
時間を几帳面にきっちり守るところは日本人の美徳なのだろうが、それは別段DNA的資質ではなく、
明治以来全国津々浦々まで伸びた鉄道網が、分単位秒単位で正確に運行するという伝統が育てたという説がある。
写真を整理していて気付くのは、「ミャンマー人は腕時計をする習慣が無い」という事実である。
ねえ今何時?と聞かれる事は実際にあったから本当に時計を持っていないのだと思う。
また今時腕時計が高価過ぎて手が出ないという事も無いだろう。
つまるところ、ミャンマー人にとって時間の概念というものが極めて希薄なのだ。

ミャンマーのローカル線でのおよそ時間にラフ過ぎる実態はご紹介してきた通りで、
1日1往復の列車に乗ろうと思ったら1時間以上前に駅に着いて早発に備える必要がある。
まあいつ来るか知れぬ列車の到着まで寝てりゃいい訳だし、
目が覚めたら行っちゃってても明日もまた同じような日が来るから別に慌てる事も無し、
また寝てしまえ、駅の野宿もまた涼し、というあたりがミャンマー人のダメっぷりとも言えるのだが。
学校は出欠や遅刻に厳しいとも聞くから、否応なしの国際標準化も視野に何とか国民に時間の概念を、
というのが国家的な教育目標なのかも知れないが、こればかりはある種の文化だけにそう簡単ではなさそうだ。


時を計るのは野の影の伸び具合だったり、体に備わった揺らぎだったり。
暑い時間に無駄な体力は使わず眠り、必要なだけのなりわいで糧を得て一日を終える。
それが決してユートピアとは限らない事は分かってはいるけれど、
持ち込んだ幸せのものさしを無理やり当てて測るのもまた、どこかピント外れの驕りというものだろう。







生々流転。 それでも人の世は移ろい、変わらぬものは無く。
この国の人々が手に入れたスマートフォンには秒を刻む時計機能はもとより、
その窓に煌びやかな「外」が映し出されるのだろう。
目を見張るような世界への渇望と、変えようがないものとの葛藤に弄ばれながらも、
変化の濁流は驚く程のスピードで迫っているに違いなく。


もう残り少ない停滞かもしれない。 しかし旅の徒然にゆらり時は流れ。
レールはその土地の日々の傍らに寄り添い、轍は永遠のように刻まれる。
人々は異邦人や不躾なカメラさえ穏やかに受け入れて、あるがままの日常に包み込んでしまう。
それはもはや随分遠くなってしまった時代の、日本の片隅で見た景色でもある。
時計の無い旅は遥かな過去へのトンネルだったり、あるいは自分が生まれるよりずっと前の、
朧げな胎内の記憶にまで続くようだ。

さよならミャンマー。

まだ流浪の旅を続ける大木さんと別れ、マンダレイから今度はあっさり空路でヤンゴンへ。
そしてそのまま夜の成田行きに乗り継ぐ算段だったのだが、なんと予約したミャンマー航空の国内便が理由不明の運休、
空港でのインフォメーションもロクに無いまま悪しからずは大いにビビるが、別便に急遽交換出来て胸を撫で下ろす。
「ミャンマーよ、飛行機もか。」
日の出を迎えに行くように東に飛ぶ飛行機は、再び全てがON TIME、ON SCHEDULEの世界へ。
( ミンガラーバ! おわり )

ミャンマーシンドロームにやられて帰国以来3ヶ月以上カメラに触らない日々を送ってきましたが、
そろそろ再始動、もみじ狩りに行ってきますので暫くお返事等出来ません。
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