ホロベツ殖民軌道 その9  晩鐘

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この小さな世界にも夕暮れがやって来た。

影は長く伸びて色温度の低い光線に日々のなりわいが染まってゆく。






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ミレーの「晩鐘」の色彩感に憧れる。

それはなかなか実景では見られないけれど、北海道は地平線まで障害物が無く、

紅い太陽がギリギリまで残る関係で印象的な光線と出会う事が多い。

白熱電球のスポットライトであの光を。





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模型の中は妄想ゆえに永遠であり、今日があれば明日も来る。

尽きぬイマジネーションには終わりも完成も無く。



いつの間にか窓の外には都会の灯りが瞬いて、どうやら春の夢うつつから目覚めたようです。



( ホロベツ殖民軌道 おわり )






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[ 2020/05/20 20:52 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(2)

ホロベツ殖民軌道 その8  風渡る

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茫漠とした原野にオホーツクの海風が渡る。

今日は洗濯日和だ。





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車両はともかくレイアウトという舞台の主演と言えば「フィギュア」だろう。

先般の「猫少女」は1/20というスケールだから凝った造形も可能なのだろうが、

1/80~1/87スケールともなれば身長は20mm足らず、これが人間に見えるかとツッコミたくなるようなクオリティで我慢せざるを得ず。

輸入物の「プライザー」とかはさすがな造形だが、十頭身のような欧米体形を古き良き日本人とするのも無理がある。

それでも昨今は様々な技術革新も進んだのか、かなり見られるものが出て来た。 「軽便祭」とかを覗くとついムムムと散財するんだな、これが。

上の写真の「担ぎ屋のばあちゃん」や「セーラー服女子」は出色の造形だと思う。

今後三次元プリンターとかであっと言わせるようなものが出来ないかな。






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簡易軌道にあっては、一般的な 「駅」 や 「駅舎」 という概念は薄かったようだ。

プラットホームなどというものはほぼ存在せず、ステップに足が掛かるよう踏み台がある位のもの。

駅舎らしきものは原野の只中の掘立小屋か、要所にある 「軌道事務所」 がそれらしい機能を持っていた。

それでも模型はフィクションであるから何となく駅らしい体裁にしてみた。





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何の変哲もない、よくある午後である。






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[ 2020/05/18 20:44 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(4)

ホロベツ殖民軌道 その7  原野のオアシス

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農耕馬の蹄も響く駅前にはマンサード(牧舎)形のよろず屋が建っている。

ささやかな店ではあるが食料品から各種の生活必需品、種苗類まで何でもありの「原野のオアシス」だ。

自動車などほぼ存在しない、いやあってもまともに走れる道路など無い時代に、人々は駅を目指して集い、ここで人心地をつけたのだ。

電話、電報、よろず屋は外界と結ばれる情報ステーションでもあった。


店の主人に尋ねれば。 この建物はよ、ウチのじいさんが自力で建てたのよ、と平気で言うだろう。

必要なものは誰にも頼らず調達する、開拓の民の底力。






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  道北 小平町  2012年






北海道各地の実物写真を来るべき日の為に撮り溜めていたので、それを元に設計・製図して組み立てた。

エコーの羽目板みたいな便利なアイテムには救われる。

外れかけた窓枠や引き戸なんぞは、レーザーカッティングの精巧な建具にリフォームしたいなと改めて。






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毛糸、綿、調味料、学生服。 所狭しと貼られた琺瑯看板はこの辺境まで入り込んだ営業マンの商魂の証し。

右書きの戦前から戦後へ、そして工業製品の大量生産が始まった時代の証人でもある。

何の了解も無く勝手に打ち付けられた看板も多かったと聞くが、何でも扱う商店だけにこれも花の賑わいだろう。


国鉄線の貨車から積み荷が降ろされ、よろず屋を中継点として殖民軌道の奥地へと生活物資は運ばれてゆく。

ささやかな、しかし大切なライフラインだ。





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北海道建築の象徴とも言えた「マンサード」も、今や朽ち果てた姿を見るばかりとなった。

なにより生活物資全般を扱うような「よろず屋」自体がとうの昔に絶滅している現実も認めるしかない。 ひとつの時代が終わったのだ。


昨今ミャンマーを旅すれば。

線路際に構えたよろず屋の店先。 粗末な羽目板造りの壁沿いに無造作に並べられた食料品、雑貨。

あっと足を停めてしまう。 あの開拓集落の写真そのままじゃないか。

何千キロを隔てても。歴史も文化も違っても。 同じアジア人のマインドというのはどこか深い所で繋がってるんじゃないのか。

見る事叶わなかった「殖民軌道」のまぼろしを、今異国の地に見ている。





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[ 2020/05/16 20:29 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(2)

ホロベツ殖民軌道 その6  サブロク ニロク

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サブロク ニロクの並びを見たかったのがジャンクション製作の動機とは以前書いた。

しかしご覧の通りスケールを合わせた12mmと9mmでは思う程違いが無い事も分かる。

やはり1067mm自体がナローゲージなのだ。


それでも違いはゲージだけでは無い。

簡易線とはいえきちんと道床がありバラストも入れられた本線は、やはり国有鉄道の矜持として再現した。

しかし側線となると手抜きも目立ち、ましてや簡易軌道側は草ボーボーのヘロヘロぶりを違いとして表現したつもり。


運転士は脱線の危険がある側線入りを嫌がり、交換駅ではどっちが本線に残るか早い者勝ちだったとか。

資材不足でレールの代わりに角材を敷いたというトンデモぶりに加え、脱線をその場で復旧する奥義もあったという。





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珊瑚1/87の9600はキットが絶版で、確か完成品をヤフオクで買い叩いたと思う。 やっぱり96の無い北海道なんて。

「切り詰めデフ」は付いていないし、塗装済み完成品にコテというのも難儀だからエポキシ接着剤でくっつけて晴れて北海道だ。

えっ昭和37年時点で切り詰めデフだったかって? 知らん。


表札たるナンバープレートが無いのはツッコミたい人が大勢いるだろうが、これは何を付けたらいいか未だに決まっていないという事だ。

ご存知の通りこの機関車は一両ごとに細部が違い、ランボードやエアタンクの位置まで千差万別だから、

その「形」とナンバーの一致、そして道北地域への配備云々まで考慮すると抜けられない迷路に嵌るのだ。

どなたか詳しい方は、全ての条件を満たすナンバーをご提示あれ。





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C12は小さな車体にぎゅっと濃縮された密度感が精悍なところがあって好きな機関車だ。

珊瑚のキット組み。多分蒸気模型の処女作じゃないかな。

前面にスノープロー昇降用のシリンダー付は入換機関車の装備と思うが、密度感を増す上で好ましいので敢えて付けてみた。

塗装はペンキ風が嫌で黒染めをベースに、4Bの鉛筆の芯をペーパーですり下ろしたものを擦り付け、

ギラリと鈍い金属感を加えて悦に入っていたのだが、それも経年でただのマットになっちゃってるな。

北海道ではマイナーな機種だが、興浜南線で混合列車を牽いた記録は何処かで確認済みと思う。

でも昭和37年ならDC化されていたはずだが、まあいいって事よ。


「スハユニ62」はやはり珊瑚の1/87オハユニからの改造。 とは言ってもダルマストーブ用の煙突を付け、蓄電池箱を大型化しただけ。

と思っていたら、よく見れば「二重窓の内側」の存在まで細工していた。 当時は結構細かい芸をしていたと自分に感心。




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現実の簡易軌道にはこんな立派な積み替えホームなど無かった筈だが、そこはフィクションですから。

やはり蒸気模型の存在感は捨て難い。 作るのは大変だけど。

コテ捌きがどうこうと言うより、「十字にケガいた真鍮板のど真ん中に、寸分違わず0.5mmの穴を空けられるか」 という基礎工作力の問題なんだよな。

死ぬまでにC55の門鉄デフを13mmで凝りに凝って組むのが夢なんだけど、頼みの珊瑚模型も廃業しちゃったしなー。

それでも来る日の為に指先のリハビリだけは続けたいと思っている。




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[ 2020/05/14 20:12 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(2)

ホロベツ殖民軌道 その5  MILKLANDへ

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簡易軌道の多くは道北・道東地域に敷かれた。

この地域の特徴と言えば地質的に泥炭層が厚く、農業土壌として比較的肥沃だった十勝平野などと大分様相が異なる。

はっきり言えば入殖するには極めて過酷な土地だったという事だ。 泥炭層の上に道路を作る技術はまだ確立されておらず、

雪解けともなればそこは泥沼となって荷車を牽く農耕馬が腹まで泥に沈み込んだという。

また作物が充分に育つ土質でも無かった訳で、入殖者の苦闘は想像に余りあるが、

結果的に痩せた土地でも育つ牧草を頼りに乳牛酪農に活路を見出す事になる。 泥沼の土地に対する輸送手段としては簡易軌道が解決した。

つまり簡易軌道の多くは泥炭の山野を乗り越え牛乳を運ぶ鉄道だったのだ。




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時代は飛ぶが、風太郎が初めて北海道を旅した1980年代初め、宗谷本線とか標津線とか原野に伸びる線路際を歩いていて、

やたら目についたのは青地に白抜きのロゴマーク 「MILKLAND HOKKAIDO」 だ。

これは酪農家を主体とする農協のシンボルマークで、近代的なサイロの腹に派手に描かれていたり目立つ事この上なかった。

農協さんにしてはというのも失礼ながら、デザイン的には結構秀逸だと思う。 北の大地の目に沁みるような緑に良く似合った。


それは誰もが思ったようだし、まだ毛がフサフサしていた松山千春が北海道ソングを歌いまくって、多くの若者の憧れの地だった時代である。

ステッカーにもなっていたこれを欲しがる旅行者が大勢現れ、当初は農協事務所でおねだりすればタダでくれたらしいが、

これは商売になると思ったのだろう、土産物屋に大小のステッカーが大挙して並ぶようになった。

当時車のリアウインドー辺りに貼るのが流行ったり、銀箱(!)のサイドに貼ってあるのもよく見かけたものだ。

風太郎もつい乗せられて買ったので、何処かに貼る事は無かったが今でもステッカーが現存している。

同世代の人ならああ、あれかと膝を打つはずだ。





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脱線しまくった。 牛乳輸送の話である。

各酪農家で搾乳された生乳はアルミ製?の独特な形状をした牛乳缶に詰められ、原野の朝、簡易軌道の貨車に次々と載せられた。

重さは一缶20kg以上あったそうだから結構な重労働だったろうし、それを満載したら相当な重量貨物だったと思われる。

これらは要所に設けられた牛乳メーカーの集乳工場に一旦集められ大きな容器に移し替えられたのち、

タンクローリーなどで製品化工場まで運ばれたらしい。


模型化したのはこの集乳工場である。 様々な形状があったようだが問寒別にあったという集乳工場をプロトタイプにアレンジしたもの。

最大手の 「雪印乳業」 の看板を掲げた。 雪印マークは同社のHPから拝借したもの。




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これが牛乳缶専用、通称 「ミルクゴンドラ」 だ。 線路に対してやたら横幅が広い事が分かる。

これに重い牛乳缶を二段積みしたというから、左右のバランスをきちんと取らないと脱線転覆だってあり得たはずだ。

別海村営軌道風蓮線のそれをプロトタイプにした製品がモデルワーゲンから出たのには呆れたやら嬉しいやら。

ある意味簡易軌道を象徴する車両だからそれは必然とも言えるのだが。

力の入った模型は縦支柱も横板もバラバラで、全てハンダ付けを要求するという鬼設計にも耐えなければならない。

見た目以上に高度な技量が要求される模型とはお断りしておく。

積荷の牛乳缶のディティールに対する拘りも凄く、ムクのホワイトメタル製、本当に二段積みしたらあまりの重さに

機関車が空転して走れなかったという逸話付きだ。

底に穴をあけて肉抜きするという解決策も示されていたようだが、ここはレジンキャストで複製するのが王道だろう。





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これが実物だ。旧標津線奥行臼駅跡に自走客車や機関車と共に保存中。

他は冬籠り中で見られなかったのは残念。

真ん中の開いた所から牛乳缶を積み下ろしするのだが、停車場所がホームというより短い「台」でしないから、

ピタリと横づけするのはなかなか難しかったらしい。 何故か機関車の前に連結する事が多かったのもそれが理由とか。

積み下ろし係が乗車している。 重労働に加え冬は寒さが堪えたろうが、春夏あたり緑一色の丘を行くオープンエアはさぞや気持ち良かったはず。

頼めば乗せてくれたという。 積み下ろしの手伝いでもするなら断る理由も無かったろう。





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宗谷本線兜沼の駅前にある 「郷土資料館」 の庭先には、古い牛乳缶がプランター台になって夏の花を咲かせていた。




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その後牛乳輸送は各酪農家個別にタンクローリーが回る形になり、簡易軌道はもとより 「牛乳缶」 そのものが過去の遺物になった。

良くドラマに出て来る手搾りは過酷な労働だったと思うが、次々と機械搾りに変わった。 人毎のばらつきが無いから牛はかえって喜んだと聞く。

サイロはまるでスペースシャトルの発射台のように巨大化し、そこにある垢抜けた 「MILKLAND HOKKAIDO」 ロゴは

新時代を迎えた酪農経営を象徴するものでもあったろう。

しかしそれは酪農が巨大な設備産業化したという事であり、農協からの借金を重ねて乾坤一擲の勝負に勝った酪農家と

負けて土地を捨てる酪農家の明暗を際立たせる現実でもある。


我が国の食糧全体の国内自給率は僅か40%。 海外からの食糧輸入が無ければ日本人は生存出来ない。

自国第一主義、自分の国は自分で守れと槍刀を揃えて満足も結構だが、一国の安全保障に対するあまりに稚拙な情緒論の横行を憂う。

牛乳の国内自給率は今も100%だ。

政治が手厚い保護を加えた結果とも言えるが、同時に今後の政治動向に大きく左右されるものでもある。

簡易軌道の時代とはまた違ったサバイバルの世界が、今も北の大地にはあるに違いない。






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[ 2020/05/12 20:13 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(7)