怪しい模型のお部屋   羽幌のスイロネ

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厳寒の山あいにブラストと3軸ボギーのジョイント音が響く。 ヤマはもうすぐ。



お屠蘇ネタに始めた 「怪しい模型のお部屋」 も前回の 「銀龍号」 からまる一年経っちゃいましたね。

間が空いた分今回は大物、「羽幌炭鉱鉄道のスイロネ」 の登場です。 

なんてったって 「イ」 ですから。 飛行機だったらファーストクラスだ。

しかし何でそんな途方もない客車が煤けた炭鉱鉄道に居るのか。

そこにドラマチックで怪しい匂いも嗅げば、これはコレクションに加えなくてはと。


資料を紐解こう。 湯口徹さんの「私鉄紀行 北線路」 によれば。

この客車は元鉄道省の 「スイロネ17263」 、文字通り一・二等合造の寝台車で、戦後国鉄スハニ19108に改造後、

1956年に羽幌炭鉱鉄道に払い下げられた。

戦前型の木造客車ながら20m級の堂々たる車体を3軸ボギー台車で支えるという、まさに 「超弩級」 の代物である。

もちろん炭鉱鉄道の雑客車として調達されたのだから質素なオール座席車に改造され、「オハフ19108」 という新しい名前をもらう。

実際乗った人の証言によれば煤ぼけた車内に瀟洒なステンドグラスの装飾が不似合いに残されていたというから、「ファーストクラス」 は本物だろう。

没落貴族ここに極まれりというところだ。




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さてその数奇な運命が風太郎の模型ゴコロを大いにくすぐったのは言うまでもないが、究極の一品物客車に完成品だのキットだのが存在するはずもなく、

無いならゼロから作ってしまえと、この模型は1/80 13mmゲージのフルスクラッチである。

幸い湯口さんが1957年に撮られた完全真横からの一枚をはじめ、貴重な数葉の写真が残されているため窓割りとかは比較的容易で、

羽目板帯板をはじめ素材に恵まれたプラ板で作った。 屋根板だけは木製のそれをスハ32系ペーパー車体のジャンクからベリベリ剥がして流用したが。

まあ雰囲気は出ているかと思う。 細かいツッコミはご容赦願いたく。 何しろ 「一品物」 ですから。

没落貴族の気位はあるものの隠せぬヤレ具合を塗装で出すべく、出来はともかく結構苦心している。




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それより「機関車」 がどうにも気になる方!

羽幌は8100が有名だがここはゲテモノ、ボールドウィンの「9040形」 をやはりほぼスクラッチしている。

同じコンソリでも9600とかとは大分趣が違い、小径の動輪と細身のボイラーを備えたローシルエット、

「シャコタンコンソリ」 は軽快感があってどうしても掌の上で眺めてみたい機関車だったのだ。

まあこのネタも語りだしたらキリが無いので後日に回す。

羽幌に居たのは9042号機で何で9045にしちゃったのかもう十年以上前だから不明だが、そんな些細な事より見よ、古典アメリカンの雄姿を!





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さてこの 「スイロネ」 、出生の秘密ならぬ本当の出所は何処だったのだろう。

もちろん詳細に調べれば分かるのだろうが、とにかく記述が当てにならない事で有名なこのブログだから勝手に想像してしまおう。

この客車は戦前の北海道鉄道における栄光の1レ、「樺太連絡急行」 の一員だったのではないか。

函館から稚内まで給水給炭の時間さえ惜しんで機関車ごと付け替えながら20時間近くを走り抜け、彼の地へと渡る連絡船に接続する「樺太連絡急行」。

特別な列車であることはもちろんだが、何しろファーストクラスである。 この客車に乗った人間もタダ者ではあるまい。

国境防衛の高級軍人か、北辺の山海に一攫千金を夢見る成金山師か、はたまた前線慰問の映画女優か。

( スイロネの時代より少し後かもしれないが、前線慰問と称して樺太に渡り、愛人と手を取り合って吹雪の国境線を強行突破、

ソ連に亡命した大女優岡田嘉子。 映画以上の 「愛の逃避行」 を演じた彼女も樺太連絡急行の乗客だったことは確かだろう。 )

そんな怪しく煌びやかなドラマの舞台だったかもしれない客車が煤けた炭鉱鉄道の片隅で生涯を閉じる。

それもまた鉄道を巡る芳醇なロマンとも思えるのだ。






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やがて時は流れ。

全盛を極める炭鉱鉄道は木造客車などというしみったれた物に頼る必要も無くなり、当時の最新型気動車キハ22と同型車を奢る。

こいつは天賞堂のプラ製キハ22を羽幌色に塗り替えただけだから安直である。 でもチャームポイントの「回転窓」をお忘れなく。

突然やってきた閉山と共にこのキハ222は故郷を遠く離れた茨城交通 (現ひたちなか海浜鉄道) に譲渡され、

つい最近まで生き残るというこれまた数奇な生涯を送ったのはご存知の通り。




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[ 2019/01/03 09:20 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(12)

怪しい模型のお部屋  根室拓殖の銀龍号 ( 1/87 9mmナロー )

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お屠蘇ネタはまだ続く。


1990年代以降、撮りたいものも無くなったという事で「本物の写真」は引退したものの、その後の20年に及ぶブランクにあっては、

模型の世界に救いを求めていたというか、見る事も叶わなかった昭和20~40年代の香りをそこに味わっていた。

もちろん風太郎の事であるから、ブルートレインとか国鉄制式蒸気とかメジャーな模型であろうはずもなく、

時代のアダ花のような怪し過ぎるネタに執着していたものだ。

最近でこそ老眼の進行が苦しくほとんど手がつかないばかりか、積み上がった未完成キットを溶かして墓石にするとツレに言われているが、

これもまた風太郎の結構重要なヒストリーであるので、「怪しい模型のお部屋」として時折語りたいと思う。



鉄道車両史に残るであろう珍車・奇車である。

根室から納沙布岬に向けて荒涼とした浜辺をとぼとぼと辿っていたこの車両は、長く伸びたボンネットに6気筒のガソリンエンジンを納め、

トラック然としたキャブに対して何ともアンバランスな木造小屋の如き「客室」が目を引いた。

もともと1949年に「貨物車」として誕生し、1953年に旅客用に改造されてこの奇怪な姿になったとされるが、

特筆すべきはキャブがジュラルミン製という点であろう。周知の通り航空機用の素材でその当時鉄道車両に使った事例は聞いた事が無い。

札幌の町工場が手作りしたというそれは戦後の資材難の中、残された軍用機用の資材を流用したのではないかと想像している。

木製の客室はこの当時の北海道の簡易鉄道車両に散見される「地元の大工が槌を振るって作った」可能性もある。

ジュラルミンは腐食の心配が無いから銀地そのままの無塗装で、ついでに客室部分も銀色に塗って「銀龍号」というまた大袈裟な名前が付けられた。

戦後復興が常に後回しにされた北海道の僻地にあってともかくも生活の足を確保すべく、半ば手作りした鉄道車両に宿る開拓者魂も見る気がする。






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前口上はさておき、いかがわしい車両が大好きな風太郎としては、モデルワーゲンから発売されたキットには狂喜したのだが、

中古キットを買い叩いて着手したのはもう10年位前。しかしよく吟味すれば結構致命的な欠陥もある事が分かった。

後ろに背負った客室部分は材質の違いはもとより後付けであるからキャブとは完全にセパレートされているのだが、

キットでは一体化されてしまっている。これはイカン。

キャブ後端の妻板を真鍮板から切り出してハンダ付け、裏側にもたっぷりハンダを盛った上でヤスリを使って端部のRを付ける。

これでセパレート化は無事完了。その他は素組みながら客室後端に括り付けられたバンパー代わり?の枕木も再現。

こんな土臭い車両が小奇麗な訳が無いからウェザリングもコッテリだ。






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上の写真を見て、あー下手糞、キャブと客室のセンターがズレてやんのと思った人! 「実物がそうなっている」のだ。

客室部分がセンターから大きくズレているのは当時の複数の写真で確認できるが原因は不明。

もともと建付けが悪く、長年の振動とかでズレてしまったという説が有力で、どこまでも奇怪な御姿、しかしこれがホントの「銀龍号」だ。






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展示台代わりに荒涼とした浜辺の芦原をイメージしたセクションも作る。後ろに従えるは人まで乗せた貨車。

これは湯口徹さんが撮った有名な写真へのオマージュという、メーカーの粋な計らい。「大工の源さん」とかあだ名まで付いているようだ。

窓はハメ殺しだったそうだから夏など貨車に乗るのがむしろ特等席だったかも知れぬ。

夢でもいいからこんな貨車に揺られて北辺を旅してみたいものだ。


以下余談。

もう大分昔だが風の噂に「銀龍号発掘計画」なる仰天企画を聞いたことがある。

根室拓殖鉄道は1959年に廃止、銀龍号はダルマにされた上で沿線の某小学校前のバス停に流用されたのだが、

それも客室部分が朽ち果て、最後はその小学校の校庭に埋設処分された。

埋設場所については多くの証言がありほぼ特定されている他、材質がジュラルミンである事から地中でも腐食の心配が無く、

「発掘」して客室や下回りを新造すれば往時の銀龍号が復活するという、ロマンに満ちた企画。

資金のクラウドファンディングでもあれば風太郎も一枚乗るところだが、その後を聞かないのはとん挫したのかと。

戦後間もない混乱期に生まれたキテレツ車両の香りは、今も模型で偲ぶばかりである。






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[ 2018/01/04 20:46 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(10)

DD51を作っています。  着手

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プラモデルの常として箱が完成品の体積の数十倍にも及ぶのは常識ながら、

置物状態になっている「アオシマDD51」の巨大過ぎる箱をいよいよ始末しなければという、切実な状況もあって。

しかし部品総点数1200点、これは重すぎるぜ、D子ちゃん・・・。


経験上、こういう超大物を最後まで投げ出さない為には技術云々以前に「モチベーションの維持」が鍵を握る。

その秘訣は「小さな完成を積み重ねる事」にある。

幸いな事にこの模型、エンジン、台車、キャブ内部などが独立して完成させられる造りになっているから、

それぞれを塗装やディティールアップを含め順番に完成に持ち込んでモチベーションを加速させ、

その勢いに乗り最後の総組み立ては怒涛の寄りで一気に決着をつける、というメンタル戦略で何とかなるかとココロが決まるまでにひと月かかった。


次に大事なのは「道具」である。

エコーモデルの阿部さん曰く「模型製作に一番大事なもの? そりゃあ切れるヤスリだ。」というのはさすがに製作現場の実情を熟知された至言と思う。

猿の尻のようにツルツルなヤスリ程モチベーションを損なうものは無いのだ。

しかしあまりに長いブランクを経た風太郎の道具はおよそ心許ないものがあり、

長年愛用したニッパーは行方不明、ヤスリはツルツル、接着剤はシンナー分が飛んでドロドロ、エアブラシもほとんど固着しているとあっては。

足りないものを買い揃え、再整備にまたひと月。一体いつになったら実作業が始まるのか。長丁場になりそうである。








( 写真展漫遊録 )



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行きあたりばったり、良く言えば写材との一期一会の偶然を頼りにする身からすれば、

周到な準備と演出に基づく写真は何処か近寄り難い異世界ではあるけれど。

CG・合成一切無し、全部本物の生花と野生の花々の饗宴のなかに艶やかな女性モデルをブチ込んだ、

その精緻かつ絢爛たる作り込みには茫然となる程だ。(あるカットは5千本のバラを配したという。)

絵画の「オフィーリア」も連想させるが、花と女性に共通して内在するエロティックは泉が滴るような命の象徴でもあるか。

いずれにしても一人の写真家の情念のみで実現するものでもなく、モデルやスタイリスト、メイクアップ、フラワーコーディネート等々、

チーム全体がひとつの美意識を共有する事から生まれるエネルギーに圧倒されるのだ。


ネットを始めとする写真の発表手段の多様化は、リアルな空間としての「写真展」の在り方にも変化を促すとされる。

ただ単に写真を並べるだけでなく映像やサウンド、ディスプレイなど、ある種のインスタレーション的な空間演出こそ写真展のみの特権であると。

メイキング映像から実物のフラワーディスプレイ、果ては写真から飛び出したような白いドレスの美女による写真集販売という徹底した演出にはやられました。

メイキング映像がドキュメンタリータッチでまた格好いいんだなあ。風太郎がまた写真展をやる事になったら、誰かメイキング映像を撮ってくれないかしら。

いやヨレヨレに髪の毛を振り乱した撮影現場ではとても人様にお見せできないかあ。


このハガキ一枚では勿体ない程全体の世界観が伝わりません。見て感じてナンボの超写真展。

新宿リコーイメージングスクエアで5月1日まで。






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[ 2017/04/26 20:05 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(8)

祭りだ祭りだ 軽便祭

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休題。

去る日曜日、人形町でやっている「軽便祭」を見に行く。ナローゲージモデラーのお祭り。

模型に凝っていた頃は良く行ったが、保線班詰所だの危険物小屋のキットだの、目移りし過ぎの散財に懲りて最近は隔年位である。

しかし展示されているセクションとかのクオリティは極めて高いし、ともすれば消えかけている模型へのテンションを維持したい目的もあって。

上の写真はOナローだが大サイズ故の作り込みがなかなか。




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木曽森林は相変わらずディープだ。線路は40番レールの極細の奴にこれまた極小のスパイクを打ち込んで作ったとの事。

これでちゃんと走行もするのだから凄い。





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これもOスケール。地面に機械油が染み込んだ佇まいをここまで見せられれば、ヨシ俺もといつも決意を新たに帰宅するのだが。

レーザーカットを駆使したストラクチャーキットはなかなか垂涎のデキながら、目玉が飛び出すようなお値段に恐れ入って散財にも至らず。

テンションだけはしっかり頂いて帰りました。






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[ 2016/10/12 20:20 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(1) | CM(8)

バケットの積荷

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写真展が終わって虚脱状態の風太郎は目の前の模型を撮る。

バケットカーにはダンボールの山に自転車まで載っていなきゃ寂しいものだ。

老眼鏡を掛けてピンセットでひとつひとつ載せていくと、それなりの雰囲気になってニヤニヤする。


風太郎はこのまま引きこもる事になるのか。

いやいや写真展を通して新しいワクワクも見つけたのでまた始動しようかと。

やっぱりワクワクあっての人生だ。







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[ 2016/08/31 20:01 ] 怪しい模型のお部屋 | TB(0) | CM(8)