北辺の機関車たち

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  「北辺の機関車たち」  復刊ドットコム刊      








初版が1971年、半世紀近い時を経て蘇った伝説的名著である。

風太郎が写真に目覚めた1980年代以降は古本屋でも見かけるのは稀で、あったとしても2~3万円に及ぶような法外な値付けでは手が出るはずも無く、

噂だけは聞くものの実際に中身を見たのはそれから20年以上後だったりする。

見たい人間が大勢居るのに適価で手に出来ないというのは何より出版文化の貧困と思うし、

「復刊ドットコム」という企画で現代に蘇るは、やはり多くの人々がこの写真を熱く支持した事はもとより、文化の継承という視点でも喜ばしい。








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   これが初版本。焼けと傷みが歳月を語るがこれでウン千円だ。






現役SL末期、日本中を席巻したブームの始まりの中で、当時大学生だった三人の若者の手で綴られた鉄と氷、黒と白の絵巻。

厳寒の鉄路に生きる男達の姿もモノトーンの世界に息遣いている。

「蒸気機関車の商業化に耐えきれなかった」というのはメンバーの一人である大木さんの言だが、

その時代をリアルに知らぬ風太郎もブームに乗じたような陳腐極まりない写真群が残されるを見て溜息ついた記憶はある。

所詮商売先行、マーケティングとして撮られた写真には魂から湧き出る様な憧れや愛おしさといったものが宿るはずもないのだ。

アマチュアであるが故のそして若さ故の純粋さと、本当にそれを愛した者のみが持ち得るロマンチシズムが芳醇な旅の抒情と共に心を捉える。

印刷は最新製版で見事にリニューアルされた。スキャニングからやり直したというから画像のクオリティは全く別物だ。

昔の印刷の方も味があるというのは古本を大枚はたいて買った負け惜しみでもあるが、両者を比べてみるのも味わい深い。








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今やかつてのSLブームを凌ぐのではと思える撮り鉄ブームである。線路際に立つ人の絶対数で比較するなら今の方が多いかも知れない。

しかしその大衆化・商業化は、ともすれば無個性かつ予定調和的に迎合した写真表現の量産にも繋がる。

世の趨勢に敢えて背を向けた若者たちのエネルギーの在りようが現代に蘇る事もまた、何か時代が求めたアンチテーゼにも思えるのだ。








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[ 2017/05/29 21:32 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(10)

出稼ぎ高収入

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   高田馬場    2016年12月






遂にネタ切れ、ではありません。

輝く瞳は¥マークか$マーク、「お金大好き 高収入バイト専門サイト」はもう気持ちいい程露骨な割り切りぶりで有名な一連の看板ですが、

「出稼ぎ」まで来ると凄みが増しますな。


「銭湯の煙突掃除のおじさん」の話をはじめ、農閑期に貴重な現金収入を得るため朴訥かつ生真面目な農家のおじさんが、

東北やら何処やらから師走の東京に来て肉体労働に励むのを「出稼ぎ」と辛うじて知る世代の風太郎としては。

あの頃北へ向かう「八甲田」や「津軽」の座席車、故郷への土産を抱え浅黒く日焼けしたおじさんと共に一夜を過ごしたのを思い出す。

豊かな時代に貧困は確かに存在するけれど、あっけらかんと「出稼ぎ」に向う(多分)妙齢のお姉さんが追われているものは。






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[ 2016/12/26 00:43 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(6)

追悼特別展 高倉健 を見る

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東京駅のステーションギャラリーでやっている「追悼特別展 高倉健」 を見る。

映画全盛期のプログラムピクチャーを始めとする膨大な出演作から東映退社後の大作に至るまで、

デジタルスキャンで蘇ったという映像とスチール、台本等、ゆかりの品々で名優を偲ぼうというもの。

1950~60年代の作品は「番外地」とか「唐獅子牡丹」とか、一部を除けば初めて見るようなものだけに新鮮。

デビュー作公開の1週間後には2作目公開とか、そのいい加減さというか、生粋のB級ぶりには感心してしまう。

タイトルだってデビュー作が「電光空手打ち」、2作目が「流星空手打ち」、3作目が「無敵の空手! チョップ先生」とかだし。

現代のテレビドラマ並みに映画が大量生産、大量消費された時代だったと改めて。


でもまあ、それらもほんのさわりだけのブツ切りを繋いであるだけだし、他の展示物も含め期待した割に食い足りねえなー、の感が強し。

安田講堂とか学生紛争の終焉と共に任侠物が飽きられた等々書いてあるが、それとそれがどう結びつくのか。

戦後の昭和の混沌を駆け抜けた人だと思うし、その社会史の中での位置付けとか、

庶民が彼に託した願望は何だったのかとか、なぜに女性より男性があれほど熱狂したのかとか。

1300円も取った完全予約制まで気張るならもっと突っ込んだ「高倉健考」が盛り込まれてもいいんじゃないですか、と苦言を呈しておく。

余程の高倉ファン以外は極めて微妙な企画。


せめて自分の写真で偲ぼう。留萌本線増毛駅。

代表作のひとつである 「駅 STATION」 へのオマージュとしてラストシーンと同じアングルで。

モノクロのカットは写真展にも出したのでご記憶の方もいらっしゃるかと思うが、カメラをとっかえひっかえカラーでも撮った。

モノクロと比較し硬調やラチチュードの狭さはいかんともし難いが、映画もカラーだからね。上の方の紅い光は灯台である。

この北の湊の駅もその終焉まで残すところあと10日か。

天国の撮影所に、駅もまた呼び寄せられているのだろう。






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   留萌本線 増毛   1984年






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[ 2016/11/26 21:15 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(4)

食の安全保障

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TPP参加を巡る「都会人 VS 農民」の討論。


(都会人) なぜ日本に農業が必要なのか。教えてくれ。 

(農民)   カネで必ず食料が買えるという保証は永遠か。
     
       百姓はいい。自分の食べる分くらいすぐ作れるから。

       飢えるのは、あなた方だ。



どうしても担保されなければならない一国の安全保障はあると思う。軍事的にも、金融政策的にも。

しかし食料の安全保障が、それらと比較しあまりに軽きに過ぎる扱いなのは何故だろう。

日本農業の大いなる矛盾は分かっているつもりだし、狭い国土のこれまた僅かな平地を切り拡げて作った土地での農業が、

アメリカの大平原のそれと比較していささか非効率なのは、いまさら議論するまでもない。

しかし世界中が食料を奪い合うような事態を迎えても、国民を飢えさせないだけの農的に肥沃な国土を保つ事は、

単なる効率論であってはならない、為政者の最低限の責務と思うのだが。









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   小湊鉄道  上総鶴舞     2011年







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[ 2016/09/06 20:23 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(6)

オンナゴコロと・・・・

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女子鉄3人組の写真展があるというので見に行く。

もはや珍しくも無い女子鉄だが、写真表現というファクターが加わると、オトコ脳では思いもつかぬ意外性を見せてくれたりするから興味が尽きない。

もともと鉄道写真と言うジャンルは、子供の頃からの乗り物好きが忘れられないオトコ脳の産物で、

公共物である鉄道を自分の手の内に収めたいという、およそDNA的な欲求が撮らせている以上、

何より大事なのは具象性であり、実物のコピーとしての精緻な記録性に他ならない。

しかしその目的が自由な写真表現の幅を極度に狭めてきたのも事実であり、

昨今の「ゆる鉄写真ブーム」は、具象性、記録性という縛りから鉄道写真を解放し、自由な写真表現を模索する一種のアンチテーゼとして生まれたものと思う。

しかしその筋の大御所が「お手本写真」を量産すれば寸分違わぬコピーも多くなり、結局ある種の呪縛の中に再び取り込まれようとしているようにも見える。


「オンナゴコロと鉄の空」の3人は、「鉄道車両なんてゼンゼン興味ないモン!」と軽やかに言い切る面々であるらしい。

ではなぜ鉄道なのかというと、それを極めて抽象化し、ある種のオブジェに見立てた映像表現の素材としているように見えた。

オブジェを演出するものとして「天気」に重きを置いているようで、青空に溶けるようなボディ、降り続く小雪に煙るホーム、

雨粒を一杯に湛えたワイパー、光るレール、ぼんやり灯る信号灯。

鉄道は歴然とした人工物だが、あめつちの森羅万象と共に在り、自然とのせめぎ合いの中に潜むものを鋭敏な美意識の中で捉えている。

従来の「具象性」写真はもとより、ありきたりな「ゆる鉄写真」も飛び越えた、「女子鉄」の破壊力とオリジナリティを感じる事が出来た。

デジタルカメラの浸透がチャレンジングな映像表現を可能にしている事も再認識するし、「車両なんぞ興味ないモン」という人達による新たな表現の胎動も興味深い。

しかし抽象化、オブジェ化による映像美の希求ならば、飛行機もクルマも独特な映像世界を持ち得るし、別にその素材は乗り物に限るものでもない。

「なぜ鉄道でなければならないのか。」という問いに対する答えを、次のステップでは見せてもらいたい気がした。






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[ 2015/10/26 20:43 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(4)