下校時間

蒲原 高松の下車客1 1985年2月 AdobeRGB 16bit 原版 take1b

   蒲原鉄道  高松    1985年







夏の写真展ではいろいろな人にお会いすることが出来たが、蒲原沿線の小学校事情を教えてもらえるとは思わなかった。

自分も撮ってましたというその方曰く、沿線中央部には小学校が2校あった。ひとつは寺田、ひとつは七谷。

寺田-大蒲原-高松-土倉-冬鳥越-七谷と続く沿線のうち、村松町と加茂市の境があった高松と土倉の間に学区の境界線もあったという。

当時そんな事は意識する事も無く初耳だったが、写真を見返せばなるほどそんな電車通学の流れになっていたと膝を打つところだ。

大蒲原駅では通学の小学生は見かけなかったが、これはひと駅位歩けと言う事だったのだろう。

夕刻、寺田方面からの電車は多分高松集落の子供達を乗せて。

まだ此処から20分は雪道を歩く道のりだ。


村松加茂線最後の冬である。

雪が解けて子供達の学年がひとつ進む頃、ここに線路は無い。







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[ 2016/12/27 20:02 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)

温もりひとつ

蒲原鉄道 大蒲原駅ホーム11 1982年 月 日 16bitAdobeRGB原版take1b2

   蒲原鉄道  大蒲原    1982年








動力電源と付帯設備用の電源が共用されていた蒲原鉄道は、

送電時間中は常に構内照明が点灯していたように記憶している。

昼行燈の如く明るい時は目立たない白熱電球も、夕闇が迫るにつれその存在を主張するのだった。

黄色い光が、冷え冷えとした雪原に一点の温もりを灯す。








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[ 2016/11/30 21:38 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)

迎える

蒲原鉄道 七谷駅のホーム1 1982年9月 X970 AdobeRGB 16bit 原版 take1b

   蒲原鉄道  七谷   1982年








朝も夜も一人きりの駅長は、そのたびに律儀に白い手袋をはめて列車を迎えた。











( 写真展漫遊録 )


sugimoto1b2.jpg






東京都写真美術館に「杉本博司 ロスト・ヒューマン」を見に行く。

「海景」シリーズが代表作ながら、写真家の範疇に留まらぬその多才ぶりが妬ましい程の「世界の杉本」である。

写真展を見に来たはずがいきなりガツンと食らうのは、「世界の終末」をイメージした何とも重いインスタレーション群。


「蜂蜜を搾取される事にとうとう気付いた蜜蜂が生きる事を止めた世界」

「自由とは自由の不可能性に支えられて理想になり得ると悟った自由主義者」

「人ゲノム遺伝子情報が解読し尽くされ、一生のスケジュールが確実に予測できる未来」

「草食男子に覆い尽くされて子供が生まれなくなった世界」


その数33点。


古美術品の収集家とも聞いていたが、錆びついた琺瑯看板やら破れかけたポスター、旧日本海軍潜水艦の自爆装置、

果てはダッチワイフまで持ち込んだ作品群に沈黙させられた後は、スクリーンと映写機を持ち込み、映画一本分の長時間露光で捉えた劇場の廃墟。

無数の物語が累積された光は何を映すか。


最後は「仏の海」と題された自然光撮影による三十三間堂の仏像群。仏は末法思想に抗し衆生を救うため祈り続ける。

千年の昔から現代まで尽きる事の無い「世界の終末」のイマジネーション。


人類と文明が遺物になる前に、アートは何を伝え得るか。少なくとも写真とは写真の為にあるのではないと聞いた気がする。

入場料千円を高いとみるか安いとみるか。それは、あなた次第です。






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[ 2016/10/29 22:11 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)

虚ろな夏   30年目の蒲原鉄道     その10

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   蒲原鉄道 七谷駅跡    2015年  







往時の面影を最も濃く残すのは、この七谷駅跡だろう。

駅舎は地元の集会所として今も活用され、コンクリートのホームもはっきり形を残している。その奥の二棟並んだ農業倉庫もそのままだ。

ホームの周囲の草叢がきれいに刈られているのは、これを記憶を継ぐものとしたいという、誰かの意思だろうか。


在りし頃。

駅の周辺こそ人家は疎らだが、列車の時間が近づけばどこからか集まる人々で小さな駅舎は結構一杯になるのだった。

それは此処が上下交換駅で、二列車分の乗降客を相手にしていた事とも無関係ではないだろう。

運転上の要衝でもあるから独りの駅長が常駐し、朝に夕べに列車を迎え、送り出していた。







七谷夏のホーム1 1981年8月31日 Adobe16bit 原版take1b

  蒲原鉄道 七谷     1981年
  
蒲原鉄道 冬の七谷駅俯瞰1 198年月 16bitAdobeRGB原版 take2b
  
    1985年





中央の手を借りることなく、地元有志が資金を拠出しあって未開の山野を切り拓き、

1930年に開通した村松~加茂間の鉄路は結局55年間の生涯だった事になる。

幾多のエネルギーが注がれた公共財が人の一生より短い期間で失われる現実。

地域が衰退するから鉄道が失われるのか、鉄道が失われたから地域が衰退するのか。

例え民営であろうとも公共輸送としての性格を持つ鉄道は、相応の理由なしに無くせないものである事は事実だから、

答えは前者と考えるのが妥当だろう。

しかし村松加茂線は最後まで1日12往復、1時間ヘッドの運転間隔を維持し、朝夕は座りきれない程の混雑だった。

それが地域でいかに信頼を得ていたかは、何より昔日の写真が如実に語るではないか。

代わりに大金を投じて整備され、冬季の除雪をはじめ維持コストも膨大と思われる国道290号線は、今通る車も疎らで、

廃止の見返りに同区間を並行して走っていたバス路線も既に消滅した。

鉄道のみが抜け落ちたムラの風景は、この土地が覆い隠せない停滞、そして衰退にある事を感じさせる。

地域の振興、活性化とは誰のためにあるのか。



それはともかく。

風雪に耐え、そこに生きる人々の日々の業を支え続けた鉄道は、いつしか目には見えぬ魂をこの地に遺した気がする。

繰り返される日々の暮らしの泣き笑いや、地道な労働が折り重なった場所に宿る、情念のようなもの。

そんな魂のさざ波は、時を超えて此処に立つ人の心を微かに揺らしはしないか。

たとえその痕跡があめつちに埋もれ果てても。



( 虚ろな夏  30年目の蒲原鉄道     おわり )











蒲原鉄道 冬の七谷駅夕暮れの乗客4 198年月 16bitAdobeRGB原版take1b

   1983 年



kanbara201509_4425take1b.jpg

   2015年








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[ 2016/07/03 19:20 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(10)

虚ろな夏   30年目の蒲原鉄道     その9

kanbara201509_4344take1b.jpg

    蒲原鉄道 高松駅跡    2015年







駅から10分程山間に入ったところに隠れ里のような高松集落があり、

朝な夕なに、このささやかな駅は結構な利用者で賑わうのだった。

時は流れ、あの人々は今何処で日々の暮らしを紡いでいるのだろう。








蒲原鉄道 夕暮れの高松 1981年9月 16bitAdobeRGB原版 take1b

   蒲原鉄道  高松     1981年


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    蒲原鉄道 高松駅跡    2015年


蒲原鉄道 高松駅の朝2 1982年2月16日 16bitAdobeRGB原版 take1b

   蒲原鉄道  高松     1982年   








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   金割鉱泉 (廃業)     2015年




時に置いていかれた風景がもうひとつ。素朴な湯宿だった金割鉱泉は数年前に廃業したらしい。

農閑期の癒し場としてそこそこ賑わっていたようだし、何より高松駅から徒歩1分という泣かせるロケーションながら、

一応温泉旅館だからそこそこのお値段で、結局一回きりしか泊まらなかった。部屋の窓からのプチ俯瞰も懐かしい。

結構気張った建物だったはずだが、今は夏草に埋もれるばかりである。






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[ 2016/07/01 20:03 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)