蒲原鉄道 東加茂 1983年
木造ながらモルタルを丁寧に塗り込めた重厚な外観、見上げるように高い天井、大きな洋式昇降窓。
かつて加茂の街の中心は信越本線駅前ではなく、この駅の周辺だったという。
旧本社を兼ねていた村松駅にも匹敵する建物の気張りようは、そんな往時の賑わいも背負っていたのだろう。
野を越え山を越え未開の地に二本のレイルを伸ばした事業はベンチャービジネスそのものであり、
その象徴でもあった駅に漂ういにしえの起業家のロマンの香りは、官僚的に形式化された国鉄駅では味わえないものだ。
全通後60年余り、村松加茂線の廃止後程なくしてこの駅舎は取り壊され、道路となった今はその痕跡すら残っていない。

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蒲原鉄道 駒岡 1981年
わざわざここまで登って来たのに。 他人と違う写真に対する執着だけは強かったはずなのに。
あー平凡と落胆しつつ押したシャッターが聞こえるようだけど。
今この線路はバンとした舗装道路になってるし、田んぼのハザ木なんか消滅してるはずだし、
電車は誰かの私的コレクションになってるらしいし。
平凡が平凡のままであること、かくも難しき。
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蒲原鉄道 大蒲原 1983年
富士山の山頂に満月が掛かる 「パール富士」 の写真が富士山フォトコンの最優秀賞になったら、
「熱血富士山撮影軍団」 のじいさま達が 「これは合成だ」 と騒ぎ出し、泥仕合になったらしい。
「パール富士」ねえ。
風太郎には 「ひっくり返したご飯茶碗の上に何ともアンバランスに引っ掛かったパチンコ球の図」 にしか見えないけどねえ。
ガチにせよ合成にせよ、泥仕合が必要な程の写真なのか知らん。
「あなただけの富士山を発見しろ。富士山は静岡山梨県境だけではない。ムラの外れの一本杉だっていいじゃないか。
雨の日、風の日、あるいは星月夜にそそり立つ一本杉の写真などがぼくの目に浮かぶのだが、だれもまだそんな写真は見せてくれない。」
土門拳
言われて答えるなら、風太郎にとっての一本杉はこの大蒲原駅だったろう。
この当時は決して珍しくも無かった、ごく普通の、よくあるムラの停車場である。
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蒲原鉄道 狭口 1982年
長い冬が終わろうとしている。
まだ浅い春の陽が穏やかに降り始めた。
ようやく顔を出した線路敷にも。
除雪を手伝う駅長の息子のイガグリ頭にも。

大蒲原
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蒲原鉄道 大蒲原 1984年
雪国に足繁く通っていると、それと教えられなくとも忍び寄る雪の匂いを感じる時がある。
雪雲が呼ぶ湿度が枯れ野の匂いを低く澱ませたような。
底冷えのする待合室にストーブはまだ出されていないようだ。
木枯らしがガラスを鳴らし、身を寄せ合う人々の少し低めの会話が響くのだった。
初雪が遅かったこの冬、豪雪の知らせは数日後に届く。
(明日から日本海の荒波を眺めて来ますので、暫くお返事できません。)
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