太宰治 「津軽」 を旅する  その5     津軽中里

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   津軽鉄道  津軽中里  1987年


「中里に着く。人口、四千くらいの小邑である。この辺から津軽平野も狭小になり、この北の内潟、相内、

脇元などの部落に至ると水田もめっきり少なくなるので、まあ、ここは津軽平野の北門と言っていいかも

知れない。」

   太宰治「津軽」より



広々とした平野を突っ切って来た津軽鉄道がぷつりと行き止まりになるのが終着駅津軽中里である。

太宰が「北門」と評したように、この先で平野は内陸から迫る山地に狭められ、日本海、そして

津軽海峡にぶつかって終わりになる。


中里には木造の機関庫やターンテーブルが残っていて、かつては駐泊拠点として機能していた事が

分かる。風太郎が訪ねた時には最盛期の面影はさすがに薄かったが、渋い駅舎や官舎、上屋など、

いかにも地方私鉄という風な渋いストラクチャーが残っていた。

金木あたりから先はあまり変わらない風景とはいえ、やはりどん詰まりの寂寥感が漂う終着駅である。


太宰はここからさらに北にある「小泊」を目指している。

目的は彼が育ての母と呼んだ「たけ」に会う事である。


育ての母といっても、たけが小作米代わりの年季奉公で津島家(太宰の生家)に子守としてやってきた

のは、たけ14歳、太宰3歳の時だったという。

少女のような女性が病弱な生母と縁が薄かった彼にとって最も心許せる隣人だったようだ。

たけは19歳位まで津島家に居たようだが、大した教育も受けていないはずなのに幼い太宰に本を読む

事を教え、道徳を教えたという、その老成振りには驚く。そしてたけが太宰の許を去る時は、彼が後を

追う事を周囲が恐れ、突然いなくなったのだという。


小説の後半に入ると堰を切ったようにたけへの思慕が文面に溢れるのだが、母胎回帰願望にも似た彼女

との30年の時を隔てた再会がこの旅の最終目的である事を、彼は言わずもがなに告白している。


既に嫁いで家族も持っているたけに会うため、太宰はこの駅前から2時間の道のりをバスに揺られる。

津軽海峡にもほど近い北辺の漁村「小泊」を最後に、この紀行小説もクライマックスに近づく。




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   津軽鉄道  津軽中里  1987年




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