ミンガラーバ!  その36   ラストショット①

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   ミャンマー国鉄 マダヤ線   2018年7月





これがアジアの混沌だ。




一週間に渡ったミャンマー紀行もいよいよ最終日、今夜の飛行機でいよいよ帰国の途に着く。

これまでの強行軍を癒す休養日だったはずが、頼み込んで再びマダヤ線へ。

最後の最後までしがみつくのが風太郎のしつこい所だ。

ラストショットはもう一度この混沌にどっぷり浸かってみたく。





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ここまで派手な店開きではどかすのも大変だろうと思うのだが、

忙しなく手を動かす女達にとっては普段通りの朝なのだろう。



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タイフォンが響き渡っていよいよ来るものが。 さあ撤収。



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モーゼの奇跡の如く道が開くが、実に巧妙に車両限界を考慮した店の拡げ方、逃げ方と分かる。



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タイヤーゼ駅の事務室。ここで切符を買う。

出入口に掛った 「 I WILL BE ALWAYS SURE 」 を和訳すれば 「 執務の厳正 」 だろうか。

ミャンマー語だけでいいものを何故英語併記なのか分からないけど、これも植民地時代の風習なのだろうか。

いずれにしても運行ダイヤが厳正に程遠いのは周知の通り。





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[ 2018/10/20 19:37 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その35   パコック線⑥

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   ミャンマー国鉄 パコック線   2018年7月






早起きがたたってしばしまどろみ、また目覚めるも、車窓は大して変わらない。 モンユワまで5時間近い旅。

日本では我慢ならないはずの冗長な時間も何となく気にならなくなるのは、旅も一週間目、この国のリズムが体に染み込んだか。

お金は無くとも時間だけは有り余っていた、遠い昔の旅の日々に似て。







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これはトイレの入り口である。どんなに客車が粗末でもトイレは必需品なのだ。

内部は・・・見ない方が吉。



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駅は廃墟化していても乗り降りはある。

住まいはここからどの位の道のりなのだろう。



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一日一往復の駅に何故か駅員がいて、良く理由の分からない閉塞作業がある。

大きな踏切毎にいる警手も含めどういう雇用形態なのか謎だが、パートタイムの業務委託でもあるのだろうか。



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二頭立て牛車と離合。



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モンユワに戻って来た。

下の写真の親子は写真を整理して気が付いたが、前日の夜にパコックの駅でくつろいでいた。

つまりパコック駅にて一家で夜明かしし、朝の列車でモンユワにやって来たという事だ。

庶民の悠々と長い道中には、我々の想像が及ばない旅のかたちがあるに違いない。




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モンユワから相乗りワゴンに揺られてマンダレイに戻ってくる。

最後の晩餐ならぬミャンマーラストナイトにビールのジョッキは連なるばかり、手ブレに酩酊の程度が知れる。

写真で見ても胸焼けしそうなつまみと併せ、マンダレイの夜は更ける。



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[ 2018/10/18 20:24 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その34   パコック線⑤

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  ミャンマー国鉄 パコック  2018年7月





パコックは夜は真っ暗の田舎町なのだが、鉄道運行上は要衝らしく結構立派な駅では各地に向けて列車が準備している。

まだ明けやらぬ空の下、動き出した駅の1日。


本当は此処からマンダレイにショートカットする路線があるのだが、長らく不通との事。

では昨日来た道を逆戻り、モンユワ経由で戻ろうと思えば、今度はモンユワ~マンダレイ間の列車がエンジントラブルで走らないと。

あのヨンマルがやっちまったか。 「予備車両」という概念が無いので致し方無い。

モンユワからは乗り合いワゴン車かなあ。






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機関車が連結される。 運転席にはお約束の仏様。




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これはのと鉄道から来た車だな。 何処へ向かうかは残念ながら未確認。

国鉄能登線の第三センター後、新たな担い手として新造されたはずだが、長くは果たせなかった地域生活輸送の役割。

この異国の地で実現しているというのも、また数奇な 「車生」 である。




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発車すると間もなく朝日が昇る。 運転席ではお経が流れ、お勤めが始まっている事だろう。

それが終われば朝のお茶も格別か。 ムラの朝が動き出した。





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出来る事ならふらり途中下車して、こんなムラの小径を日がな一日彷徨ってみたいものだ。




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オレを撮ってくれや、という親子連れに出来れば写真をあげたいけれど、その手段が無いもどかしさ。

それは本人だって分かってるだろうし、やっぱり珍客への好奇心か、遠来の写真屋へのサービスなのか。

いずれにしても大きく心開いた、優しき人々である。






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[ 2018/10/16 21:23 ] 海外写真 | TB(0) | CM(0)

ミンガラーバ!  その33   パコック線④

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   ミャンマー国鉄 パコック線   2018年7月






自転車並みの速度で走る列車。 いつもの道、いつもの風景に何を想う。







800px-Railway_map_of_Myanmar中央部パコック





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どんな場所でも寝られるのはミャンマー人の特技でもあるが。

町へ買い出しの大荷物に旦那も担ぎ出されたか。





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地味が肥え 「ものなり」 がいいのはこの国の大地の恵みだろう。




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もともと極めて風通しの良い駅舎なのだろうけれど、倒壊寸前のような気もする。

都市部から離れるにつれローカル線が忘れ去られるのはいずこの国も同じという事か。

例によって1時間近い早発のような気もするが、駅の出迎えはピッタリなのは 「もうひとつの時刻表」 が習慣の中に存在しているのだろう。




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ちなみにこの駅をGPSデータに基づき航空写真にプロットするとこういう場所。 黄色の丸が駅。

村外れの小さな小さな駅である。



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ビルマ平原の落日。 猛暑の一日が静かに幕を下ろす。




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[ 2018/10/14 19:37 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その32   パコック線③

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   ミャンマー国鉄 モンユワ  2018年7月




「 〽 三畳一間の小さな下宿 」 では無い。 駅に停車中の 「ワフ」 の車掌室。

「寝床」 と 「仏様」 は此処でもお約束のようだ。





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パコック行き列車は17m客車+貨車改造客車+マニ? のデコボコ編成。

ヨンマルには悪いがミャンマー鉄道はやはりこう来なくっちゃ。

気温は35℃は越えているだろう。 ここまであまり暑い思いはしなかったので堪える。




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賢人はこういう所に居るものだ。



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金剛力士?

或る程度の年になると男も女もメタボ体形が目立つが、これも食べ物に困っていない幸せの証と見よう。



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荷も積み終わったし、昼メシも済んだ。 さあ出発。





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[ 2018/10/12 20:27 ] 海外写真 | TB(0) | CM(0)

ミンガラーバ!  その31   パコック線②

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   ミャンマー国鉄 モンユワ  2018年7月





パコック行きの機関車は900PS級だからDD16クラスか。

こうしてまともに鉄道にカメラを向けられるのも民主化されたここ数年のこと、それまでの軍事政権下では撮影御法度、

その当時乗り込んだフロンティアが実際拘束される事もあったと聞く。

一人一人は信心深くて優しいミャンマー人が、一度別の衣を纏うと冷徹な抑圧者に豹変するという事実に、組織というものに棲む魔物を見る気がする。

こうして遠慮無くカメラを向けられる幸せを噛み締めなくてはいけないし、まだまだ趣深いミャンマー鉄道は今こそ旬なのだろう。






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連結器は統一されておらず、地域によって違うようだ。

「全国時刻表」が何処にも見当たらず、ミャンマー放浪の妨げであるように、どうもこの国の鉄道は「全国」を俯瞰する視点が薄いらしく。

それぞれの地域地域で完結する情報しかなく、よその地域の時刻表など知らん、そっちに行ってから聞いてくれ、というのが彼らの常識である。

それはともかく運賃も時刻も全てミャンマー数字では、こっちに来ても分からないんですけど。





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そこそこ大きな町なのだが、やはり時間は緩やかなモンユワ駅。




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「殉職者の日」として半旗は掲げられていても、庶民的には楽しいお祭りの日なのだろう。

これでもかと着飾った女の子達。





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[ 2018/10/10 20:13 ] 海外写真 | TB(0) | CM(4)

ミンガラーバ!  その30   パコック線①

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   ミャンマー国鉄 モンユワ  2018年7月





炎暑のモンユワに着く。 此処で小休止の後、パコックという田舎町に向かう。


下の写真は駅員の事務机。

パコックまでの切符を求めたらパスポート拝見、そのナンバーや名前まで書き込んだ特別仕立ての切符を作り始めた。

怪しいもんじゃないんだから面倒な事するなって。 いや充分怪しかったか。

平和そのものに見えるミャンマーもパコックから更に西へ進むとラカイン州、少数民族のロヒンギャと国軍との間でテロや報復の応酬が続き、

人権問題として世界の耳目を集めるエリアに近づくから、じゃらじゃらカメラを抱えたような外国人はそれなりに警戒されているのかも知れぬ。


運賃は一人600チャット、二人分で1200チャット(約100円)。

4時間以上乗ってこのお値段だから例によって涙が出るほど安いのだが、切符をよく見れば右上に書いてある運賃が二段書きになっている。

これは後になって知ったのだが、どうやら下の段は運賃に内包された「生命保険料」らしい。

二人分で2.5チャットだから、一人分なら保険料は「10銭」。

一体これで幾ら保険金が下りるんだい。 ビール一杯分だったらやだねえ。



後ろの油絵はスーチーさんですね。






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で、これがその親父さん、ビルマ独立の英雄アウンサン将軍像。有り難いものは皆金ピカにしちゃうのがミャンマー流。

ちょうどこの日は1947年にアウンサンが閣僚他8人と共に暗殺された命日、「殉職者の日」で、

動員されたらしい学校生徒も含めて像の周りは大した賑わいになっていた。


「アジアの解放」を謳う日本軍の支援を受け、当初は協力し宗主国のイギリスと共に戦うも、

結局イギリスの後釜に座りたいという真意が見え隠れする占領政策に疑念を抱いて、最後はイギリスに寝返る。

しかし驚くのは暗殺時若冠32歳という事だ。戦争中イギリスや日本を手玉に取った時、20歳代だった事になる。

大国に翻弄されながらも舵を取り切った若き指導者、独立を目前にした非業の死という英雄伝説は、

もちろん後の脚色も随分あるのだろうけれど、傑出した人物であった事は確かなのだろう。






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チャーミングな娘が締めた凛々しい赤ハチマキやほっぺたに張り付けたステッカーには「アウンサン万歳!」とでも書いてあるのだろうか。

究極の世襲ではあるがその分カリスマもあるスーチーが、半世紀に渡った軍事政権に幕を引いたのはしなやかな革命でもあったろうが、

いつも寝ているようなミャンマー人が再び自由を侵された時、奮起して対決するのか、それともゆるやかに懐柔していくのか、

次はどういう選択をするのだろう。





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[ 2018/10/08 18:07 ] 海外写真 | TB(0) | CM(0)

静夜

蒲原 大蒲原駅 冬の夜2 1983年2月 16bit AdobeRGB原版 take1b

   蒲原鉄道 大蒲原   1983年







夜が来た。

乗り降りも絶えた駅に静謐な時間だけが刻まれてゆく。













( 写真展漫遊録 )


写真展20181006


新宿のリコーギャラリーに楽しみにしていた風間さんの写真展を見に行く。

風太郎の趣味嗜好からして涙無しには見られぬというのも当然なのだが、

あー、あと20年早く生まれてりゃなー、チキショーと悔しいのはひとしおである。 まあそれはどの世代にも言える事だけれど。

昭和40年前後の地方私鉄、それを乗り降りする人、町や村の佇まいといった、鉄道を包括する時代のありようが生き生きと捉えられている。

車両中心の記録写真を否定はしないし、そこから得られる貴重な情報も後の世に伝えるべきものなのだけれど、

その時代でしか撮れない「社会」を感じさせる写真の魅力は尽きない。

ストップモーションされた社会は遠い昔のはずなのに、今その場に居るような臨場感がある。

鉄道は動くものだし、人も動けば社会も動く。

動き続ける社会から生まれ、それを凝縮したものが鉄道ならば、鉄道を撮る事はやっぱり時代のドキュメンタリーなんだと思う。


風間さんともお話し出来て良かった。

会場内撮影フリーも良し。 撮影禁止とか今更勿体を付けるなよと思う。 

でもスマホで撮ったら何とも酷い写真になったのは申し訳ない。

これは必見。 15日まで。



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[ 2018/10/06 18:48 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(12)

まどいせん

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  只見線 会津中川   2018年4月







交響曲 「新世界より」 の一節に歌詞を付けた 「遠き山に日は落ちて」 は、

曲の雰囲気と田園風景の黄昏を歌う詞の内容のマッチングという点で秀逸なもののひとつであろう。

もともとドヴォルザークが故郷ボヘミアへの郷愁をメロディーに託したとの事だが、

文語調の古めかしい言い回しから純和風に聞える詞との間で違和感が無いのは、

そういう心情は洋の東西を問わぬという事だろうか。


しかしこの歌詞の中で意味が分からぬまま長年にわたりうやむやになっていたのが、

「いざや楽しき まどいせん」 という最後の一節の、「まどいせん」 だ。

ネットというのは有難いものでちゃんと解説してくれる人がいて、これは 「円くなって座り団欒しよう」 の意と。


町からの列車も戻る頃。

家々にまどい (円居) の時間は始まっただろうか。

灯り始めた明かりの数だけ、その土地の暮らしの物語がある。



遠き山に日は落ちて  星は空をちりばめぬ

今日のわざをなし終えて  心軽く安らえば

風は涼しこの夕べ   いざや楽しき まどいせん





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[ 2018/10/04 20:00 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(4)

凍える行路

津軽鉄道 芦野公園12 198年 月 日 16bitAdobeRGB原版 take1b2

  津軽鉄道 芦野公園   1983年






ミャンマー編もそろそろ終盤ですが、もろもろ閉塞状態なのでまた暫く小休止。


線路際の四季は、やはり日本の鉄道に奥深さを加えるものだろう。

厳しい冬をやり過ごし、再び巡り来るたおやかな春を迎える。

その繰り返しが芳醇なふるさとの物語を紡ぐ。






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ミンガラーバ!  その29   もうひとつのヨンマル④

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チャン・ウーという牧歌的なジャンクションに到着。此処でパコックという町から来る線路と合流する。

時刻表によればこの駅の到着時間は10時18分なのだが、何と9時過ぎには到着。

途中駅をとんでもない早発を繰り返して通過してきたという事だ。 一日一往復なのにである。

まあ途中から乗る人はあまりいなかったような気もするが、なるべく早く着いた方が皆幸せだろ? という暗黙の了解があるとしか思えない。

時刻表より一時間以上も早発された挙句、またあした、悪しからずでは日本人なら発狂するだろうが、

ミャンマー人はそんなものと見込んで、とんでもない時間から寅さんみたいに駅で寝ているのだろうか。

まあ空振りでも明日もまた同じような日だし、と。


パコック発のミキストが夏草を分けてモンユワへ先行する。

南国の深い緑に囲まれた小駅にゆらゆらと時は流れ、ヨンマルはしばし憩う。







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ミャンマー国鉄は1000mmゲージなのだが、67mm分の改軌をどうやったのか。

何でも一旦車軸と車輪を切断して車軸を67mm分削り、そのまま車輪に溶接した、という話を知ったのが日本に帰ってからで良かった。

本当なら恐ろしい。 模型だって車軸と車輪をイモ付けしたりしないぞ。

低速走行のミャンマー鉄道だから許されるとは言っても、あの振動だからねえ。





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おい、そろそろ出すぜ、早く乗りなと車掌。

発車時刻は10時20分のはずが9時40分には発車する。

終点モンユワはもうすぐだ。





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   高山本線 焼石   2014年




高山本線の一枚。 もう4年前になる。

早朝に風は凪ぎ、深い森は水面に鎮まっていた。

通過列車をよもやと拡大してみれば。

車番は「5802」。 5000kmを隔てた再会だった事になる。






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[ 2018/09/30 18:14 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その28   もうひとつのヨンマル③

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外はいい天気で気温も上昇しているようだが、何もかも開けっ放しで風通しがいいから快適な車内である。


白シャツのおっちゃんは車掌で、そこそこ英語が出来るらしく 「日本人か?」 と声を掛けて来る。

「この車両は日本から来たんだ。」

「そうだね、名古屋ってとこで走ってたんだぜ。」 「My favorite trainよ。」

と答えると、うんうんと頷いてニヤニヤしていたが。






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緑色の頑丈そうな鉄箱は駅の売上金回収箱らしい。 東武鉄道の博物館で同じ用途の大箱を見た事がある。

何にしても目立ち過ぎてかえって危険ではと思うのだが、そこは人海戦術のミャンマーの事、見張り役が二人。

更に小荷物掛一人と、運転士車掌の二人、寝てる男一人で、この単行列車に実に六人の関係者が乗っている。

簡単に無駄とは言うまい。 国営事業である鉄道はどうやら限られた財と仕事を多くの人に分配する、ワークシェアの権化でもあるらしく。

しかし昨今上昇著しいとされるミャンマーの賃金は法定下限でも日給4000チャット以上と聞くから、

モンユワまで約6時間乗車して500チャット(約40円)の運賃との釣り合いやいかに。

合理である事と皆がそこそこに幸せである事が相容れない浮世の習いと、この国もやがて向かい合うのだろうか。





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これは一応閉塞作業らしい。 タブレットならぬ通券というか書類を受け渡しているようだ。

しかし一日一往復しかないのだから全線一閉塞じゃだめなのかと思うけど、どうも事情が分からない。





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陽も高くなり長い旅になった。

ミャンマー人にとって何もすることが無いなら 「寝る」 のは絶対の正義なので悪びれるところが無い。

モケットのあるシートは福音だろうが、ベッドとしての利用にその効を見出したようだ。

座るだけなら床にペタリの方が落ち着くのだから。

その昔、座席モケットの上にちんまりと正座したニッポンのおばあちゃんを思い出す。





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激しくローリングする車内で踏ん張って撮っていたら、呆れたように眺めていた件の車掌がガラガラと脇の乗降ドアを閉める。

「転がり落ちるぜ。」 とまたニヤリ。 線路は揺らぎ始めた陽炎の中を。









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[ 2018/09/28 21:03 ] 海外写真 | TB(0) | CM(4)

ミンガラーバ!  その27   もうひとつのヨンマル②

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故郷に似ているようでちょっと違う景色の中を淡々と。





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大家族というより、何かの大宴会でもあるのだろうか、巨大過ぎる鍋を買ってきたおばちゃん。




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このヘロヘロレールを見ればいかに優秀なニッポン車両といえど、凄まじいローリング・ピッチングの旅は想像出来よう。

また線路際の木々を車両限界一杯にしか剪定しないというより、走る車両を剪定バサミ代わりにしているのは明白である。

不用意に顔を出そうものならバシッと葉っぱの直撃を受けるし、吹き飛ばされる小枝が車内に散乱する。

窓ガラスは破損防止なのか下半分は閉め切られ、プロテクターとしてフイルム状のものが貼られているようだ。






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そんな調子だから外板は痛々しい状況である。 多少のレタッチ補修はしているようだが。

トイレはわざわざタンクを撤去して「垂れ流し式」に。 せいせいと野に返すのがミャンマー流。

第二の人生というには過酷でもあろうが、普通ならそのままスクラップだった運命、

少なくとも日本より遥かに多いお客を乗せ、それなりに当てにされて機械としての寿命を全う出来るなら、それもまた幸せか。





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[ 2018/09/26 20:39 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その26   もうひとつのヨンマル①

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伸びる線路の向こうはトワイライトゾーンなのか。

あなたの知らない、もうひとつの「ヨンマル」の物語。





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800px-Railway_map_of_Myanmar中央部モンユワ2






マンダレイからチンドウィン川のほとりにあるモンユワへ向かう。

早朝のマンダレイ駅の外れ、ひっそりとした一角に日本から来たキハ40が単行で佇んでいる。

先頭の方向幕は「快速多治見行」、優秀な日本製品は一目置かれているため漢字はある種のステータスらしい。

ただ日本と大分様子が違うのは、乗客はもとより次々と小荷物が積み込まれ、生活輸送を担っているという事だ。


このキハ405802について少し調べてみると、キハ40577として1980年位に製造、主として高山本線筋を走る。

その後の機関改装やワンマン化により車番が変更され、2016年頃にミャンマーに渡ったらしい。







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イワラジ川を渡った辺りで朝日が昇った。

これは大事なお勤めの時間である。

運転席に突然お経が流れ、運転士は朝日の方に向かい両手を合わせて一心に拝み始める。

ちなみに走行中である。





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「ワンマン列車の乗車方法」から運賃表示器までそのままである。

貫通扉の所で寝ている男は最後まで正体不明だったのだが、どうやら運転士らしい。

モンユワからの折り返し列車を担当するのではないか。

風が心地良く特等席なのは分かるが、モンユワ到着まで6時間、物凄い振動の中でひたすら寝続けるのも凄い。

床にどっかり座っての朝食も天下御免だ。





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[ 2018/09/24 20:10 ] 海外写真 | TB(0) | CM(0)

ミンガラーバ!  その25   高原列車はゆく⑥

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ゴッティから小一時間行ったところにある、「ナウンピン」は交換駅。 上り列車に乗り換えて折り返す。

此処にも立派なスポートが。





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何やらちょっと小洒落たリゾート風になってきたな。

駅には古びたはかりがひっそり置かれていた。





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上り列車がやって来た。

タブレット交換と思いきや、渡したカゴは何だろう。 お昼時だし昼メシか?





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再びゴッティ鉄橋を渡る。

光線が変わってスポットライトみたいに陽が当たり、いい感じだ。




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ビルマ平原を淡々と行く地味な鉄道が多いミャンマーにあって、風光明媚な「ラーショー線」は観光路線としても貴重と思うのだが、

物見遊山とはうらはらに此処は軍事路線として極めて重要な役割を担っていた時代がある。

中国大陸で日本軍と対峙していた蒋介石率いる国民党軍に対する後方支援として、連合国が軍需物資を輸送していた、いわゆる「援蒋ルート」である。


複数のルートがあったがそのひとつがラーショーまで鉄道輸送、その先は中国への国境越えの自動車道が拓かれ、昆明まで続いていたという。

軍需物資を満載した蒸気列車の咆哮がゴッティ鉄橋にも響いていたかと思えば感慨があるが、

当然これを遮断したい日本にとって鉄橋は最重要爆撃・破壊目標だったはず。

しかし緒戦においてビルマ全土の占領に成功したため鉄橋は生き永らえた。


ビルマを失った連合国側も不屈で、インドのインパールを拠点とする援蒋ルートはその後も存続し、

悪名高い「インパール作戦」はその遮断のために発動された。

伸びきった戦線にあって武器弾薬・食糧の補給路確保という軍事のイロハを無視し、武器も食いものも敵のを奪って戦え、

全ては大和魂が解決するなどという軍事史上笑い者の作戦による死者は7万人、ビルマ全土で18万人の日本人が命を落とした。


あれも無かったこれも無かったと俄かにかまびすしい昨今だが、この膨大な日本人の犠牲だけは「無かった事」には出来まい。

銃火を交えての戦死ならまだ救われようが多くは餓死・病死。

戦争に犠牲は付き物だが、愚かに過ぎた作戦による膨大な犠牲は犯罪行為に他ならず、犠牲を英霊などと賛美するはその隠蔽に過ぎない。

作戦を立案・指導した高級指揮官・参謀は同胞を見捨て我先に日本に逃げ帰り、皆天寿を全うしたのが呆れるような事実である。

戦後70年余り、日本人の日本人に対する戦争犯罪は未だ裁かれていない。





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[ 2018/09/22 20:06 ] 海外写真 | TB(0) | CM(4)

ミンガラーバ!  その24   高原列車はゆく⑤

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彼方に「ゴッティ鉄橋」が見えて来た。

遠目ながらこの姿を見て「餘部」を連想する諸兄は多かろう。 1912年架橋の餘部に対しゴッティは1903年架橋、

9年先輩ながらアメリカナイズされた設計と同国直輸入の鋼材部品という点で両者は共通しており「兄弟橋」と言えない事もない。

しかしあれだけ巨大な餘部も全長310m 全高41mで、対するゴッティは全長689m 全高102m、

それぞれ2倍以上と桁違いのスケールであり、その威容が想像できるというものだ。

架橋当時の餘部は「東洋一のトレッスル橋」を謳っていたらしいが、それは真っ赤なウソでこのゴッティこそが東洋一である。

大き過ぎて車窓からでは全貌が撮れないのが苦しい。





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列車は最徐行でそろそろと渡る。

最近の観光列車のようにサービスで徐行などという芸を持ち合わせているとも思えないから、

100年を優に超える鉄橋の老朽化を考えての事ではないか。

大規模修繕の記録は1947年というから、これは知らない方がいいかもしれない。

ギギギ、ミシミシと悲鳴を上げる鉄橋。





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高さ100m超というのはまんざらウソでもあるまい。

眼下に見える不可思議な線路は「旧線」かと思っていたのだが、

よく考えれば100年以上前に使わなくなった線路が形を留めている訳もない。

調べたら、この鉄橋が万が一使えなくなった際に使うため、1970年代位に敷かれたバイパス線の跡という。

大英帝国だから可能な大鉄橋の架け替えなど当時のミャンマーの国情では望むべくもなく、

こじんまりとした橋でなんとかという事だったのだろうが、この谷底に下って登る線路も半端なものでは済まなかったはずで、

一体何を考えているのか分からないところがある。





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外国人観光客ははしゃぎ回って延々スマホ動画撮影、邪魔で仕方ないが、

ニッポンの硬派撮り鉄二人組としては、「何処かにお立ち台は無いのか?」

橋のたもとの崖に階段が付いていて、その上に僧院があるのを発見、やはり救いは「仏」だったか。

全貌をバッチリ、絶好のお立ち台であるのは必至なのだが、敵は一日一往復、駅からも遠いとあっては。

「下り列車から飛び降りて、上り列車を撮り、そのまま野宿。」というプランは浮上したが。




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[ 2018/09/20 22:16 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その23   高原列車はゆく④

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さあ発車。 朝靄に重いエンジン音が響く。





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高原の花売り娘。




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ピン・ウー・ルウィンはビルマの暑さに音を上げたイギリス人が拓いた、植民地時代の避暑リゾート。

標高1070m、野辺山よりちょっと低い位か。服装も少し違うね。

観光的な拠点にもなっているのか、此処で客車2両増結。




myanmar201807_31121_00001ラショー線メイミョー駅


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空もすっかり晴れ上がった。 爽やかな光と風。





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myanmar201807_31219_00001ラショー線ナウンキオ駅


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[ 2018/09/18 19:33 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その22   高原列車はゆく③

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山の上の人里までオメガループが連続する山中をゆく。

小学生の列車通学は珍しい。というより通学列車というものを見かけないのは、高校生くらいになると寄宿舎にでも入るのだろうか。

この子たちも先程の信号場からの乗客だから、やはり鉄道員の家族なのだろう。

しかし朝の列車で学校に行くは良いが、帰りの一本が信号場まで帰り着くのは夜8時過ぎになってしまう。

それまで待つのか、それとも職員用の裏列車でもあるのか。

昔の国鉄だって辺境の鉄道員用の配給列車があったのだから、ありそうな気もする。

何はともあれ、彼らの背中にも「ポケモン」は恐れ入る。






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連結面はご覧の通り。

左右にちゃんとした幌は無いし、凄まじい振動もあってちょっと勇気がいるのはお判りいただけるだろう。

急曲線に車輪は悲鳴を上げ、列車は踏みしめるように勾配を登る。





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此処が彼らの下車駅、標高580m。信号場から300m近く登って来た事になる。


女の子は概してシャイでなかなかカメラ目線をくれない。

「ミンガラーバ!」と声を掛けたら、寝そべっていたお腹の大きい犬だけが、「何や?」





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とにかく野良犬が目立つ。 生類憐みのような宗教観もあるのか、いじめる事は無く共存している感じだが、

かといって手厚く面倒を見る程の余裕は人間にも無いから、ただ放っておかれ瘦せ細っていたりする。

それでも駅に居れば多少餌をくれる人もいるのだろう。

何処かの「アイドル駅猫」のように丸々太っていたりしないが、彼らもまた逞しく生きている。




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[ 2018/09/16 20:32 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その21   高原列車はゆく②

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スイッチバックの往復が始まる。 しかし・・・。

悲しい事に線路際の灌木が深く、段々の線路が見えるのは一瞬のみ、この雄大な全貌は見渡せない。

これを捉えるにはドローンでも飛ばすか、それとも日本鉄道写真界が誇る俯瞰のエキスパートに登攀してもらうか・・・。

しかしミャンマーの山中は巨大なニシキヘビ位ならまだいい方で、トラやゾウが出るらしいから腹の座った人にやってもらいたいもの。

GPSのデータによれば麓から既に200m以上登っている。






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峠の駅に着く。 いやこれは信号場だろう。

地図で見れば辺りに集落など皆無で、線路際に多分鉄道員の官舎ではと思われる数軒の建物を認めるばかりだからだ。

スイッチバックのポイントには転轍手がそれぞれ張り付き、このたった一往復の列車の為に営々とした鉄道員の暮らしがある。

此処に集まった人々はその家族だろう。 

かつて函館本線上目名駅は雪深い山中に駐在する駅長家族が守っていて、高校生の娘の卒業を待って無人化されたという逸話を思い出す。

いまだ多くの人の手で動くミャンマー鉄道にあって、辺境の鉄道員の暮らしはまだ当分変わらないに違いない。





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まだ6時前である。 早朝の山の空気が心地良い。

ポイントを軋ませながら、列車はぽっぽやの里を後にする。

後は帰りの列車が夜にやってくるばかりである。





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[ 2018/09/14 20:25 ] 海外写真 | TB(0) | CM(2)

ミンガラーバ!  その20   高原列車はゆく①

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青い空と白い雲、滴る緑。 ミャンマーにも爽やかな高原鉄道がある。


インド・パングラディシュ・中国・タイ・ラオスなど様々な国と国境を接しているのだが、その国境線はほとんどが険しい山中にあり、

それが天然の要害となって国を守ってきたことも想像に難くない。

中国国境にほど近い町「ラーショー」へと延びる鉄路は、今から百年以上前の植民地時代にイギリスによって拓かれたもの。

ビルマ平原から一気に立ち上がる山岳地帯は標高こそ1000m強だが、7~800mの標高差を10数kmの距離で突破するは

当時の鉄道技術の粋を集めたものだったに違いない。





800px-Railway_map_of_Myanmarラショー線


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もうあきれるような線形である。

入り口で待ち構えるは三段に及ぶスイッチバック。 続く半径100m位ではと思えるオメガループの連続。

そしてその先、やはり急峻なオメガループで固めた谷に架かるは高さ100m超、鉄道橋としては世界第二位の高さという「ゴッティ鉄橋」だ。

この凄まじい線形もあってか、マンダレイからラーショーまで16時間近くを要するのだが、

それでは丸々2日潰れてしまうので途中の交換駅で折り返して日帰りで済ませようという算段だ。





myanmar201807_30978_00001マンダレイ駅




ラーショー線はわずか一日一往復、マンダレイ発は何と午前4時。 まだ深夜の駅はご覧の通り大駅寝会場である。

別にホームレスという訳ではないと思う。早朝発が多い長距離列車に乗るにはこうして前の晩から駅に泊まるのが合理的なのだろう。

しかしまるで自宅の茶の間のような堂々たる寝姿には恐れ入る。なかなか真似をする気にはなれないが、まあ穏当な国ではあるのだろう。




ラーショー行き列車は山岳鉄道らしく強力なF級機関車、1等車1両、2等車2両の客車に有蓋車2両を連ねたミキスト編成で発車する。




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夜明け前に乗ってきたバナナ売りの男。高地では穫れないのか金にはなるのだろう、延々と乗っていた。



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払暁、麓の駅に着く。 今も残るスポートは厳しい峠越えの記憶を伝えるか。

DLは中国製の電気式ながら2000PS級というからDD51クラス。




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朝の腹ごしらえを明かりを灯した物売りが提供する。

夜明け時は朝のお勤めの時間でもあるらしく、駅本屋から低くお経が流れ始める。

日本のお経とは大分違っていて、コーランの朗読にも似た節を付けて歌うように。

何処か遠い世界に誘うような調べが、朝焼けの空に静かに溶けてゆく。





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[ 2018/09/12 21:17 ] 海外写真 | TB(0) | CM(8)