
石勝線 夕張支線 鹿ノ谷 2017年6月
雨模様の朝になった。
静寂を破る始発列車のアイドリング。
画面の左側に広がる野原はかつての夕張鉄道鹿ノ谷機関区の跡。
常に5~6両の蒸気が煙を上げていたというそこは、大型木造機関庫からターンテーブル、
そして国鉄では例を見ないアメリカ式の巨大なコールタワーを備え、その威容の一端は前回の「私の夕張」のカットからも窺い知れる。
ホームからは、張り巡らされたヤードを跨いで夕張鉄道に乗り換えるための長大な跨線橋が伸びていた。
この国の運炭鉄道の興隆を象徴するような風景も今は夢の跡である。
下の写真、目の前には大きなターンテーブルがあったはず。そして機関庫、検修庫、各種の詰所が。
唯一の遺構とも言えた木造機関庫が倉庫として近年まで残されていたはずだが、それも取り壊されたようだ。
ワイルドな北海道の自然は原野に還るとなればあっという間に灌木で覆い尽くして、痕跡さえ分からなくなってしまうものだが、
背の低い草しか生えないのは積年に染み込んだ石炭粉やオイル、そして働く幾多の人々に踏み固められた硬い地面故だろうか。
それは歴史の彼方に忘れ去られる事への、ささやかな抵抗のようにも見えてしまうのだ。
再び静けさが戻った駅。
靄の向こうに汽笛と動輪の軋み、そして長大な運炭列車の地響きを聞く。

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