島原鉄道 大三東 1982年
風太郎が本格的に写真を撮り始めた頃は、国鉄線上においては10系気動車の最末期にあたり、
只見線あたりで辛うじて乗車しているだけで、ほとんど写真に残っていない。
しかし地方私鉄においては払下げの同車が主力気動車として活躍している場合が多く、
津軽、南部縦貫、筑波、茨交、加悦、そして島原、全国各地で相まみえたもの。
機械式だのガソリンカー改造だの、怪しい車両がいよいよ置き換えに迫られていたそれらの会社においては、
頼もしい「新鋭車」に見えたのかも知れないし、先を争って国鉄に頂きに行ったのだろう。
しかしその実、戦後の復興から高度成長期の大量輸送を地方から支え続けた10系気動車は、
長年の酷使がたたってボロボロのものが多く、ババを掴まされた会社も多かったと聞く。
島原鉄道には結構な所帯でこの車両が在籍しており、島原半島一円の郵便輸送を担っていた事もあって、
キハユに改造したりとか、なかなか重宝に使ってはいたようだ。
車両そのものにあまり興味が無かった風太郎はそういう珍車を丁寧に記録していないのが悔やまれるが、
島原のネガをひっくり返せばそこかしこに「バス窓」が出て来る。
かつては北から南まで、全国津々浦々のローカル駅に当たり前のように停まっていた顔。
それはひっそり目立たないが紛れも無く「戦後」の顔だったし、都会への人材供給源だった農村の暮らしを支えた生涯は、
文字通り「ニッポンの気動車」だったと、その墓碑銘に刻まれるべきと思うのだ。
暫く留守にしますので、お返事等遅れます。
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