は段々に整地された跡地が草生して僅かにその記憶を伝えるばかりである。

この集落に「床屋」があったというのも想像出来ないが、その建物が改装されカフェスペースとなっている。

「高倉健が愛したブレンド」というコーヒーを味わいつつ、撮影当時を知るおばちゃんの話を聞けば、

この炭鉱長屋の住人が高倉健と親しくなり、何故あなたは出番待ちの間さえ笑わないのかと聞いたそうな。

答えは「笑ったら、癖になるでしょ。」

素顔は陽気で快活な人だったらしいが、既にどっぷりと役作りに入っていたのだろうか。







yubari_16096b.jpg

yubari_15941b.jpg






ここを訪れた来場者がそれぞれの感想と願い事を貼りつけた一面の「黄色い部屋」は健在である。

勇作と光枝の家の再現は炭鉱長屋の中はこんなだったかと興味深いが、山田洋次監督のインタビュー映像が流されている。


「ひろば」のリニューアルに寄せて。


勇作が光枝の許に帰って映画は終わるけれども、二人の幸せ探しの旅はむしろそこから始まる。

そういう意味で物語はまだ終わっていない。

幸せのかたちはそれぞれに違う。二人にとっての幸せと共に今一度此処で想って欲しい、あなたらしい幸せの在りかを。






yubari_15950take1b.jpg






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/17 20:14 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

夕張物語 その2    夕張は、倒れたままか。

yubari_16012take1b.jpg

yubari_16032take1b.jpg

   夕張市本町   2016年7月







その背後にあったものは黒いダイヤの歴史が育てた成金的な退廃や、明日の命も知れぬ危険な坑内作業の日々にあって、

「宵越しの金は持たねえ」と刹那の浪費を厭わぬ炭鉱気質だったかもしれないが。

かつてエスカレーター付のデパートが夕張っ子の自慢だったという夕張本町中心部は、

冷え冷えとした廃墟が連なって時間を停めている。







yubari_16044take1b.jpg

yubari_15996b.jpg






 
最盛期に12万の人口を抱えた炭都は閉山に伴う急激な人口減少に直面し、

乾坤一擲の逆転策として観光都市化に向けた巨大投資に賭ける事になる。

しかし場違いに瀟洒なリゾートホテルは、それ一点のみで垢抜けたリゾートを演出出来るほど甘くは無かったし、

その前に立つチャペル風の夕張駅舎は徒歩0分を目指して線路を短縮しここに移転したのだろうが、

中心市街地から見ればますます利用しづらい鉄道に変えた。

ジェットコースターやら豪華水上レストランやらこの酷寒の地にプールやら、贅を尽くしたテーマパークは瞬く間に客が引き、

その廃墟は原野に還りつつあるようにも見える。







yubari_16028b.jpg

yubari_15979take1b.jpg
 
   石勝線夕張支線 鹿ノ谷   2017年6月






結果的に年間財政規模の8倍にも及ぶ353億円の財政赤字を抱え、全国唯一の財政再生団体として

世間の耳目に晒されたのはある種の「見せしめ」だったかもしれない。

しかしそれは野放図な一自治体の放漫行政の報いと言うより、疲弊するこの国の「地方」の、

何処にでも在り得る縮図のように思えてならないのだ。


破綻から10年、誰もやり手がいなかった夕張市長に東京都職員の身分を投げうち30歳で就任した青年をリーダーとして、

夕張は再建に奮闘している。

市役所職員定数はもちろん住民サービスの極端な削減に町を見限る市民も多かったが、

100億円以上の負債圧縮に成功した実績を認められ、新規投資を含め全てを封じられたような縛りが解かれつつある。

極めて低廉な公営住宅は新住民を呼び、石炭層の上に豊富に埋蔵されたメタンガスの採掘は、新たな産業として実用化を目指す。


夕張に夜明けはやって来るのか。

10年目の節目に最近作られた夕張市のPR映像。

「夕張は、倒れたままか。」で始まるそれは、浮ついた自治体PRとは一線を画して重く、力強い。














HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/15 20:03 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(8)

夕張物語 その1    シホロカベツの森

yubari_16085take1b.jpg

   石勝線夕張支線 清水沢   2017年6月







夕張にやって来ました。


どうしてもモノトーンの風景を連想されてしまうのが炭都の宿命ではあるが。

分厚い炭層と共に深い原生林を抱いたシホロカベツ川の谷あいに夕張はある。

滴るような新緑。北海道色も映える季節になった。


今回はツレも一緒なので鉄系の写真はマイルドに抑えております。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/13 19:52 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

凝視

蒲原鉄道 大蒲原  55mm原版_7027take1b

   蒲原鉄道  大蒲原    1984年







子供はいつだって奇特なものに正直だ。

雨が初雪に変わりそうな底冷えの日に。









HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/11 18:01 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(6)

失うもの 得るもの

minamiurawa_15245take1b.jpg

   東北本線 南浦和   2017年3月








強力な手振れ補正付超望遠に加え、トリミング自由自在かつ超高感度上等なデジタル一眼の登場は、鉄道の写真表現に一種の革命をもたらしたと思う。

撮るものが無くなったとお嘆きは同感ながら、失われるものと得るものはどこかでバランスしていると勇気を奮わなければ。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/09 22:02 ] 最近の旅 関東 | TB(0) | CM(6)

通票よし

kominato20161126_12165take1b.jpg

   小湊鉄道 里見    2016年








夜のしじまに確認の声が沁みてゆく。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/07 21:43 ] 小湊鉄道・いすみ鉄道 | TB(0) | CM(2)

色彩情報破棄

iiyama20130217_196take1b.jpg

   飯山線 西大滝   2013年






カラー⇔モノクロを行ったり来たりがデジタルの妙ながら。

色彩情報破棄をクリックすれば、そこでマウスが止まって見入ってしまったり。







HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/06 00:11 ] 最近の旅 中部甲信越 | TB(0) | CM(4)

壊れないカメラを

DSCF0415コッタロb








ニコンの経営不振が伝えられればユーザーとしては心配になる所だ。DLシリーズとか買う買わないはともかく触ってみたかったなー。

風太郎はこのメーカーと関わるようになってせいぜい6年位だから赫々たるユーザー歴を誇る人の足許にも及ばないながら、

相当に使い込んでる事に関しては人後に落ちないと思うからささやかな応援を込めて提灯記事を書く。

ニコンサロンで写真展をやらせてもらった恩義もあるしね。


風太郎の所有するニコン機材は現用本務機がD800E、それ以前に使っていたのがD700なのだが、両者に共通するのはとにかく頑丈な事だ。

先日の北海道の帰り道、バックアップ用に持ち歩いているD700を空港の石貼りの床に1m位の高さから落下させれば。

「着地」の瞬間、火打石みたいに火花が散るを見れば、完全にイッたと天を仰いだのだが。

昔の真鍮ボディならベッコリだろうが、マグネシウム合金のボディはわずかに傷が付いた程度で変形等は見当たらぬ。恐る恐るスイッチを入れれば特段の異常もなく。

それでも心配だからニコンのSSに持ち込んで点検してもらったらこれも異常なしと。

「レンズが付いていたらマウントがイッた可能性があるが、ボディだけならその位平気ですよぉ。」と事もなげに語るSSのおっちゃんの顔をまじまじと見てしまった。


雨の日も風の日も走る鉄道を被写体とする以上、全天候型カメラマンでありたいと風太郎は思っているし、暑い日寒い日、夜討ち朝駆け上等である。

もちろん相棒たるカメラにも付き合ってもらわなきゃ、という事でカメラにも常に過酷な環境を与えている。

雨中の撮影でカメラに付いた水滴がボチャボチャ滴り落ちるを見れば、これって「水没」と同じじゃね、と思うけれど止めない。

ペンタや軍艦部に積雪10mm位になっても動じぬ。北海道のようなパウダースノーならまだ良いが、

会津新潟辺りの湿った雪はカメラの熱もあってだんだんシャーベット状に溶け出す。でもここで踏み止まってこそだ。


ここ数年で体験した最寒記録は音威子府での-29℃。当時使っていたペンタの645は絞り機構が凍結したのか露出はバラバラ、

最後はキュンと鳴いて巻き上げも停まり、暖かいところで「蘇生」させるまで動かなかった。そういう寒さである。

ニコンのデジタルに替えてからだと釧路川沿いの夜明けの-23℃か。

この寒さになると呼気に含まれる水分が一瞬で霜になってカメラに凍りつく。D700時代だが証拠写真。

バッテリー位はレリーズ直前までポケットで温めたが、これがほんとの「フリーズ状態」だ。

カメラのダウンジャケットのような防寒グッズも見かけるが、あれは三脚にどっかり据えたまま動かず撮り続けるようなスタイルでない限り

邪魔にしかならないように思えて不採用。カメラを甘やかしちゃいかん。


まあでもこのようなカメラの扱いは限界ギリギリというか、相当ヤバイ線だと思うから良い子は決してマネをしないように。








DSCF0394b.jpg










というような所業を6年も続けてD700と800は一度も故障が無いばかりか、どんな環境でも完璧に動作した。

先の落下事故でも実証された通り、素朴な頑丈さは信じていいと思う。

これは本当に有難い事で、共に歴戦を潜り抜けた戦友というか、カメラへの愛着というのはそういうところから生まれるものかと。

風太郎のカメラ選択の基準は、お値段を別にすればスペック云々よりまず「壊れない事」だ。

カタログを見ても躯体構造とか防水防塵シールドとか、そちらの方ばかり見てしまう。

その他のメーカーは使った事もないので知らんけど6年前の乾坤一擲のデジタル化の際、

プリミティブなメカ構造の安定に対する真面目さというか、そういうレガシーを受け継いでいるのはやっぱりニコンじゃないかと思った訳で。


カタログに麗々しく書き連ねられるスペックと比べ、耐久性はなかなか書きようがないから損である。

でもそういう所に地味に拘った商品の良さを分かる人間は分かるぞと思うし、

ある意味トヨタ日産以上に強烈なニッポンブランドであるニコンさんは不屈の精神で蘇って欲しいと思うのだ。







HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/06/02 22:43 ] 写真道具 | TB(0) | CM(8)

300㎞/h の朝

shinkansen201701_13475take2東北新幹線郡山付近b

   東北新幹線 郡山付近  2017年1月







疾走の窓をそれぞれの朝が通り過ぎてゆく。







HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/31 23:45 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(4)

北辺の機関車たち

_15891take1b.jpg

  「北辺の機関車たち」  復刊ドットコム刊      








初版が1971年、半世紀近い時を経て蘇った伝説的名著である。

風太郎が写真に目覚めた1980年代以降は古本屋でも見かけるのは稀で、あったとしても2~3万円に及ぶような法外な値付けでは手が出るはずも無く、

噂だけは聞くものの実際に中身を見たのはそれから20年以上後だったりする。

見たい人間が大勢居るのに適価で手に出来ないというのは何より出版文化の貧困と思うし、

「復刊ドットコム」という企画で現代に蘇るは、やはり多くの人々がこの写真を熱く支持した事はもとより、文化の継承という視点でも喜ばしい。








_15898b.jpg

   これが初版本。焼けと傷みが歳月を語るがこれでウン千円だ。






現役SL末期、日本中を席巻したブームの始まりの中で、当時大学生だった三人の若者の手で綴られた鉄と氷、黒と白の絵巻。

厳寒の鉄路に生きる男達の姿もモノトーンの世界に息遣いている。

「蒸気機関車の商業化に耐えきれなかった」というのはメンバーの一人である大木さんの言だが、

その時代をリアルに知らぬ風太郎もブームに乗じたような陳腐極まりない写真群が残されるを見て溜息ついた記憶はある。

所詮商売先行、マーケティングとして撮られた写真には魂から湧き出る様な憧れや愛おしさといったものが宿るはずもないのだ。

アマチュアであるが故のそして若さ故の純粋さと、本当にそれを愛した者のみが持ち得るロマンチシズムが芳醇な旅の抒情と共に心を捉える。

印刷は最新製版で見事にリニューアルされた。スキャニングからやり直したというから画像のクオリティは全く別物だ。

昔の印刷の方も味があるというのは古本を大枚はたいて買った負け惜しみでもあるが、両者を比べてみるのも味わい深い。








_15893b.jpg

_15894b.jpg

_15895b.jpg

_15896b.jpg








今やかつてのSLブームを凌ぐのではと思える撮り鉄ブームである。線路際に立つ人の絶対数で比較するなら今の方が多いかも知れない。

しかしその大衆化・商業化は、ともすれば無個性かつ予定調和的に迎合した写真表現の量産にも繋がる。

世の趨勢に敢えて背を向けた若者たちのエネルギーの在りようが現代に蘇る事もまた、何か時代が求めたアンチテーゼにも思えるのだ。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/29 21:32 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(10)

発車時刻

津軽鉄道 五所川原駅ホーム5 1984年1月 X970 AdobeRGB 16bit 原版take1b

   津軽鉄道 五所川原   1984年








手のひらの懐中時計は秒を刻む。

悪天の中、運行は定時を保っているのだろうか。















(写真展漫遊録)



15888b.jpg



うねる海、降り続く雪、黒く身を寄せ合う家並み。

ともすればステレオタイプな「日本海側」ながら、これが2010年代というほぼ現在のリアルである事に心動く。

そこに息づくのは皺を刻んだ年寄りばかりでなく、微笑む若者、はにかむ子供。手が届かぬ程遠くなった日々に帰った錯覚さえあって。

それは写真が作った幻なのか、それとも自分がそこで見るべきものを見ていないからか。

今一度日本海の浜辺に立って確かめてみたくなる。


8☓10で撮ったというモノクロームの階調が饒舌だ。

鉄としては気になるハガキ写真は羽越本線の吹浦付近との事。


銀座ニコンサロンで来月6日まで。









HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村

海を眺めて

土讃線 安和 2016年10月_11108b

    土讃線 安和    2016年






土佐の黒潮を眼前に望む駅。ほんのついで撮りをお立ち台で。


下の写真はごくごく簡素な待合小屋の中にある「らぶらぶベンチ」。

ご覧の通り座面がVの字になっており、表面はツルツルだから此処にカップルが座ったら。

けしからんベンチのせいに出来るという趣向らしく。

まあらぶらぶじゃなくともロケーションは最高だし、天気が良くて時間があるなら海を眺めてまったり過ごしてみたい駅。






土讃線 安和 2016年10月_11107b





HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/25 21:20 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

” HIGAHASU ”   Singing in the Sunset  5

higahasu20170121_13522take2b.jpg

   東北本線 蓮田    2017年1月








「ライザップ行け。」と周囲がうるさいが、つまらんフィットネスなんぞで不毛な体力を使うより、

思い立ったが吉日で蓮田界隈をうろうろする方が、余録も付いたクリエイティブな運動になるというものだ。

もう大分前ながら冬晴れに誘われて久々に行ってみました。









higahasu20170121_13582take2b.jpg






どういうネタか知りませんがこんなんも来ました。屋敷森もエグゾーストに揺れて。







higahasu20170121_13542take1b.jpg







この時期はカシ通過と日没がほぼ同時。薄い雲が掛かって空のほのかな彩りがなかなかだったので。

本日の総歩数は2万歩。よしよし。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/23 22:32 ] 最近の旅 関東 | TB(0) | CM(6)

山笑う

kominato201704_15390take2b.jpg

   小湊鉄道 養老渓谷   2017年4月








狂騒の桜の季節を敢えて避ければ、落ち着きを取り戻した沿線に春は溢れて。

まだあるよと山桜も迎えてくれた。









HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/21 15:07 ] 小湊鉄道・いすみ鉄道 | TB(0) | CM(0)

価値あるもの

蒲原鉄道 大蒲原駅 吹雪とED1 3 1983年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b2

   蒲原鉄道 大蒲原    1983年







黎明期の古典電気機関車に造詣がある方なら、昨今の東芝経営危機のニュースには複雑な想いもあるのではないか。

米企業 「ウエスティングハウス」である。


かつて電気機関車をはじめ産業の世界に電気動力という革新的な技術を持ち込んだウエスティングハウス (以下WH)の歴史は、

それまでの産業動力の主流であった蒸気機関に代わるものをもたらしたし、それは第二の産業革命を担っていたとも言えよう。

時は流れ、原発という現代の巨大インフラをも手掛けるメーカーになっていた事は今回の一件で初めて知った。


日本の鉄道におけるWHといえば、大正末期から昭和初期にかけて輸入された独特な凸型形状の小型電気機関車のイメージが強い。

上の写真がそれであると言いたいところだが、この蒲原鉄道ED1は1930年日本車両製の歴とした純国産機関車である。

しかしその形状と言えば正真正銘のWH製で今も現役の弘南鉄道ED22に細部まで酷似している。

WHのパクリかと言われる由縁だが今も昔も知的財産権にはうるさいお国柄であろうし、そのあたりの事情はよく分からない。

いずれにしても真似を通じてその構造を一から学んだのだろうと思う。国産電気機関車の師でもあった訳だ。

思えば東芝も名だたる電気機関車メーカーである。

その礎を学んだ会社を逆に傘下に入れるとは弱肉強食の資本の論理でしかないが、結果的に一蓮托生の破綻を被る事になるとは皮肉という他ない。


げに恐ろしいのは「企業価値」という見えざるものである。価値とはその製品の手触りと重さで確かめられるものばかりではないらしく。

人が財産、信用が財産という無形の価値を重んじる企業理念は昔からあった。

しかしそれらも全て株価という市場の評価に内包され、ひいては企業価値として絶対数値化されるのだという。

絶対価値を定める市場という奴は、それ程に神の如く万能で明察なものなのだろうか。


今も昔も限定少量生産の鉄道車両は、試作機だの発注流れだのいわくつきの品が時折出る事があり、

経営の苦しい田舎の鉄道が飛びついて安く買い叩くというのも往々にあったらしい。

このED1も試作機をちゃっかりお得にゲットしたという事情だったのだろうか。

しかし全身を武骨なリベットで固めた「製品」はこの雪深い越後の地を70年にわたって走り続け、除雪に貨物輸送に奮闘してその終焉まで経営を支えた。


価値とはそういうものではないか。




今は文化財としてこの地に眠る。

kanbara201509_4362take1b.jpg

kanbara201509ED1マスコン_4387take1b






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
[ 2017/05/18 21:42 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(2)