磐越西線 徳沢 1987年
町からの列車が着いた。
商いの荷は軽くなっただろうか。
「鉄道アートサロン写真展」行ってきました。 端から大入りは安定の鉄系写真人気。
プリントは、◎です。ターゲットプリントそのままですから文句なし。
しかし周囲を圧する1960~1970代からのタイムスリップ感が凄い。 これは2019年、デジタルテクノロジーの産物ですからね。
この状況下でのスカートの短さに驚くオバチャン多し。 「聖子ちゃんカットと同じで、これもまた時代の記録なんですよ。」と解説している。
© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村
スポンサーサイト
磐越西線 山都 1983年
山都の谷は厳寒期の終わりも感じさせる。
最後尾はスユニだろうか。 荷物・郵便輸送も担った旧客生活列車も最晩年の姿である。
鉄輪は響けど単調なリズムは微睡も誘う。
時の流れも緩やかな各駅停車である。
磐越西線 1982年
NHKBSでやってる「世界サブカルチャー史日本編」、先日は「1980年代」。大いにドキドキしながら見た。
何故なら「たまゆら写真集」の巻末で1980年代についていろいろ放言しており、既に校閲校正が終わって直しようが無いから、
NHKさんが、あっと言わせるような「時代の読み解き」をかましたらどうしよう、ということ。
番組冒頭、原田知世が指鉄砲で「バーン」。 「私をスキーに連れてって」の一場面なのは、来たかあと思いましたね。
”真っ白なゲレンデでヒロインが撃ち抜いたのは、トレンディで楽し気なこの時代そのものだったのか”
切り口が「サブカルチャー」だから独特な視点はあるものの、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「なんとなく、クリスタル」、「プラザ合意」・・・・
「見立て」はあまり違わなかったかと、少しムネを撫でおろした。 「YMOのテクノポップ」は気が付かなかったなあ。
ひたすら軽く、能天気な享楽に興じた挙句のバブル・・・結末が結末だからこの時代は基本的にネガティブに語られることが多いけれども。
”80年代はどこか重層的な逆説に満ちていた。そのシグナルに気付き、裏も表も楽しめたかで、この時代の評価は変わって来る"
重層的な逆説とは、政治にしてもカルチャーにしても一人の人間の中に肯定と否定が同居する、迷いと不安を言っているように思うけど、
風太郎的な曲解では、「図らずも取り残された、いにしえの鉄道」と、確実に進む「鉄道の変質と刷新」は奇妙に重層していて、
それは鉄道の様相というより、それを支え支えられた社会の、急速な変質の写し絵だったよなあと思ったり。
そのシグナルに気付いたつもりではいたけれど、目の前の時間を結構無邪気に楽しんだのだから良き10年間だったのか。
次回は3/25夜、いよいよバブルが飛んで1990年代に突入しますぞ。
ある時代を読み解くにあたり、「その前」と「その後」って大事だよなあと最近思うので、また一生懸命見る。
© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村一日僅か一往復の列車で学校に通う子供たち。
公立学校もあれば仏教寺院による運営の伝統的な寺子屋まで、
全てが行き届かないまでも、人づくりの努力は地道に続けられていた。
クーデター以降、地域社会の崩壊もあって教育から見放された子供が急増している。
この国に何より必要なのは教育と、誰もが疑わないことなのだが。
ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。
日中線 会津加納 1984年
これが今年最後の更新になります。 1年間お付き合い頂きありがとうございました。
私事ながら今年は長年勤めた会社をリタイア、新生活を始めるという大きな変化の年になりました。
不思議なもので何かのスイッチを入れると、それまで停滞していたものが一斉に動き出す感じがします。
「写真集出版」もそのひとつだったのですが、残念ながら今年は間に合わず。 いやお楽しみが長く続くとポジティプに。
せっかく獲得した人生の夏休みを、ただ流されぬよう、来年も様々なスイッチを入れ続けるよう、自分を鼓舞したいと思います。
テールランプは「終わり」のシンボルに思えて探したのですが、随分昔まで遡ってしまいました。
38年前、廃止間近の日中線です。 去り行く汽車に惜別の想いも写っていますでしょうか。
妙に大きなテールランプは開放絞りによるレンズ収差の悪戯かもしれませんが、
滴るような紅は、「その時」の気持ちの揺れをも記憶中枢の底から蘇らせてくれるような気がします。
確実に遠くなってゆく記憶。 そして新たに刻まれてゆく記憶。 人生を豊かにする記憶を来年もまた。
良いお年を。
© 2011 風太郎のPな日々 All rights reserved
にほんブログ村ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田さん、10年の刑が下りながら無事に解放、帰国出来てよかった。
現場に立った人間にしか分からない真実を伝えてもらいたい。
それにつけても判で押したような自己責任論を振り回す、SNSスズメのやかましい事よ。
曰く素人だの、活動家だの、国は助けるなだの。 プロが及び腰だから忘れられようとしているのだよ。
そしてキミらが毎日毎日拳を突きあげている、ウイグルだのウクライナだのにおける非道は、
有名無名を問わず、命懸けのジャーナリストがいるからキミらの耳に入ると知りなさい。
ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。