北の細道   その6      筬島

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    宗谷本線 筬島   2017年2月








「ダルマのヨ」駅舎と言えばかつては眉をひそめたものだったが。

こうしてみれば何やら味が出て来たように見えるのは贔屓目だろうか。

夜明けに始発列車を待つは最果ての野辺に立つ道標のような。

今回のダイヤ改正で廃止駅の対象に上がったそうだが、音威子府村の費用負担により存続が決まったと聞く。









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[ 2017/03/25 19:39 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(2)

北の細道   その5      音威子府

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   宗谷本線 音威子府   2017年2月






ある意味天気予報は要らないのかもしれない。

春を思わせる陽光は俄かに掻き曇り、白いヴェールに覆われた後、雲間に再び星が瞬く。

そんな日々の繰り返しが、音威子府の長い冬だ。






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[ 2017/03/23 21:15 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(2)

北の細道   その4      北星

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    宗谷本線 北星    2017年2月






吾輩は駅である。名前は無い。無論毛織物屋でも無い。


という風情の北星駅舎はホームからも離れた雪原にポツリと建っている。

農機具小屋然ともしているがちゃんと時刻表とベンチを備え、近年まで汲み取りながらトイレまで隣接してあったというから立派に駅である。


1959年、当初より無人駅として開設。

団塊世代の通学等々なのか、こんな場所に駅を作らせる程の需要があったかと驚くが、

はなから有人駅にしないあたりは国鉄も渋々だったのかも知れぬ。


何より目を引くのはこの大看板「毛織の北紡」である。

かつて旭川に存在した毛織物メーカーであることは判明しているが、既に会社そのものが失われた今、その設置の経緯など知る由もない。

ささやかな待合小屋と言えど国有鉄道、国民の共有財産である。一民間企業の大看板の設置が公式に認められるとは信じ難く、謎は謎を呼ぶ。





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高度成長期に全国津々浦々に貼り巡らされたこの手の「琺瑯看板」には様々な伝説がある。

板壁、土塀、それこそ都会も田舎も無く、当時の建物という建物に所狭しと張り付けられた様々な生活用品の看板。

琺瑯看板の権化と言うか、その枚数とバリエーションにおいて最大規模を誇り、

今も盛業中の大メーカーの人間と以前付き合いがあったので、ズバリ聞いたことがある。

「あれだけの膨大な量の看板を一体どうやって全国に貼り巡らしたのか。」

それは社内に今も語り継がれる伝説だそうだが、答えは「勝手に貼ってまわった。」


モーレツサラリーマンの時代である。大量の看板を軽トラックに積み、全部貼り終わるまで帰って来るなと送り出されたらしい。

一応農家を訪ねて頭を下げ貼り付けの許しを請うのだが、許可が下りる事など滅多にない。

切羽詰まった挙句、夜陰に乗じて納屋の壁あたりに勝手に打ち付けて帰ってくるのだという。

社名商品名が大書してあるのだから当然怒り狂った抗議が来る。

そうなったらすぐに謝罪に向かい、大量のサンプル品を差し出して詫びを入れれば大概はそれで収まったとの事だ。

日本の片隅にまでマスプロ生産の商品が行き渡り始めた時代の、荒っぽくもダイナミズムに溢れた遺産と言えなくもない。

「北紡毛織」もそんなモーレツ営業が生んだ「遺産」なのか。いや国鉄にセーターを持っていっても許してくれないだろう。







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風太郎の見立てはこうだ。

国鉄は木張りの簡素なホームを作るだけで精一杯、駅舎など作らなかったのだが、

困った地元住民有志が自分の土地に半ば手作りで駅舎を建てた。

開拓者魂に溢れた昔の入植者は建物のひとつ位自分で建てられるのだ。

「北紡毛織」は何かの縁でそのプロジェクトのスポンサーだったとすれば。

国鉄がどうこう言う筋でもなかろう。


真相はどうであれ、駅と看板はそれから数十年の歳月を重ねた。

汽車に乗り降りする人々を風雪から守り続けたささやかな駅舎は、いつしか此の地に欠かせぬ風景になったに違いない。

北星駅は今存続の危機にある。駅が出来る前、広大な原野に還る日はごく近いかもしれないのだ。



昭和30年代位まで北海道の農家では2~3頭の羊を飼う事がよくあったらしい。

羊毛を刈り、毛糸を紡いで手作りのセーターやマフラーを編むのが、開拓時代の色を残す当時の主婦に必要なスキルだったと聞く。

用が済んだ羊は食っちまったらしいが。北海道のジンギスカン文化はそこから来ていると知って成程と。

その後やってきた「近代化」はやがてそれらも工業製品へと変えていくのだが、

「北紡毛織の駅」に佇めば、この酷寒の地の暮らしにささやかな潤いを与えたに違いない、暖かなセーターの感触がふと蘇る。






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[ 2017/03/21 20:27 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

北の細道   その3      東六線

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   宗谷本線 東六線   2017年2月  








「東六線」 という駅名、碁盤の目の六本目だからという素っ気なさ。

でもそれがかえって無人の荒野に里が切り拓かれた北海道の歴史を語る気がして。

初めて立ってみれば広大な田畑の真ん中の何の変哲も無い小駅であるけれど、

線路の両側に広がる防雪林のお蔭もあって、周囲から独立したどこか不思議な空間でもある。


夜が始まる頃、再び白いものが舞い始めた。

降り積む雪の音さえ聞こえるような。









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[ 2017/03/19 19:52 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

北の細道   その2      宗谷本線

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   宗谷本線 東六線    2017年2月






利尻など到底望めぬ天気とあれば、「先端部」はあっさり捨てて、今まで手薄だった序盤~中盤部を重点的に攻めようかと。







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   東六線


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   北星
  

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   剣淵


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   音威子府








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[ 2017/03/17 22:01 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)