野辺の祈り

55mm_17304津軽鉄道 深郷田 198009 take2b

   津軽鉄道 深郷田   1980年






津軽半島の歴史は地元の言葉で「けがず」と呼ばれる飢饉の系譜でもある。

豊臣家滅亡から昭和初期までの330年間に60回の凶作、中には3年連続もあったと聞けばその酸鼻を極めた飢えの歴史は想像に余りある。

明治期に入り日本鉄道が現在の東北本線を開通させればこれで東北から餓死が無くなるとされ、

結局飢饉というのは気候風土というより輸送インフラの未整備が生み出すものでもあるけれど、

ひとつの解決はまた別の問題、「貨幣経済下の格差」を拡大させるものでもあり。

昭和9年10年と連続した凶作と農村の困窮は2.26事件の背景のひとつでもあったろうし、そんな歴史のうねりにも繋がっている。


津軽の地の底に流れる、死の匂い。

篤い地蔵信仰は此処に斃れた幾多の魂を癒すものでもあれば、当たり前に平穏な日々が続く事への祈りでもあったろう。


津軽鉄道沿線にも素朴な野辺の祠が目立った。

この年の津軽地方も寒い夏が続いた後、9月に入っても稲に実りが僅かしか結ばれていないのが分かった。

ちょうど開業50周年を迎えていた津軽鉄道は様々な記念行事を予定していたものの、地元の意気消沈を慮って自粛していると聞いた。





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鉄の響き

aizu201509_4198take1b.jpg

   磐越西線 山都   2015年







鋼鉄の響きが溶けるのは、どこまでも高い秋の空。








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[ 2017/09/17 19:36 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(4)

秋の翳り

55mmkanbara_17496 秋の土倉ホーム1 原版take1b2

    蒲原鉄道 土倉   1982年





早や傾いた秋の陽に、翳りは山裾の小駅も包んだようだ。

マチから帰った降車客が、三々五々に家路を辿る。







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[ 2017/09/15 21:24 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)

晩夏

kominato20140726_110take1b.jpg

   小湊鉄道  里見    2014年








「晩夏」      木下夕爾


停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が匍いのぼる

閉ざされた花の扉のすきまから
てんとう虫が外を見ている

軽便車がきた
誰も乗らない
誰も降りない

柵のそばの黍の葉っぱに
若い切符きりがちょっと鋏を入れる





この詩と出会ったのは中学の教科書だったか。

作者の生家近く、福塩線の前身にあたる軽便鉄道の小駅の情景とされる。

興味の対象はブルートレインでもエル特急でも無く、草生したローカル線一本槍という渋ーい中坊だった風太郎が、

この一編の詩に吸い寄せられたのは言うまでもない。


当時は写真のシの字も知らなかったからそんな視点は持ちようも無かったのだが、

今読み返せば写実的というより写真的な詩だなあと思う。

てんとう虫云々はまるでマクロレンズで捉えたかのようだし、そのまま乗降が空振りのホームにズーミングして、

最後の改札掛の仕草は決定的なシャッターチャンスというところか。

その寄りと引きの妙がまるで組写真を見るかのようだ。

内容からすれば別に初夏でも盛夏でも良さそうな気がするが、「晩夏」のタイトルがまた秀逸だ。

発車していくガソリンカーの響きも小さくなった後、残されたホームの静けさは、忍び寄る夏の終わりのそれであったろう。


詩の世界はこの広い日本の何処かにまだあるはず、それを見ずにはいられるかというのが、

その後の旅の原点だったようにも思うのだ。

それから幾星霜、見たのか見なかったのか定かではないけれど、今もその幻をファインダーの向こうに追ってしまう。


今年も夏は終わりぬ。










上総鶴舞20110828_DSC2577take1b

   上総鶴舞







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[ 2017/09/13 23:42 ] 小湊鉄道・いすみ鉄道 | TB(0) | CM(4)

但馬・丹後をゆく  その9     同じ空の下

tango201708_18176新井崎の夜明け1 take1b

    京都府 伊根町   2017年8月







ハタと気づけば、日本海から陽が昇るというのは稀有な風景かも知れぬ。


海から陽は昇り、山の端に沈む。

穏やかに繰り返す里の日々。

都会と同じ空の下に流れるもうひとつの時間があると知る。

それもまた旅する事の意味であるに違いない。





( 但馬・丹後をゆく  おわり  )







tango201708_18196新井崎の夜明け2 take1b




tango201708_18111新井千枚田1 take1b







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[ 2017/09/11 19:46 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

Birth of Venus

venus3b.jpg






ボッティチェリの名画「ヴィーナスの誕生」は、「長過ぎる首」「極端に落ちた肩」「不自然な左腕」と、

美神を謳う割には結構歪んだヴィーナスなのだが、そういった人体に対する解剖学的写実が大切にされたルネサンス期の巨匠の事、

分かっちゃいるが正確性や写実性を超えた美の仕掛けを、その歪のあわいに潜り込ませたという事なのだろう。







Venus1b2.jpg







以前音威子府の写真展を共催させていただいた東海大学の石塚耕一先生の最新写真展は、ズバリ「 Birth of Venus 」。

奇しくも風太郎の写真展と同時期開催となった昨年もビートルズの楽曲から飛躍するイマジネーションを展開されていたのだが、

今回は写真と絵画の融合というテーマはそのままに名画の再解釈に挑戦。







tokyo20170907_19159take1b.jpg






女性モデルのポートレートに複雑なデジタル処理を重ねて現出させるのは、街に廃墟にそしてプライベートルームに生まれたヴィーナス達。

階調を飛ばして彩度を抑えたイメージは、デジタル時代を迎えて写真表現の懐が拡がった現代に在っては絵画的とまでは言わないけれど、

むしろ浮遊するイメージとリアルな写実の間を行き来するような、不思議な世界観の演出に成功していると思う。







venus2b.jpg







以前の写真展では「こんなのは写真ではない。」と酷評もされたとの事だが、

色彩は常にそれが置かれた光の環境に依拠するもので、何が本当の色、写実なのかは誰にも分からない。

豊かな階調性云々も枯れた見方をすれば、「ごく平均的にきれいに見せる」ためのテクニックに過ぎず、

現実の光と翳はもっと荒々しく、あるいは水を打ったように穏やかに在るものなのかも知れず。

そこに織り込まれた「歪」こそが写実を超えたイマジネーションの飛躍を促すのなら、それはルネサンスの画家の目論みにも通じるように思うのだ。


新宿眼科画廊にて13日まで。






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[ 2017/09/09 22:34 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(6)

但馬・丹後をゆく  その8     暮れる水面

tango201708_18036伊根の舟屋2 take1b

   京都府 伊根町   2017年8月






「やっぱり本格的に撮ってる人の写真は全然違いますわー、なかにはこんなん伊根ちゃうやろー、というのも見ますわー」

というのが船頭の兄ちゃんの感想のようだが、「満天の星空の下の舟屋」とか見るといろいろ写真の作りようはあるのも事実。

でも湾を夕陽が照らして穏やかな水面に舟屋の影が落ちる時間帯は、誰が撮っても伊根の白眉だと思う。

今日も波間にたゆとうような一日が終わる。








tango201708_18207伊根3 take1b



tango201708_18136伊根2 take1b






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[ 2017/09/07 21:27 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(8)

但馬・丹後をゆく  その7     伊根の舟屋

tango201708_18119伊根の舟屋6 take1b

   京都府 伊根町   2017年8月






丹後半島といえば定番ながら、「伊根の舟屋」は前から見てみたかったので。

絶好のロケーションに構える「道の駅」から見下ろせば、あまりに茫洋とし過ぎているので切り取ってしまったが、

湾をぐるりと囲む舟屋群の佇まいは、やはり奇跡に近い風景だろう。





tango201708_18011伊根の舟屋4 take1b






潮の干満にどう対処しているのだろうというのが積年の疑問だったのだが、最大10cm位と極めて少ない特性が生んだ奇景である。

同じ海でも広島の厳島あたりでは最大3m以上の干満があるそうだから、何故それほどの差があるのか不思議といえば不思議。

もちろん荒れる外海から絶妙に守られた湾の地形にも拠るはもちろんだが。

実際には「船のガレージ」であり、すぐ上に住む人はほとんどいないとの事。裏にある横向きの家が母屋。

舟持ちの家は少なくなったようだが、舟を出して釣り糸を垂れれば海の幸は手に入るし、軒先にカゴを仕掛ければカニや貝類も。

目の前の海が分け与えてくれる恵みを必要なだけいただく、海と人間の共生の風景でもある。


普通に考えれば当然だが裏の道路を歩いても面白くもなんともなく、やっぱり舟屋は海から見るに限る。

湾内を巡る小型船「海上タクシー」は貸切チャーター状態だったのはラッキー。







tango201708_18018伊根の舟屋1 take1b


tango201708_18125伊根1 take1b





エアコン付で実際住んでる人もいるのだろう。日がな一日海を眺めて暮らすのも都会人には贅沢の極み。

冬になったらコタツに入って雪見酒かなと妄想する。

お酒ついでに言えば下の写真は海辺の酒蔵「向井酒造」。午後の休みに釣り糸を垂れるのは杜氏さん。

家業を継いだ女性杜氏が造る「竹の露」を夕餉に嗜めば、まろやかでフルーティー、伊根湾の水面のように穏やかな味わいだ。






tango201708_17986伊根の舟屋3 take1b


tango201708_18042 伊根の舟屋5 take1b






北海道の江差あたりでは海沿いに軒を連ねた趣深い漁師町の佇まいを、意味不明の道路拡幅で全滅させた挙句、

100億円近いカネを掛けて「懐かしい町並み」なるハリボテを並べるは唖然としたものだが、

早くからその価値に気付き、これを守った伊根の人々の勝利であるに違いない。


もうちょい、もうちょいと無理なデイレクションに応えてくれたイケメン船頭、グッジョブ。

伊根生まれの伊根育ち、地元中学校ではプールも無ければ水泳の授業も無しなのに、

突然伝統の伊根湾横断遠泳はやってられませんわあ。

でも給食の食材はその朝の港で仕入れる。日本一うまい給食ですわ、と。






tango201708_18044伊根船頭1 take1b






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[ 2017/09/05 19:55 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

但馬・丹後をゆく  その6     丹後半島

tango201708_17917 袖志千枚田2 take1b

    京都府 丹後町    2017年8月





丹後半島西岸を北上。

明るい日本海は山陰でも見慣れているから今更驚かないが、やっぱり溜息が出そうな海景だ。

青とは言っても複雑なそれは高い透明度に海底の浅い所はエメラルドグリーン、そして深くなればやはり北の海を感じる群青に。

風太郎は絵筆は不作法だが、この色をどうしたらキャンバスに表現出来るだろう。


半農半漁を絵に描いたような村々は海べりまで田が広がって、実りの色に近づいた稲穂と海原のコントラストを堪能する。

棚田の上り下りに吹きだした汗を拭いつつ、これが大人の夏休み。







tango201708_17908丹後半島西岸2 take1b


tango201708_17927 袖志千枚田3 take1b


tango201708_17943丹後半島西岸1 take1b





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[ 2017/09/03 19:37 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

但馬・丹後をゆく  その5     鉄の墓標

tajima201708_17794餘部鉄橋1 take1b

   兵庫県 香美町 餘部   2017年8月






鉄橋本体はもとより、プレートガーターに大書された「山陰本線 余部橋りょう」に威厳があったなあと思い起こさせる。

分厚く塗り重ねられたペンキとそれをも侵食する錆のモニュメントは、こうして真近に見れば生々しく。

それは大自然と人間達の100年にわたる鬩ぎあいの墓標でもある。







tajima201708_17790餘部鉄橋2 take1b






一部のみ残された鉄橋は「空の駅」として観光地化され、脇にエレベーターまで設置する工事が進行中。

鉄橋の完成から50年も駅が無く、高さ40mの強風下の鉄橋を徒歩で渡り、更にトンネルをいくつも越えて鎧駅まで歩いた時代、

駅設置の悲願が叶えば、地元の小学生まで急坂に基礎石を運び上げて工事を手伝ったという逸話が、まるでおとぎ話のような。






tajima201708_17789餘部鉄橋3 take1b






鉄橋下の集落を歩く。

微かなデジャビュを感じて撮った写真は、後に見比べればまさに30年近く前のその場所である。

第一パンの何でも屋は閉じられてから何年の月日を重ねたのだろう。

生々流転の「鉄橋の村」である。







tajima201708_17788餘部鉄橋下1b


山陰本線 餘部の町1 1990年7月 16bitAdobeRGB原版take1b

     1990年





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[ 2017/09/01 20:03 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

但馬・丹後をゆく  その4     鎧の入り江

tajima201708_17767鎧の集落1 take1b

   兵庫県 香美町 鎧集落   2017年8月





明るい夏空に誘われて海へ。


餘部の隣の集落、鎧は入り江に佇むささやかな漁港と集落がいい感じで、前から再訪してみたいと思っていた場所。

コバルトブルーの日本海という、この上ないロケーションに恵まれればテンションも上がりまくるというもの。

思えば雨続きの東京、此処で真夏の光に初めて出会った気がする。






tajima201708_17759 鎧漁港1 take1b







山陰本線と海の組み合わせは撮れなくはないけれど、クモの巣状の電線に阻まれる。

仕方なく中途半端な一枚ながら、これが今回唯一の「鉄」である。この辺りはまだヨンマルの天下なのね。







tajima201708_17776山陰本線 鎧1 take1b







平家の落人伝説も伝わる餘部界隈の事、「鎧」の地名も何やら訳ありと思っていたのだが、

近くにある「鎧の袖」と呼ばれる豪壮な柱状節理の海食崖から来たものらしい。


その土地で一番景色がいいのは墓場なりの格言に従い、墓地の坂を登り詰めれば。

家の数より墓石の数の方が多そうなのが気になるが、此の地に生を終えた魂達が、眠るような入り江を手を広げて護るかのようだ。







tajima201708_17771鎧漁港1 take1b




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[ 2017/08/30 21:16 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

但馬・丹後をゆく  その3     たゆとう時間

tajima201708_17676 城崎温泉通1 take1b







朝食前に抜け出した散歩道は朝日の中を動き始めた地元の日常が息づく。

それでも7時ともなれば各所の共同浴場も開き、温泉町の一日が普段通りに始まるのだ。






tajima201708_17606城崎温泉温泉街1 take1b

tajima201708_17798 take1b

tajima201708_17688 take1b

tajima201708_17885城崎温泉射的take1b

tajima201708_17879城崎温泉パチンコ1 take1b

tajima201708_17818柳湯1 take1b







日がな一日湯にまどろみ、しばしの享楽に酔い、山海のうまいものを食って、宵の涼に歩く町角に新たな発見を求める。

湯の町のたゆとう時間に、浮世を忘れて身を浸す幸せ。






tajima201708_17663城崎温泉花火1 take1b

 ( 全て城崎温泉  2017年8月 )





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[ 2017/08/28 20:27 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

但馬・丹後をゆく  その2     和の矜持

tajima201708_17625 西村7 take1b





志賀直哉の時代は素朴な湯治場だったろう城崎温泉は、今や国際観光地である。

かつて普通夜行「山陰」あたりの固い座席車で夢うつつのままに通過した暗い駅の記憶位しかないが、

今は京都からの瀟洒な特急列車が次々と到着、その度に観光客が吐き出される。

通りを闊歩する浴衣がけの群れは見事な多国籍軍なのは言うまでもない。






tajima201708_17642 西村2 take1b

tajima201708_17890 いちむら1 take1b






狭隘な谷間に広がる故に土地が狭く大資本の参入が難しかったのかもしれないが、

古くからの温泉宿が小さいながらそれぞれの矜持を保ち、湯の町の文化を守り育てている感があるのは心地良い。







tajima201708_17735 西村5 take1b

tajima201708_17745城崎温泉朝食1 take1b

tajima201708_17666 西村4 take1b

tajima201708_17647 西村3 take1b

tajima201708_17742西村1 take1b






調度から仲居さんの立ち居振る舞いまで、静謐で繊細な美意識への感度が外国人の方が高いとしたら由々しき問題ではあるけれど、

「お・も・て・な・し」のニッポンブランドは決して官が旗を振って煽るものではなく、

それを育てた市井の民の底に流れる、粘り強い意志の在りかを信じたいのだ。






tajima201708_17732 西村8 take1b


 ( 全て城崎温泉  2017年8月 )





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[ 2017/08/26 19:58 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(6)

但馬・丹後をゆく  その1     城の崎にて

tajima201708_17673城崎笹の葉1 take1b

   




山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉に出掛けた。

背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。





志賀直哉の「城の崎にて」は文庫本にして8ページにも満たぬ、短編というよりエッセイに近い小編なのだが、

代表作のように言われるのは、すぐ隣にもある死の影や、それへの怖れ、生への執着といった死生観が、

遍く死を受け入れなくてはならない、誰の心にもさざ波を揺らすところがあるからだろうか。


風太郎がこの小説を読んだのは例によって高校の読書感想文の宿題故なのだが、超短編にラッキーと喜んだのもつかの間、

ある意味感想を書くにこれ程難しいものは無く。

遠い過去の宿題はともかく、やっぱりそれが書かれた土地にあれば何かが見つかるかと思い立って。


( 写真は全て城崎温泉 2017年8月 )







tajima201708_17588温泉寺1 take1b

tajima201708_17724城崎温泉温泉寺阿吽形像1 take1b

tajima201708_17633城崎温泉庭園1 take1b

新井千枚田の夜明けの月 tango201708_18139take1b




自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなど思う。

青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖父や母の死骸が傍らにある。




山手線に跳ね飛ばされたというのがどういう状況なのか詳細は綴られないが、限りなく死に近づいて偶然生かされたとする直哉自身の記憶。

城崎の温泉街を流れる大谿川のほとりにあって、虫や小動物の静謐な死や生への足掻きに自身のそれを重ね合せる。

どちらかといえば陰鬱に閉ざされた一編で、温泉のPRに使いたくとも使い辛いもどかしさが俗世間としてはありそうだが。





tajima201708_17807城崎の夜 水面1 take1b

tajima201708_17583城崎温泉鯉1take1b





最初石が当たったとは思わなかった。蠑螈の反らした尾が自然に静かに下りてきた。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、

前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、蠑螈は力なく前へのめって了った。尾は全く石についた。

もう動かない。蠑螈は死んで了った。自分は飛んだ事をしたと思った。




明晰で美しくリアリスティックな情景描写が志賀文学の真骨頂とされる。

生や死の生々しい手触りはそこに宿るのかもしれないし、死を身近にした彼の静かに澄んだ観察眼が、ここ城崎での日々に凝縮されたとも。

しかし彼はくどくどと説明的な文章を嫌ったし、ごく短いセンテンスでの表現に拘り、それが彼の文章との格闘でもあったという。


それは何処か写真に通じる気がする。





tajima201708_17593城崎温泉クモtake1b

tajima201708_17728城崎あじさい1 take1b






直哉が城崎に三週間滞在したのは大正六年頃。

100年の昔に温泉街も様変わりと思っていたのだが、古地図と見比べれば大谿川を挟んだ二本の道筋は全く当時のままだった。

小説に描かれた施設の位置関係も見事に符合する。多分彼が歩き、細やかな命を凝視した同じ道を辿る。







tajima201708_17897城崎温泉大谿川水面1 take1b






という事で、但馬・丹後方面、鉄分極薄の記事が延々と続きます。






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[ 2017/08/24 21:23 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

歌志内静夜

歌市内線歌志内の夜 55mmF35_11993take1b

    歌志内線 歌志内   1988年







産炭華やかりし頃、セキの群れが埋めていたであろう広大なヤードも、今は闇と静寂に沈むばかりである。

いにしえの活況を見てみたかった気持ちはあれど、時代のエンドマークは瞬く間に消えてしまうものでもあるから、

その刹那に立ち会う事も意味はあったかもしれないと思うのだ。

利尻乗車の時間潰しに往復、ワンカット限りの歌志内駅。夜の冷気が足許からゆっくり這い登った。

この3ヶ月後、雪解けと共にサヨナラ列車が出る。







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砂に書いた名前消して

enoden201506_1947take1b.jpg

   江ノ島電鉄  稲村ヶ崎    2015年







サザンの桑田が監督した映画「稲村ジェーン」はちょっと気になっていたのだが、見た人がメチャつまんねー、と酷評だったので。

結局主題歌ばかりが目立ったな。それも27年前の出来事。


砂に書いた名前消して 

波はどこへ帰るのか


一時期カラオケのおはこだったのだが最近は息が続かない。フフン、フンと鼻歌交じりの列車待ち。








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[ 2017/08/20 23:11 ] 最近の旅 関東 | TB(0) | CM(4)

旅のたまゆら   三十八

磐越西線 日出谷2 1982年2月26日 原版 take1b

    磐越西線 日出谷   1982年







旅はそれぞれの人生のダイヤグラムが一瞬だけ交差する偶然の繰り返しかもしれない。

二度目の交わりは多分、無いのだから。








明日から家族サービスに出ますので今週一杯不在です。




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[ 2017/08/16 21:35 ] 旅のたまゆら | TB(0) | CM(6)

旅のたまゆら   三十七

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    大井川鐡道    2014年










扇風機が熱い空気をかき回す。

窓からの風も気怠く淀んだ、あの夏。











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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/08/14 19:54 ] 旅のたまゆら | TB(0) | CM(6)

通り過ぎる夏

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   宗谷本線  恩根内     2012年






レールは陽炎に揺らぎ夏草は光る。

北辺の短い夏が、風のように通り過ぎてゆく。







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[ 2017/08/12 19:54 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

さわやかイレブン

土讃線阿波池田2016年10月_11114b

   土讃線  阿波池田    2016年







四国鉄道の要衝、阿波池田には夜も更けた頃に着いた。今時良く残ったと呆れるほどの本格的駅前商人宿に投宿。

全盛期と比べれば見る影もないのだろうが、まだまだ広い構内に所狭しと車両が駐泊する様は、腐っても鉄道の町である。

覆い隠せぬ衰退の翳にも関わらず、路地裏に赤い灯青い灯がそこかしこに灯るのは、やはりぽっぽや相手の商売の名残りか。






土讃線阿波池田2016年10月_11116b

   待合室に掲げられたかつての阿波池田駅








空を覆っていたであろう機関車の煙も消え、いつしか忘れ去られる運命にあったこの山間の町に

一躍全国の注目をもたらしたのは、あの「徳島県立池田高校」である。

部員数僅か11人の野球部を率いる、後に名将と謳われる蔦文也監督は当時普及し始めたばかりの金属バットに着眼、

「腕力さえあれば多少芯を外しても飛ぶ」という特性を見抜いて、細かいプレーよりもひたすら打ちまくるチームを目指し徹底的に筋力を鍛え上げる。

バッティング練習の乾いた金属音が学校の背後の山に木霊することから、誰が呼んだか「やまびこ打線」。

1974年、甲子園出場を掴むや11人のチームは並みいる強豪校を猛打で次々撃破、遂に決勝戦まで進出する。

最後に敗れたとはいえ「さわやかイレブン」は全国に感動を呼び、このささやかな町の熱狂は想像に難くない。


野球が単純だった時代と言えばそれまでだ。

11人というのも本当はもっと大勢の部員が居たのだが、猛練習に耐えきれず残ったのが11人だったという事らしく。

でもそれは地元のごく普通の少年達だったのは事実だし、よそ者ではないおらが町の代表に心からの声援を送ること、

それは高校野球の原点であり、夢のある時代じゃなかったか。


池田高校はご多聞に漏れぬ過疎や少子化の逆風を受けつつも、周辺校の統合も重ねて今も生き残っている。

(最近でも2014年に甲子園出場を果たしている。)

実はこの学校、駅のすぐ近くにある。明日の朝食を仕入れにコンビニに行くついでに見にいく。

周辺はさすがに真っ暗で校門位しか判別できなかったが、吉野川を挟んで「やまびこ」を返した山々は、黒々とした翳になってそこに在った。






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[ 2017/08/10 20:06 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(8)