
只見線 会津柳津 2018年4月
柳津駅前にはかつて只見線を走った「C11244」が保存されている。
昭和18年日本車両製造。いわゆる「戦時型」ではないが、
のっぴきらぬ時代に相当な無理を押して造られた事に変わりはない。
大幹線の大型機関車が「兵器」として扱われるのは納得もいくが、
C11の如くローカル線専用機関車に至るまで戦時生産の拍車が掛ったのはこれいかに。
それはこの国の長閑な里の隅々にまで戦争が浸透した証人でもある。

只見線の古い駅の周辺には苔むした慰霊碑が草に埋もれているのをよく見る。
普通その手のモニュメントには何に対する慰霊なのかというという銘がはっきり刻まれているものだが、
よく見ても記されていないものがある。
想像に任せれば。それはその駅から旅立って戻らなかった無名の兵士への鎮魂ではないかと思う。
映画に出てくるような出征兵士の見送りはごく小さな駅頭にあっても頻繁に繰り返されたのだろうし、
それは無数にあった今生の別れの場所でもあった事だろう。
銘が何も刻まれていない慰霊碑には、顕彰するほどの合理性すら持たぬ、
あまりに理不尽なものに対する静かな怒りが込められているようにも思うのだ。
美しき山河に育ち、争いや独占よりも和と分配を重んじ生きてきた農民兵士が、あの戦争の主役だった。
見送りの駅を次々と後にした機関車は、満開の桜を映し穏やかな時間に佇む。

郷戸
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