移ろい

_3059一畑電鉄 津ノ森駅のホーム1 1981年11月4日 原版 take1b2

    一畑電鉄  津ノ森     1981年







ホーム自体は今もあまり変化が無いようだけれど。

木組みの上屋が見てきた世の移ろいを、そっと尋ねてみたい。








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馬路の午後

山陰本線 馬路15 1983年11月 16bitAdobeRGB原版take1b
    
     山陰本線  馬路     1983年






波打ち際から裏山の懐へ田舎道は曲がりくねりながら伸びて、馬路の里は穏やかな陽差しのなかに在るのだった。

しばしの午睡を破るように、「まつかぜ」の轟音が響いた。







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接続駅

加悦鉄道 1982年11月1日 16bitAdobeRGB原版 take1b   

    加悦鉄道  丹後山田      1982年






ローカル私鉄巡りの楽しさは、その鉄道オリジナルや、とうの昔に国鉄線上から姿を消した珍車に出会える事だった。

国鉄接続駅に降りて構内の隅にひっそり佇むそれらを認めれば、ああ来たなあと感慨深かったもの。


宮津線丹後山田から分かれていた小私鉄、加悦鉄道のキハも向かい側のホームで客待ち顔だった。

本当は北海道生まれ、オハフ62を気動車化した超珍車キハ08がお目当てだったのだが、

払下げのキハ10運用で撃沈。(今となっては贅沢なものだが)

行ってみなきゃ分からないのも、バクチ的な楽しさだったと負け惜しみ。


外観を撮ってもつまらないので中から。間もなく宮津線の接続列車が到着するのだろうか。

アイドリングが響いていたか、それとも足音が高く聞こえる様な静かな発車待ちだったか、

その記憶は曖昧になってしまった。






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駅の窓口

山陰本線 折居1 1983年11月 16bitAdobeRGB原版 take2b  
   山陰本線   折居     1983年




きらめく日本海を望む待合室。

出札口に手小荷物の窓口、奥で机に向かう駅員氏。かつての駅のごく当たり前の形だ。

長旅の途中、確か200円也の料金を払って重い生活用具一式の一時預かりを頼み、

カメラだけの身軽な体になれるのも有難かった。

上原謙と高峰三枝子のフルムーン広告も懐かしい。






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余部鉄橋物語

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    「余部鉄橋物語」  新潮社






「余部」に並々ならぬ思い入れを持つ狂電関人さんから借りた「余部鉄橋物語」を読む。

この大鉄橋の生い立ちから終焉までの物語を丹念に取材したノンフィクション。


風浪激しい日本海から至近という立地は当初から懸念され、明治の土木技術者は当時まだ技術的に確立していなかった

「鉄筋コンクリート橋」を推していた、という事実は初耳だったし、その後の宇田郷など見ればあながち間違いでは無かったように思うが、

「役人は前例のない事をするものではない。」という反対も、いかにもではある。


頑迷な前例主義が生んだ大鉄橋は、皮肉にも稀有な鉄道景観をもたらしたが、同時に「錆」との長い長い闘いの歴史も作る事になる。

「橋守」と呼ばれ、この鉄橋下に住んでそのメンテナンスに生涯を捧げた人が居た事も初めて知った。

そして山と海に隔絶された余部の集落に暮らす人にとって、鉄橋は希望であると同時に災いをもたらすものであった事も。

氷塊から自殺者まで降ってくる現実、そして1986年に地元の人をはじめ6人が亡くなったあの「みやび転落事故」。

さまざまな矛盾を抱えながらも、それでもおらが故郷の鉄橋として愛おしむ、「鉄橋と共に生きた村」の物語が胸を打つ。


隔絶された僻地に文明をもたらした鉄道とそれを支えた土木構造物は、いつしか単純な「機能」を離れ、

幾多の人々の魂を宿すものになった事を知らされる。


風太郎は実は大してこの鉄橋を撮っていない。

あまた撮られている名作の後塵を拝するより、鉄橋下の集落に興味があった位だが、

この本を当時読んでいたらもっともっと気合が入っていたろうになあと思う。


以前の再掲ですが。






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   山陰本線  余部    1990年 


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