深名線 添牛内 1988年
これで良しとフレーミングしたはず。 しかしワンショット限りの写真とは時に罪なものだ。
厳寒の地にあっては心細げな木造駅舎全体の佇まいや、それを包んでいたろう晩秋の枯れ野がいかばかりだったか。
確かめようの無いもどかしさと向かい合いながら、30年の月日が流れた。
四角いフレームの中の添牛内駅は、今も時間が停まったままだ。
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最初で最後の砂かぶり
何という事でしょう! ドラゴンズの強さが止まりません。7連勝してひとつ負けた後また3連勝中。
今年は無観客だの入場制限だの声を出しちゃいけないのと、辛気臭い球場何ぞ行くもんかいと思っていたのに、
この連勝祭りについ誘い出されてしまいました。 それもまたネット裏砂かぶり席をゲッツしたので。

今年最初で最後の観戦です。
先発ロドリゲスは素材はいいもののまだまだ修行が足りんと思っているのだが、案の定リードを許す展開。
ここで負けたら来年まで勝ちが無いじゃないかあと思っていたら、木下の逆転打であっさり。
後はマルチネス抜きでも鉄壁のリリーフ陣が6~9回を完璧に。

6回終了時点でリードしていたら36連勝だそうです。 凄い、凄すぎるぜ! 浅尾岩瀬の時代だってそんな事なかったよ。
さあ巨人をうっちゃって逆転優勝まで浮かれる気は無いけれど、7年連続Bクラスの臥薪嘗胆に遂に夜明けが。
なら最初から勝っとけとは今更言いません。 大野を引き留めて、来年こそハラタツに泡を吹かせるぜ!

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深名線 政和 1987年
夏空に雲は浮かび、ハルニレが陰を落とす。
この何の変哲もない駅に何故足が停まったのか分からない。
そこに駅があったからだ、が答えか。
風太郎4年振りの個展です。
写真展 「 ミンガラーバ! ~ ミャンマー・レイルサイドストーリー ~ 」(東京展) オリンパスギャラリー東京 2020年8月28日(金) ~ 9月9日(水) 木曜休館
(大阪展) オリンパスギャラリー大阪 2020年9月18日(金) ~ 9月30日(水) 木曜休館
※ハガキでは営業時間が10~18時となっていますが、現在のところ11~18時に短縮営業中です。
なお、ギャラリートークならぬ「作品解説」を下記の日程で実施する事になりました。 写真に写らないよもやま話を語ろうと思っています。
(東京) ①8月29日(土) 14~15時 ②9月5日(土) 14~15時
(大阪) 9月19日(土) 14~15時
恐縮ですがオリンパスのユーザークラブ「フォトパス」会員のみ、事前予約が必要な先着10名限定です。
但しユーザーではなくとも会費無料の「ゲスト会員」登録する事により予約出来ます。
一度風太郎のツラが見たいという方、お待ちしております。
「フォトパス」会員登録、「作品解説」の予約、写真展の詳しい概要、営業時間などの最新情報は下記ページ参照の事
オリンパスHP 写真展ガイドHPはこちら
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宗谷本線 音威子府 1988年
下りホームに到着したのは裾の絞りが無いのが特徴の、珍しいキハ24。
水銀灯のヤード照明に加えて照明器具が多彩になったこの当時の駅構内は、独得な光の饗宴の場でもあった。
それにフイルムの感光特性というエフェクトも加われば、非現実的な程の発色には少し引いたけれど。
凍れる不夜城とも称された鉄道の要衝音威子府の、それは最後の光でもあったように今は思える。
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宗谷本線 音威子府 1988年
いかに暇を持て余していたとはいえ、時刻表を撮るなどフイルムの無駄にしか思えないところもあったのだが。
1988年1月、天北線在りし頃の音威子府駅である。まだ開通以来の木造駅舎が建っていた。
気動車化される直前の「急行天北」の表示も見えれば、深夜発着する上下の「利尻」、
そしてなんと4時台発の天北線始発列車もまだあったんだなあと感慨深い。
厳寒の夜この待合室に居座り、下り利尻を撮った後、興浜北線に流れるこの始発列車に乗ったのはこの写真の4年前のことだ。
発着のランプの点灯も見れば、朝9時過ぎ位にこの写真を撮り、多分幌延行きの各駅停車に乗ったんじゃないかと思う。
ならば乗車中に撮った写真を見る限り、この日の宗谷地方は白い闇のような猛吹雪に閉ざされていたはずだ。
旅の情報が濃縮された「駅の時刻表」は、消えかけていた記憶の糸に繋がるものであれば、糸同士を再び結び合わせてもくれる。
フイルムの無駄じゃなかったと気付くには、その後流れた長き時間も必要だったようだ。
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湧網線 計呂地 1981年
オリンピックも終わっちゃいましたが前評判の盛り下がりとはうらはらに楽しませてくれましたね。
しかしカーリングって面白いねえ、と改めて。大トリとも言える銅メダルには風太郎も目頭が熱くなりました。
藤沢以外全員の出身地、常呂町は今は北見市の一部らしいけど、オホーツクとサロマ湖のほとり、
ホタテが特産の小さな町の盛り上がりもさぞやと。
五月チャンをはじめルックスも話題になったが、重さ20キロというストーン ( 時々その重さに放り出したくなるフル装備の風太郎カメラバックの2倍近い重量 )
を片手でひょいと返して裏を拭いたりするのは相当な筋力と思うぞ。
件の五月チャンも普段は北見市の普通のOLとの事。決して恵まれた競技環境とも言えない中での快挙に価値がある。
風太郎がご縁のあった音威子府の高校の卒業生も、スキー競技に二人出場した。 ( ノルディックとバイアスロン女子 )
冬季オリンピック故もあろうが、日本の片隅の北の町に陽が当たるのもいいね。
さて写真は網走から常呂を経由して湧別に向っていた湧網線。計呂地~芭露のサロマ湖脇の区間。
事前情報も何も無く地形図だけ見て此処ならと下車して安直にパチリだし、右側に道路があるのか何とも窮屈な構図だが、時事ネタに免じて。
車内は地元の人はもとより、リュックにラジカセまで抱えた旅の若者で一杯だった。
確か台風が近づいていたと思う。 憂いを含んだ北国の短い夏。
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