
津軽鉄道 金木 1982年
ことフォーカスの範囲を車両に限定しなければ、そこに風土や世俗が色濃く写るのが 「鉄道の写真」 の味わいだろうと思う。
この当時でさえ都会と地方の同質化は多く語られていたけれど、
ローカル線の片隅にまで出掛ければ、そこには明らかに都会とは異質な生活の習俗があるのだった。
好天に上り列車のホームは賑わう。
津軽女性の伝統的な正装とも言えた 「スカーフ」 の季節が来たようだ。
風も冷たくなった、ある晩秋の一日である。
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津軽鉄道 1984年
今はすっかり観光目的になってしまったストーブ列車も、この当時はごく普通の生活列車だった。
席を埋めた学生たちも下車し心なしか温度も下がったような車内にあって、
石炭ストーブ脇が特等席になるのは当然だったろう。
しかし石炭の火力は立派なものでむしろ暑い位のそこにあって、窓辺の冷気が顔に心地良くもあった。
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津軽鉄道 芦野公園 1983年
ミャンマー編もそろそろ終盤ですが、もろもろ閉塞状態なのでまた暫く小休止。
線路際の四季は、やはり日本の鉄道に奥深さを加えるものだろう。
厳しい冬をやり過ごし、再び巡り来るたおやかな春を迎える。
その繰り返しが芳醇なふるさとの物語を紡ぐ。
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津軽鉄道 金木 1983年
こういう写真は銀塩プリント泣かせというか、いや返って楽勝というか微妙なところだけど、
見た目全てが真っ白けになってしまう津軽の地吹雪をどんなトーンで出すのが良しとするかは、
その時その時の気分の持ちようで左右されたり、技術や平均的解答とはまた別のところにあったような気がする。
霞んで消えそうな築堤の稜線をこれでも出ないかと指先で擦った思い出も遠くなった。
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津軽鉄道 ナハフ1200車内 1983年
西武鉄道の元電車をトレーラーに改造したナハフ1200は、ストーブ列車に使われる国鉄客車とはまた違った雰囲気があって好きだった。
1928年製造とあるからこれもなかなかの老兵である。高度成長期の車両近代化のあおりで西武をお払い箱になった後、
どんな経緯があったか知らないが都を落ちてこの北の地で暮らす事になった。
デッキ無しの三扉に吊り皮・ロングシートまで残した通勤電車のままだが、かえって広々としていて使い易かったのか、
カーテンで仕切って荷物合造車のような使われ方をしていたようだ。
収穫期にはミキストとなるスジに入っていて、小荷物を積み下ろししながらゴロゴロと津軽平野を渡っていたが、
昼間のスジだったから乗客も少なく、車掌氏も荷物の伝票書きの方が忙しそうだ。
外は吹雪いてもウェバストの暖房装置が付いていたから程ほどに暖かく、軋む車体と刻む轍を子守唄につい居眠りが出そうな午後である。
3両いたナハフ1200は1両廃車になったものの、残り2両はまだ車籍があるらしく。
今となっては出番も無かろうが、結局都会の通勤電車より此処津軽での暮らしの方が長くなった事になる。


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