夕張物語 その8    「私の夕張」

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「夕張鉄道」ならともかく、「私の夕張」ってタイトルからして何だよ、立ち読みに開いてみればまた仰天の中身。

1970年代初頭の夕張鉄道と蒸気時代の大夕張鉄道(後の三菱石炭鉱業鉄道線)を捉えた鉄道写真集なのだが、

車両そのものよりも乗客や働く鉄道員のスナップに多くのページが割かれており、特に乗客は通学女子高生のスナップばかりが満載なのだ。

「女子高生図鑑」とも揶揄され、1981年秋の発刊当時は仲間内でもキワモノ扱いされていたのだが、

風太郎は妙に心に引っ掛かるものがあって、3,200円と当時の財力では厳しくも思い切って買ったら、「そんなに見たいのか。」とまた変人扱い。

(只見・会津・日中各線撮り放題の「会津磐梯ミニ周遊券」が学割4千円台で買えた時代だ)








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夕張鉄道の自社発注機や大夕張の払下げ96、鹿ノ谷機関区の威容など最末期の炭鉱鉄道の記録として貴重なのは言うまでもないが、

軒を連ねる炭鉱住宅、笑う子供達、学生たちのざわめき、機関区員の作業服の石炭の匂いまで伝わって来る。

それはヤマがまだ生きていた時代の、混沌とした沿線生活のエネルギー。


「女子高生」については決して趣味嗜好の産物ではない事は、後に現地に行ってみて分かった。

人口密度が都会並みに高く、基本的に徒歩圏内で日常生活は充足出来たヤマの暮らしにあって、

「汽車」に乗るのは通学の高校生ばかりで、こめかみに剃りの入った男子は遠慮するなら、写るのは女子高生ONLYなのだ。

(一応男子も若干写っているから風太郎より度胸がある。)







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作者の方は地元では無いのだが本当に根を詰めてこの夕張の地に通ったらしく、そのカメラワークは丁寧に大胆にそして温かくヤマの息遣いを伝える。

「その土地やそこに住む人々を愛し、なつかしい想いで語れる場所もふるさとならば、夕張は正に私のふるさとである。」

という後書きは作者がこの写真集に込めた想いだろうし、「私の夕張」のタイトルこそむしろ相応しいように思うのだ。

夕張鉄道最終日、去りゆく列車を見送る少女のラストカットなんぞは鉄道写真を見て初めて泣いた一枚かもしれない。


この写真集から教えられたのは、ある土地に拘り、愛し、鉄道ばかりでなく沿線の風土や生活まで包括した「その土地の物語」を紡ぐ写真の豊かさだ。

後に風太郎が総花的な全国行脚を縮小し、蒲原とか五能線とか特定の線区の撮り込みに拘り始めたのは、

後追いながら「私の◯◯」が欲しくなったからに他ならない。


写真遍歴に出会った中で忘れ難く、撮るべき写真の方向性をも示してくれた一冊。






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/06/27 21:50 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(8)