北紀行  その6      山線残照①  上目名あたり

hokkaido1201501_242take1b.jpg
   函館本線  旧上目名駅付近の集落跡       2015年1月




ローカル線の生活列車に執着してきた風太郎としては、優等列車が行き交う大幹線はやっぱり尻の座りが悪い。

一応北海道夜行を押さえるという目的は達したので、本来のフィールドに戻ることする。

本当は日高本線だったのだが、アレでは仕方が無く、向かった先は山線。

かつての北海道鉄道の大動脈をローカル線と言っては失礼かもしれないが、実際そうなのだから仕方がない。

全盛期の栄光を知る人にとっては嘆き節にも満ちた山線だけれど、今に残る残照があるならばその欠片でも見つけたいじゃないか。

風太郎にとっても30年振りの山線である。そんな記憶の断片も探しつつ。



上目名。

C62に青春の血をたぎらせた世代には忘れられない駅だろう。

風太郎としては残された写真で往時を偲ぶばかりだが、やっぱり最高の一枚に思えるのは

廣田尚敬氏の「上目名のC62」において他にあるまい。

吹雪を突いて驀進するC62を真正面から、本当に轢かれそうで思わず後ずさりしたくなるような、異様な迫力に満ちた一枚。

ニコンFに200mmF4、それに2倍と1.4倍のテレコンを二段重ねし、アウトカーブから引っ張ったらしいが、

ファインダーはほとんど真っ暗だったのではないかと思われ、置ピンではなくピントを送っている形跡まであるとなれば、

まさに為せばなるの技と言うか、最近の機材の性能云々に耽溺した風潮が恥ずかしくもなる。


付近の線形を見れば峠越えは急曲線の連続、50㎞位の速度制限が定められていたらしいが、

その速度まで落としたらその先に控えるトンネル内で空転立往生必至だったという。

まさに機関車の限界点に挑んだ機関士達の技と豪胆が試される、輝かしい鉄道全盛の日々の記憶を秘めた土地。


今、上目名駅は廃止され、その名残りはスノーシェードに宿るのみである。

シェードへと続く雪原に延びた一本道は保線の用しか為していないようだ。

傍らには離農した酪農一家の生活の痕跡が微かに蒼空の下に埋もれる。





hokkaido1201501_247b.jpg




上目名駅のエピソードも数多く、「トンネル通行の許可を駅長からもらい」、ご親切にカンテラまで貸してくれたという話まで聞けば、

「自己責任」などという至極当然のルールを持ち出すまでも無く、社会が大人だったとの想いは深い。

またそれは「おもてなし」などと構えるものでもなく、遠来の客を迎える素朴な心根の暖かさがあっての事だろう。


上目名駅は1984年まで存続、最後まで運転要員の駅長はいたというから惜しい事をした。

信号場の機能もあったから、客扱いが全てでは無いが、年々利用者が減り続け、最後は高校に通う駅長の娘が最後の乗客になり、

その卒業を待って無人化されたという何とも泣ける逸話もあるらしい。

雪深い山中で孤独に駅を守った駅長一家の暮らしはいかばかりだったのか、その一端にでも触れてみたかった気がする。


「上目名のC62」のオマージュでもと思っていたところもあったのだが、駅も失われた今、峠道は線路際に近づく事さえままならなかった。

少し目名に向けて下った辺りで。

線路を見下ろすニセコ連山南端の峰々だけは、何も変わらないのだろうか。





hokkaido1201501_250take1b.jpg
    函館本線  目名      2015年1月





HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



[ 2015/02/15 20:09 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(10)