
宗谷本線 兜沼 1981年
旭川~稚内間を延々8時間近くかけて走る宗谷本線321列車は、上りの324列車と共に「最果て鈍行」
と呼ばれていた。特に幌延以北は、漠々たるサロベツ原野の只中を行くから、「さいはて」の名がいよ
いよ似つかわしかった。
編成は、SL時代から変わらぬ座席車2両に荷物車1両、郵便車1両。この頃、鈍行列車は人だけでなく、
生活物資から便りまで詰め込んで最果ての地に届け続けたのだ。
午後6時を回り、さしもの夏の日も傾いた頃、牧場の彼方を夕日を受けて通過する321列車。
この頃、「広角レンズ」なるものを手に入れたが使い方が分からず、やたら散漫な構図の写真を量産
していて後悔しきりなのだが、これももう少し撮りようが、とも思う1枚。
でもこの写真を見てミレーの「晩鐘」を思った、という人がいて、ライティングからの連想かも知れ
ないが、少し救われた気がしたもの。
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「風太郎の1980年田舎列車の旅」
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