津軽鉄道 大沢内 2014年1月
吹きさらしの津軽野に身を寄せ合うような大沢内集落の中にある。
改札口の前にさらにガラス戸があるのは、冬の季節風を凌ぐためであることは言うまでもない。
かつては委託駅員のおばちゃんが一人頑張っていて改札口に立ち、
重い貨車の引き戸をエイヤと開けては小荷物を積み込んでいた。
時は流れ人の気配が消えた駅のガラスを、これだけは変わらぬ小雪交じりの風がカタカタ鳴らし続ける。
故郷の駅は、今も此の地に在りて。
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「風太郎の1980年田舎列車の旅」Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved
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駅に人の気配を感じなくなったことを思うと、寂しくなってしまいますが、その雰囲気があまり変わっていないのには、少しほっとしますね。
中国地方にも、無人駅は多々あり、中には、私が写真を撮るようになってから無人化されたりなど大きく様相が変わってしまった駅もあります。
鉄道はできるだけ記憶のままであってほしい私としては、変化をあまり実感したくはないのですが、恐る恐る行ってみて、設備や雰囲気などがそのままになっているのを確認しては安心するというのはよくありますね。
たとえ駅舎を取り壊して改築がなされても、良い雰囲気を漂わせてくれれば、それはそれで良いのですが、そうでないことが多く...。
山岡山 さま
地方私鉄の駅はJRとはまた異なり、雰囲気が残っているというより、打ち捨てられたような印象を受ける事も多く、
それはそれで寒々しい寂しさがあります。
かつて駅員が居て、列車の到着ごとに賑わった待合室など知っていると、いたたまれない気もしますね。
山岡山さんのお写真を拝見すると、中国地方はまだ趣のある駅舎が残ってるようにも感じますが、
急速に消えているのも事実なんでしょうね。
それでも人の気配を感じるお写真が多いのは、あえてそういう時間帯を狙うとか、ご努力の賜物なのかと思います。
押し止めようのない時代の流れです。
地方の鉄道が本当に必要とされていて、普通に日常の中に在った時代に、もう一度帰ってみたい気がします。
2月14日 2月15日
東京地方 観測史上最大の積雪
今だ 北側には残雪があります
もう雪は見たくないと思っていました
恐怖でさえありました
自宅にいたら 雪の小さなお城に閉じ込められていたかと思うほどです
白雪姫になるには もう 年齢制限でしょうから
でも どうしてでしょう
一枚目のお写真
駅舎の入り口の窓ガラスにある
雪を見た時
やはり雪は綺麗だなと思いました
三枚目のお写真
壊れたガラスから雪が入り込んで
床にその姿をとどめています
改札口が待合室のようになっていますね
風太郎様の想いがある駅舎
怒らないで下さいね
廃墟写真的な魅力を感じます
とても美しいと感じます
右手ガラス窓
二段目 小さな雪のかたまりが行列しているようで可愛いです
寂しいとは思えません
この一枚のお写真の中
宝石が一杯詰まっています
人影はなくとも ガラス窓の下の傷んだ板戸さえ魅惑的です
撮ってみたいです
改札口のアーチ状も その錆びさえも
私にとっては たまらない被写体です
叱らないでね
風太郎様の撮影意図とは異なっているけれど・・・
私の直な感想です
りらさま
この駅が賑わっていた頃を知っている目線では、ついその賑わいの残り香を探そうと躍起になってしまうのですが、
絶対的な「今」と向かい合う目線では、ある種のオブジェとしての不思議さや美しさに惹かれる、という事なのかなと思いました。
同じ被写体であっても見る人の背景によって異なる記号となる事。
当たり前のようで大事な事に気付かされました。有難うございました。
でも実は私も無意識のうちにりらさんに近い目線で見ていたかも知れません。
雪で曇ったガラスには柔らかな美しさを感じましたし、吹き込んだ雪には自然の造形の妙を感じました。
「背景」という奴も、時の流れ、齢の重なりと共に少しづつ変わっているのかも知れませんね。
写真を撮るという作業も、なかなかに深遠です。
こんにちは
ひとの生活圏にあって、駅にも生活のシミが沁み込んでいたのは こんなにも当たり前だったのですよねえ
その戸のカタカタ音まで聞こえてきそうで 昔住んでた家を思い出します
私の子どもの頃はどこもこんな戸や屋根でしたから・・・
戸ば雪で詰まってしまんねぇし、しまんなぐなっだうえに開がねえし、お湯で溶かしてもすぐシバレさるし じょっぴんかるにも穴がシバレてきつかったべさ~お写真見ただけで一連の作業がよみがえる(^^;)
思えば 自分の家のほうが 駅よりもずっとずっとはやくに
木の戸や壁ではなくなり アルミサッシとコンクリの家になり 積雪よけに土台は高くなり カタカタ音もすき間の風も雪もなくなりました
私の実家近くの駅舎は 3年ぐらい前にようやく建て替えられて
それを帰省した際に見たときにはその近代的?未来的?なハコと以前の姿とのギャップにがっかりしましたが 駅舎に罪?はなく・・・
生活の苦みの混じるシミを、にじませなくなったり避けたりするのは仕方ないことなのかな なんて・・・
でも でも
お写真のような建物ばかりの場所にはおヨメさんはこない・・・そんなようなことが本に書かれてたことも忘れてはいませんが、
津軽鉄道のお写真拝見しただけでも、このまま在り続けてほしいと わがままについ思ってしまいます
風太郎さま
学生時代には行ったことがなかった駅の一つ。
エアブラシで吹き付けたような雪が織りなす
建物の表情は、人気のない駅の絶対温度をグッと下げて
さらに色気を消すことにより冷たさはエクスタシーとして伝わります。
Jam さま
こんばんは。
都会に生まれ育った風太郎の弱みは、薀蓄を垂れる割には
写真に写っているような土地に根を下ろして暮らした事が一度もないという事で、
冬の酷寒のようなものを生活体験として持っている人の前ではどこかまやかしを見透かされているようで、
ドキリとさせられるところがあります。
それは所詮通りすがりの旅人の視点でしかなく、
撮る写真も、津軽→陰鬱で厳しい自然→雪に塗れたボロボロの建物、といった
都会人のステレオタイプな先入観をなぞって何となく分かり易い写真にまとめている、という事なのかも知れません。
音威子府でも都会人が「わあ、キレイ」と喜ぶような極低温下の風景が、
地元の人にとっては「シバレあがった」故郷の負の姿に映っている、という類のギャップに憂いを感じたり。
旅の途中に土着の風土と向かい合う、という作業の本質的な矛盾は解決のしようがありませんが、
旅人にしか持てない視点の表現に何らかの価値を見い出したいという願いも切なるところです。
多分Jamさんが書かれている事は全く別の意図と思いますが、何となくそんな事を考えてしまいました。
若い頃程無邪気に撮れなくなっているのは、成長なのか、退化なのか、どちらでしょうかね。
狂電関人さま
私も津軽鉄道の駅は金木以外、あまり撮り込んだことも無く、
記憶のフイルム以外ではあまり残っているものが無いのが残念です。
当時の地方私鉄の、ごく平凡で当たり前の風景だったように思います。
映像が残っていない分、風の音とか石炭ストーブの匂いとか、そんなものがむしろ鮮明に思い出されますね。
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