別れの流儀

日中線 熱塩駅のホーム7 1984年2月 日 16bitAdobeRGB原版take1b2

   日中線 熱塩   1984年






今夜は訳の分からない写真と風太郎のおセンチな話に付き合って頂こう。


廃止路線や廃駅との切ないというより、騒々しい別れが繰り返される昨今である。

それまで冷たい扱いしかしなかったマスコミは、絵になる絵になると手のひらを反して騒ぐし、

ある種の劇場なのか、応援ボードならぬありがとうボードの乱立やら、最後の絶叫やら、大音響のBGMやら、地元ゆるキャラの見送りやら。


でもそれは風太郎にとってはどこか30年前のデジャビュでもある。

国鉄再建の名の許に、途方もない数のローカル線が全国津々浦々で一度に失われた時代があった。

あまりに数が多過ぎてマスコミも追い切れなかったのか、大した報道も無かったような気がするが、

それでも各地で派手なサヨナラ列車が出て、もともと単行すら持て余していた路線に7両編成がスシ詰めで走ったり。


地元には地元の想いもあるだろうし、お祭り騒ぎで送り出したいなら優先権は彼らにある。

葬式鉄に群がる人達の理解も難しいが、他人の趣味嗜好をどうこう言うのも天に唾するようなものだから止めておこう。

しかし本来のローカル線のかたちは、淡々と、静謐に、その土地の普段通りの時間の流れと共にあるものだ。

そんなだから廃止になってしまうというのも真なりであるが、それに惹かれていたから遠い旅を重ねてやって来る価値があったのだ。

せめてその鉄道が本来の姿かたちを留めているうちに、一人そっと別れを告げたい。

あれ程好きだったのだから、別れに自分の流儀があってもいいじゃないか。


日中線の廃止は1984年3月31日。

それは風太郎の流転の学生生活がとうとう終わり、翌日から長きにわたるサラリーマン生活が始まる日でもあったのは何かの符丁だろうか。

抗えぬひとつの時代の終わりに自分らしく幕を下ろしたく。それは喧噪とも無縁な廃止のひと月前には終えたかった。


熱塩駅に停車した客車の最後尾デッキに立てば、暮れなずむ雪原に終端標識がぼんやり灯るのが見えた。

やがていつものようにホイッスルが響き、ガタンと動き出す客車。

事実上の回送だった夕刻の上り列車に、乗客は自分一人ではなかったかと思う。

ゆっくり遠ざかっていくX字形の灯りが次第に滲んだのは、舞い上がる雪煙のせいばかりではなかったろう。

それが今を生きている熱塩駅を見た最後。


あれから33年か。思えば遠くへ来たものだ。








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[ 2016/12/22 23:34 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(10)

ホッパーが立つ駅

赤谷線 東赤谷駅全景2 1983年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b

   赤谷線  東赤谷     1983年









国鉄赤谷線は、国内では珍しい鉄鉱石を産する赤谷鉱山への専用線を出自とする。

この深い山峡に盲腸線を伸ばし、終着東赤谷手前の急勾配はスイッチバックまで作ってやり過ごすという執念の建設は、

それが軍事物資そのものでもあった故だろう。

戦後になっても営々と採掘は続けられ、往時は鉱山関係者の100戸を越す集落で賑わい、銭湯まであったという。


東赤谷構内の外れには大きなホッパーがあった。

ここから更に先にある採掘現場から専用線で運ばれた鉄鉱石をホッパーを使って国鉄貨車に積み替えたもの。

風太郎は特別興味があった訳でも無いが、産業機関車も見える専用線はその筋の人にとっては垂涎ものだろう。


この翌年に赤谷線はその歴史を閉じる事になる。

豪雪期故の開店休業なのか、それとも既にその機能を止めていたのか。

ホッパーは冷え冷えとした空気のなかに静まり返っていた。










赤谷線東赤谷駅のホッパー2 198年月 X970 AdobeRGB 16bit 原版 take1b


赤谷線 東赤谷駅1 1983年2月  AdobeRGB 16bit 原版take1b





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[ 2016/11/20 21:01 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(8)

キハユニ

会津線 湯野上 キハユニ1 1980年11月 16bitAdobeRGB原版take1b

    会津線 湯野上  1980年









この頃でもごく当たり前に見る事が出来た列車による小荷物・郵便輸送。

道路未整備等様々な理由もあったのだろうが、ローカル線がライフラインとして機能していた象徴でもあった。

しかしその積み下ろしをちゃんと撮っていないのは痛恨事のひとつ。ヘタレた写真ながら辛うじて写っていたので。

キハユニ26が朝刊を満載しての到着である。右側には郵袋を下ろす郵便局員?も見える。

荷物室にはどうやら3人も乗り込んでいたらしく。

経済性はともかく、短い停車時間での積み下ろしはなかなか忙しい作業だったろう。








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[ 2016/09/29 21:08 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(4)

デッキの風

五能線 デッキからの景色2 198年11月 16bitAdobeRGB 原版 take1b

    五能線   1982年








この頃の旧型客車は、ごく当たり前にデッキのドアを開け放したまま走っていた。

危険といえば危険だし、実際に事故もあったに違いない。

しかし1980年代半ばに至るまで数十年、こんな客車が大手を振って走り続けたのは、

利用者と鉄道の互いの責任意識に基づく暗黙の約束がそこにあったからだろう。


潮の香りが風に乗って飛び込んでくる五能線のデッキは、大らかに解放された旅心が湧きあがる場所でもあった。



昨日より本屋に並んでいる「国鉄時代」最新号の誌面を、五能線で6ページ程汚しております。








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[ 2016/09/22 13:19 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(6)

煙は残る

磐越西線 秋撮影地不明DD51客レ3 1982年9月 X970 AdobeRGB 16bit 原版take1b

   磐越西線  撮影地不詳    1982年






風太郎もたまにはこういう絵を撮った。

いや撮ったというより線路際を朦朧と歩いていたら、たまたま来たから撮らされたというのが正しいか。

だから場所さえ分からない。山都か荻野あたりのSカーブじゃないかと。

写真展会場では罐のナンバーが確認出来なきゃダメだったんだ、という鉄の縛りの話を古老から聞いたが、これは確認できるな。

DD51506番。どの位有難味があるのかもよく分からないが。

汽車は去りゆく、煙は残る。次第に深まってゆく秋の気配と共に在れば良し。







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[ 2016/09/08 20:30 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(4)