通り過ぎる夏

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   宗谷本線  恩根内     2012年






レールは陽炎に揺らぎ夏草は光る。

北辺の短い夏が、風のように通り過ぎてゆく。







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[ 2017/08/12 19:54 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

タウシュベツ

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   士幌線旧線 タウシュベツ川橋梁    2017年6月







天気回復した事だし、夕張のおまけで前から見たかった「タウシュベツ」を目指して大雪の懐へ。


タウシュベツ川橋梁は1933年に士幌線建設のため架橋。

コンクリート造ながらローマの水道橋を思わせる優美なアーチが特徴だったが、糠平ダムの完成により1955年に水没、

以来渇水期に姿を現す幻の橋として有名になるも、80年以上の風雪と水圧は徐々にその躯体を蝕み、

そのアーチ形が見られるのはいよいよ今年辺りが最後ではと聞けば。

林道を4キロは歩かないと辿り着かないと尻込みしていたのだが、糠平温泉の先に全景を見られる展望台があるという事で。








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ただ単に渡河する橋を架けたいだけならもっと単純化した形が合理的と思うのだが、

型枠を使った現場打ちで表面のコンクリート層を作り、内部に割石を詰めこむ特殊工法がコストとデザイン性を両立させたとする。

大雪の太古の自然まで鉄路を伸ばした80年前の鉄道技術者の、秘められた美意識とロマンでもあったろうか。

図らずもここで光が当たるなら、それもまた先人達の時を越えた勝利にも思うのだ。

時は残酷に橋を蝕む。しかし以て瞑すべし。そこには滅びの美をも宿っているようで。






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展望台は国道から森の中をせいぜい200m程度の距離なのだが、何しろこの周辺はシャレにならないヒグマ地帯だし、

冬眠明けの子熊連れだしという恐怖もあってパンパン手を叩きながら用心。

でも新緑からの木漏れ日は眩しく、風は若葉の香りを運ぶ。


結局三国峠まで行く。ここからの太古の森の大展望は何度見ても溜息が出る。

彼方に聳えるのは残雪を抱いたウペペサンケ山。標高1848mの活火山、アイヌ語で「雪解け水をどっと押し出してくる」の意とか。








ウペペサンケ山hokkaido_16157take1b

    三国峠






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[ 2017/07/03 22:03 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(10)

夕張物語 その10    南大夕張

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   三菱石炭鉱業鉄道線 南大夕張駅跡    2017年6月







南大夕張駅があった場所はすっかり荒れ地となって昔を偲ぶ余地もないのだが、

唯一の遺構として上屋を備えたホームと当時の客車が展示されている。

上屋の脇に階段があって登ったところに駅舎があったように思う。

ホームの周囲は広大なヤードで石炭を満載したセキが轟音をあげて行き来していた。







南大夕張構内1 198402 55mm_16243原版take1b

南大夕張駅舎 55mm_16241原版take1b

三菱石炭鉱業 南大夕張 女子高生1 55mmF35_15779原版take1b

   三菱石炭鉱業鉄道線  南大夕張    1984年








保存客車の白眉はやはり3軸ボギーのスハニ6だろう。

車内にも入れるので染み込んだ石炭ストーブの香りを嗅ぐ事も出来る。

1987年の鉄道廃止から30年に及ぶ停まった時間。









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カーブの度に古びた客車は軋みをあげ、3軸ボギー台車が発する「タタタン、タタタン、」の独特なジョイント音に負けぬよう、

満載の高校生達のおしゃべりはひときわトーンが上がる。

厚着で乗れば汗が噴き出すような石炭ストーブの熱量に窓ガラスは曇って、モノトーンの炭鉱住宅街を朧に映していた。









三菱石炭鉱業スハニ6車内3 55mm_16222原版take1b

三菱石炭鉱業スハニ6車内1 1984 55mm_16213原版take1b

   三菱石炭鉱業鉄道線 スハニ6車内    1984年








終着の南大夕張到着は当時の時刻表によれば16時26分。冬の日はもう終わろうとしていたに違いない。

妙に硬いネガは光量不足を読んでかトライXを2段増感していたのではないかと思う。風太郎にしては手回しの良い事だ。



改めてよく見ればスハニ6の展示場所はまさに「その時」の停止位置と分かった。

レンズはスナップ用に多用していた35-105mmズームの広角側一杯、ピントはサボに置きピンだったか。

同じ35mmの画角にセット。








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33年の時は流れ、鉄路は消え、高校生達のざわめきも遠い過去のものとなった。

しかし時を超えて記憶の痕跡が残り、再びそこに立てたなら、それもまた「幸せの在りか」に違いない。








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( 夕張物語 おわり )




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[ 2017/07/01 18:43 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(12)

夕張物語 その9    鹿ノ谷

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   石勝線 夕張支線   鹿ノ谷    2017年6月







雨模様の朝になった。

静寂を破る始発列車のアイドリング。


画面の左側に広がる野原はかつての夕張鉄道鹿ノ谷機関区の跡。

常に5~6両の蒸気が煙を上げていたというそこは、大型木造機関庫からターンテーブル、

そして国鉄では例を見ないアメリカ式の巨大なコールタワーを備え、その威容の一端は前回の「私の夕張」のカットからも窺い知れる。

ホームからは、張り巡らされたヤードを跨いで夕張鉄道に乗り換えるための長大な跨線橋が伸びていた。

この国の運炭鉄道の興隆を象徴するような風景も今は夢の跡である。


下の写真、目の前には大きなターンテーブルがあったはず。そして機関庫、検修庫、各種の詰所が。

唯一の遺構とも言えた木造機関庫が倉庫として近年まで残されていたはずだが、それも取り壊されたようだ。

ワイルドな北海道の自然は原野に還るとなればあっという間に灌木で覆い尽くして、痕跡さえ分からなくなってしまうものだが、

背の低い草しか生えないのは積年に染み込んだ石炭粉やオイル、そして働く幾多の人々に踏み固められた硬い地面故だろうか。

それは歴史の彼方に忘れ去られる事への、ささやかな抵抗のようにも見えてしまうのだ。


再び静けさが戻った駅。

靄の向こうに汽笛と動輪の軋み、そして長大な運炭列車の地響きを聞く。







鹿ノ谷yubari_16074take1






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[ 2017/06/29 23:04 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

夕張物語 その8    「私の夕張」

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「夕張鉄道」ならともかく、「私の夕張」ってタイトルからして何だよ、立ち読みに開いてみればまた仰天の中身。

1970年代初頭の夕張鉄道と蒸気時代の大夕張鉄道(後の三菱石炭鉱業鉄道線)を捉えた鉄道写真集なのだが、

車両そのものよりも乗客や働く鉄道員のスナップに多くのページが割かれており、特に乗客は通学女子高生のスナップばかりが満載なのだ。

「女子高生図鑑」とも揶揄され、1981年秋の発刊当時は仲間内でもキワモノ扱いされていたのだが、

風太郎は妙に心に引っ掛かるものがあって、3,200円と当時の財力では厳しくも思い切って買ったら、「そんなに見たいのか。」とまた変人扱い。

(只見・会津・日中各線撮り放題の「会津磐梯ミニ周遊券」が学割4千円台で買えた時代だ)








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夕張鉄道の自社発注機や大夕張の払下げ96、鹿ノ谷機関区の威容など最末期の炭鉱鉄道の記録として貴重なのは言うまでもないが、

軒を連ねる炭鉱住宅、笑う子供達、学生たちのざわめき、機関区員の作業服の石炭の匂いまで伝わって来る。

それはヤマがまだ生きていた時代の、混沌とした沿線生活のエネルギー。


「女子高生」については決して趣味嗜好の産物ではない事は、後に現地に行ってみて分かった。

人口密度が都会並みに高く、基本的に徒歩圏内で日常生活は充足出来たヤマの暮らしにあって、

「汽車」に乗るのは通学の高校生ばかりで、こめかみに剃りの入った男子は遠慮するなら、写るのは女子高生ONLYなのだ。

(一応男子も若干写っているから風太郎より度胸がある。)







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作者の方は地元では無いのだが本当に根を詰めてこの夕張の地に通ったらしく、そのカメラワークは丁寧に大胆にそして温かくヤマの息遣いを伝える。

「その土地やそこに住む人々を愛し、なつかしい想いで語れる場所もふるさとならば、夕張は正に私のふるさとである。」

という後書きは作者がこの写真集に込めた想いだろうし、「私の夕張」のタイトルこそむしろ相応しいように思うのだ。

夕張鉄道最終日、去りゆく列車を見送る少女のラストカットなんぞは鉄道写真を見て初めて泣いた一枚かもしれない。


この写真集から教えられたのは、ある土地に拘り、愛し、鉄道ばかりでなく沿線の風土や生活まで包括した「その土地の物語」を紡ぐ写真の豊かさだ。

後に風太郎が総花的な全国行脚を縮小し、蒲原とか五能線とか特定の線区の撮り込みに拘り始めたのは、

後追いながら「私の◯◯」が欲しくなったからに他ならない。


写真遍歴に出会った中で忘れ難く、撮るべき写真の方向性をも示してくれた一冊。






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[ 2017/06/27 21:50 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(12)