太宰治 「津軽」 を旅する その3    金木

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   津軽鉄道  金木  1983年



「金木は、私の生まれた町である。津軽平野のほぼ中央に位置し、人口五、六千の、これという

特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、

悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」

   太宰治「津軽」より



金木は津軽鉄道沿線最大の町であり、多くの列車がここで交換した。

また五所川原方の大築堤は広々とした津軽平野が堪能できる名撮影地で、ここでどれだけ撮ったか

分からない程。無論冬は吹きさらしになり、地吹雪の洗礼を浴びる事になったが。

人口が多く駅も賑わいがあって、待合室内にところ狭しと掲げられた広告看板は経済的な活気も感じ

させたが、太宰が見栄坊と評した通り、背伸びの割に垢抜けない田舎臭さは漂う町だったように思う。


太宰は金木の生家に数日滞在したようだが、それまでの「友」との快活な交流に比べ親族は何かしら

近づき難く、よそよそしい存在であることが行間からも伝わってくる。いや彼が「友」と認めて訪ね

歩いた人々も、実は彼の生家に以前仕えていた「使用人」達が多く、彼が歓待されたのもかつての

旦那様だったから、という見方も出来なくはない。そこに彼の深い孤独を見る事もあれば、ボンボン

の矮小な感傷と唾棄される一面でもあるのだが。

いずれにしても、潔癖な倫理性とその反動たる淫蕩の匂いに塞がれたような地方の名家に生を受けた

者にしか分からない、宿命の檻はあったのだろうと想像する。


彼の生家は戦後人手に渡り、「斜陽館」という旅館となった。一度外から見たが高い壁を巡らした豪壮

な建物で往時の面影はある。10年以上前に廃業し、今は記念館となっているらしい。


太宰が旅したのは5月の良い季節だったようだが、風太郎は分厚い雪雲と目の前が真っ白になる程の地

吹雪に閉ざされる冬がこの地らしくて好きだったし、重い大気の中に太宰が苦しんだ「宿命の重さ」を

どこか見つけるような気がしたもの。



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   津軽鉄道  金木駅  1984年


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  津軽鉄道  金木駅  1984年


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  津軽鉄道  金木駅  1984年




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「風太郎の1980年田舎列車の旅」



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