北井一夫写真展 「いつか見た風景」を見る

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拙ブログのお客様である狂電関人さんの勧めもあって、北井一夫氏の写真展「いつか見た風景」を見に行く。

山口百恵の水着姿を押し立てた「篠山紀信写真展」も捨て難く、迷いはあったのだが。(^^;


北井氏は、三里塚闘争などバリケードの内側からのルポルタージュから始まり、その後消えゆく農村社会を

追った「村へ」の木村伊兵衛賞でひとつの頂点を迎えた写真家である。写真家生活50年の節目という事で

これまでの仕事全体を俯瞰した写真展になっている。チラシの写真は1972年撮影の五能線乗客の子供で、

この子がその後見てきたもの、という想いが込められているらしい。同じ被写体を撮っていたというだけでも

親近感が湧く。


実は正直なところ風太郎は氏の仕事の多くを知る訳でもなく、一冊の写真集が手許にあるだけなのだが、

これが風太郎にとってはバイブル級の名著なのだ。



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  「渡し舟」 角川書店


1976年刊の「渡し舟」は、かつて全国の川筋に存在し、急速に失われつつある「渡し舟」を追った

ルポルタージュである。文章担当の編集者と、北井氏、そして和田久士氏の二人がカメラマンとして参加、

「村へ」の受賞期とほぼ一致する脂の乗り切った時代で、農村社会に寄り添う語り口は「村へ」と同じ

スピリットが流れている。叙情溢れる写真もさることながら、渡し舟の動力である「船頭のおじいさん」

との語らいに何とも味があるのだ。朝から晩まで独りきりで川と共に過ごし、生涯の晩節を迎えつつある

老船頭の、川波に揺られるような人生の機敏が胸に迫る。



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カメラマンはダブルキャストなので、どの写真が北井氏のものか分からない、というそもそもな話もあるのだが、

不思議な程二人の切り口が同じで、北井ワールドとして全く違和感が無いので、それは大した問題では

あるまい。

(そう言っちゃ怒られるかもしれないので余談だが、相方和田久士氏は、その後発刊された
超豪華写真集「写真紀行 私鉄ローカル線」においてメインカメラマンとして参加した。
この写真集は、これまた風太郎にとって空前のバイブルであり、棺桶に抱いて入りたい程だ。
結局風太郎の好みは1本の線で繋がるのである。)


北井氏はモノクロ至上主義な所もあったらしく、カラー撮影はメシの種程度の捉え方もあったようだ。

しかしご本人は不本意かも知れないが、今回の「50年史」を見てもなお、風太郎的にはこの「渡し舟」

のインパクトの方が忘れられない。


氏の作品の本質は、常にその時代の空気と寄り添い、その断片を切り取り続けた事だろう。

50年の間に、この国は変わるだけ変わったが、その変化を受け流し、撮るべき「今」のテーマを

自然体で捉まえるしたたかさも併せ持った写真家だと思う。


「長く写真を撮って来た人は、どんな時代の過去でもいつでも自由に引き出せる、抽斗を持つことが出来る。」

「同世代で写真を止めていった人は多いけど、それは貧乏に負けたんじゃないんだよね、

撮るべきテーマを失くしたからだよ。」


という言葉が、最後に重かった風太郎である。



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「風太郎の1980年田舎列車の旅」
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[ 2012/12/22 23:40 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(6)