おといねっぷ美術工芸高校のこと


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  学校HPより


「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」

この長ったらしく、人を食ったような名前の高校は北海道最北部、宗谷本線沿線の音威子府村にある。
公立高校だが道立ではなく、なんと「村立高校」なのだ。

実は、美大に通っている風太郎の息子が今年3月までここの生徒で、それには諸般の事情があったのだが、
父兄としてこの学校のことを知れば知るほど、その「天晴れ」具合に風太郎はいたく感銘を受けたのだ。

「ニッポンの田舎」の衰退は、日頃から風太郎が心を痛めるところだが、この学校を見ていると、
「地方の再生」とは何か、その答えをひとつ示していると思うのだ。

「鉄」とはなんの関係もないようだが、「音威子府」といえば風太郎の昔の旅でも思い出深い場所。
また「地方の再生」あってのローカル線だ。まんざら無関係でもないと思うから、宣伝を兼ねて書く。

これは、古いが「プロジェクトX」のネタか、「フラガール」並みに映画化されてもおかしくないような話だ。


音威子府村は総人口わずか870人、超過疎の自治体だ。もともと道立高校だったらしいが、過疎の進捗と共に
廃校の危機にさらされた。最も少ない時、入学者はわずか6名だったという。村は学校の火を消さない道を模索し、
これを「村立」として村の財政だけで支えるという、暴挙とも思える選択をした。

とにかく生徒を集めなければならないから、村の特産である「木材」を生かした「工芸科」として特色を出しスタートしたが、
周辺に子供がいないのだから話にならない。全寮制として全道・全国から集める体制を整えたが、
道内でも有数の厳寒の地であるばかりか、遊ぶ所などひとつもない村に親元を離れてやって来る人間はそう多くない。

また当初は学校の特色が理解されず、生徒欲しさの余り「誰でも良い」路線を取った為、
北海道中のワルが集結し凄まじい学校になった時代もあったらしい。

ある体育教師が赴任して、荒れた生徒に誇りを持たせるべく、地の利を生かしたクロスカントリースキー競技の選手として鍛え上げ、
遂に全国制覇するという、まるでドラマのような出来事から少しづつ変わり始め、
美術教師達が本来の目的である芸術教育の充実に立ち上がり、志を持つ生徒が全国から集まるに至って今日を迎える。

今では入試の競争率も2倍以上と、北海道の公立高校では異例の高さで「難関校」化しているから隔世の感がある。


驚くべき数字を紹介しよう。最初に書いたが村の総人口は870人だ。この高校の生徒総数は約120人、全寮制だから全員が「村民」として住民登録している。
さらに教員及びその家族、寮職員や出入り業者等の関係者を加えると、総人口の3割近くが高校関係者なのだ。

かつて音威子府は「鉄道の村」だった。宗谷本線と天北線が分岐し、SL時代は給水・給炭の拠点である他、
豪雪に対処するための保線施設などが終結する道北の要衝で、当時の人口の3割位は国鉄関係者だったと聞く。

鉄道が衰退した今、「高校」が村の基幹産業なのだ。

本来なら音威子府村は超高齢化、いわゆる限界集落化しているはずだが、何しろ住民の2割近くは高校生なのだから、
平均年齢がこの手の自治体としては異常に若くなる。限界集落化を回避し、住民の平均年齢が若い事がどんなメリットをもたらすかは、
地方行政や財政に詳しい方なら理解できると思う。

夕張に限らず北海道内は財政破綻寸前の自治体が多いのだが、音威子府村はまだまだ頑張っている。
「村立高校」という奇抜な発想で村の再生を図った選択は間違っていなかったのだ。

全国の自治体から見学者が絶えないらしいが、誰もが「あること自体が奇跡」と驚嘆するらしい。


しかし、高校とて中身が伴わなければただのハコモノである。人間が相手なのだからハコだけ作って終わりという安直なものではない。
「中身」については石塚耕一先生という、この学校の中興の祖というべき元校長が書かれた「奇跡の学校 おといねっぷの森から」と題する、
これまた感動モノの本があるので紹介したい。それはまた、後日。


息子が在籍した3年間、行事の他に先生や父兄の方々とも懇意にさせていただいたので音威子府には何度も足を運んだ。
結局親父が行きたかったから、という説もあるがそれは否定しておこう(^^ゞ)。もちろんタダでは起きないから撮るモノは撮る。

最近の風太郎の写真に音威子府や道北部が妙に多いのはそういう種あかしである。


北海道おといねっぷ美術工芸高校HPはこちら



冬の音威子府

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   雪晴れ

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   天塩川昇陽




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[ 2011/12/18 10:51 ] 音威子府 | TB(0) | CM(5)