同和鉱業片上線 苦木 1981年
車両そのものに疎い風太郎も資料があったので多少蘊蓄を垂れる事も出来る。
辛うじて車番が読める 「キハ303」 は国鉄キハ41071として1934年に完成、1952年に払い下げを受け、
エンジン換装や液体変速機への改造、二灯化改造等を重ねながら1991年の片上線廃止まで主力であり続けた。
切妻化など無残な改造を受けた仲間も多い中で、原形の四枚窓を最後まで維持して戦前型気動車の面影を伝えていた。
昭和を駆け抜け平成まで生き永らえたそれには、機械油と共に60年分の人の汗が染み込んでいたに違いない。
今は廃線跡に動態保存され、エンジン音と共にいまだ終わらない時を刻んでいる。
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一畑電鉄 津ノ森 1981年
ホーム自体は今もあまり変化が無いようだけれど。
木組みの上屋が見てきた世の移ろいを、そっと尋ねてみたい。
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山陰本線 馬路 1983年
波打ち際から裏山の懐へ田舎道は曲がりくねりながら伸びて、馬路の里は穏やかな陽差しのなかに在るのだった。
しばしの午睡を破るように、「まつかぜ」の轟音が響いた。
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加悦鉄道 丹後山田 1982年
ローカル私鉄巡りの楽しさは、その鉄道オリジナルや、とうの昔に国鉄線上から姿を消した珍車に出会える事だった。
国鉄接続駅に降りて構内の隅にひっそり佇むそれらを認めれば、ああ来たなあと感慨深かったもの。
宮津線丹後山田から分かれていた小私鉄、加悦鉄道のキハも向かい側のホームで客待ち顔だった。
本当は北海道生まれ、オハフ62を気動車化した超珍車キハ08がお目当てだったのだが、
払下げのキハ10運用で撃沈。(今となっては贅沢なものだが)
行ってみなきゃ分からないのも、バクチ的な楽しさだったと負け惜しみ。
外観を撮ってもつまらないので中から。間もなく宮津線の接続列車が到着するのだろうか。
アイドリングが響いていたか、それとも足音が高く聞こえる様な静かな発車待ちだったか、
その記憶は曖昧になってしまった。
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山陰本線 折居 1983年
きらめく日本海を望む待合室。
出札口に手小荷物の窓口、奥で机に向かう駅員氏。かつての駅のごく当たり前の形だ。
長旅の途中、確か200円也の料金を払って重い生活用具一式の一時預かりを頼み、
カメラだけの身軽な体になれるのも有難かった。
上原謙と高峰三枝子のフルムーン広告も懐かしい。
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