オンナゴコロと・・・・

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女子鉄3人組の写真展があるというので見に行く。

もはや珍しくも無い女子鉄だが、写真表現というファクターが加わると、オトコ脳では思いもつかぬ意外性を見せてくれたりするから興味が尽きない。

もともと鉄道写真と言うジャンルは、子供の頃からの乗り物好きが忘れられないオトコ脳の産物で、

公共物である鉄道を自分の手の内に収めたいという、およそDNA的な欲求が撮らせている以上、

何より大事なのは具象性であり、実物のコピーとしての精緻な記録性に他ならない。

しかしその目的が自由な写真表現の幅を極度に狭めてきたのも事実であり、

昨今の「ゆる鉄写真ブーム」は、具象性、記録性という縛りから鉄道写真を解放し、自由な写真表現を模索する一種のアンチテーゼとして生まれたものと思う。

しかしその筋の大御所が「お手本写真」を量産すれば寸分違わぬコピーも多くなり、結局ある種の呪縛の中に再び取り込まれようとしているようにも見える。


「オンナゴコロと鉄の空」の3人は、「鉄道車両なんてゼンゼン興味ないモン!」と軽やかに言い切る面々であるらしい。

ではなぜ鉄道なのかというと、それを極めて抽象化し、ある種のオブジェに見立てた映像表現の素材としているように見えた。

オブジェを演出するものとして「天気」に重きを置いているようで、青空に溶けるようなボディ、降り続く小雪に煙るホーム、

雨粒を一杯に湛えたワイパー、光るレール、ぼんやり灯る信号灯。

鉄道は歴然とした人工物だが、あめつちの森羅万象と共に在り、自然とのせめぎ合いの中に潜むものを鋭敏な美意識の中で捉えている。

従来の「具象性」写真はもとより、ありきたりな「ゆる鉄写真」も飛び越えた、「女子鉄」の破壊力とオリジナリティを感じる事が出来た。

デジタルカメラの浸透がチャレンジングな映像表現を可能にしている事も再認識するし、「車両なんぞ興味ないモン」という人達による新たな表現の胎動も興味深い。

しかし抽象化、オブジェ化による映像美の希求ならば、飛行機もクルマも独特な映像世界を持ち得るし、別にその素材は乗り物に限るものでもない。

「なぜ鉄道でなければならないのか。」という問いに対する答えを、次のステップでは見せてもらいたい気がした。






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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2015/10/26 20:43 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(4)