大阪 (怪しい)NIGHT WALK  番外地  「泥の河」

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  大阪 安治川河口   




映画「泥の河」は1981年の公開だから、多分風太郎はハタチ前に見ているはずだが、今でも生涯の名作5本の指に入る一本だ。


・・・昭和30年の大阪。安治川の河口で暮らす信雄は、両親から近づいてはいけないといわれた舟に暮らすきょうだいと交流をもつ。

きょうだいの母親は船上で売春をして口に糊していた。  (Wikipediaより)   


という筋なのだが、「もはや戦後ではない」の掛け声の中、時代に置き去りにされ忘れられていく人々の哀しみが描かれている。

なによりモノクロームの画面に浮かぶ光と翳が切なく美しかった。

写真のシの字にやっとたどり着いたかという当時、撮るならモノクロームだぜぇと思わせたのだから、風太郎の写真遍歴上も意味深い一本だったことになる。

総製作費は当時の金とはいえ僅か4500万円、35mmフィルムは現物支給、完成後も上映を引き受ける映画館すら無い状態だったらしいが、

結果的にその年の各映画賞を総ナメ、米アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされ、スピルバーグが無名の新人監督に会いに来たというのは、

見る側と売る側の評価にいかに隔たりがあるかという証左でもある。

同じ敗戦国イタリアの戦後を描いた「鉄道員」や「自転車泥棒」は名画の誉れ高いが、あの程度で泣くな。「泥の河」を見てから泣け。





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「今んなって戦争で死んでた方が楽やったと思うとる人、ぎょうさんおるやろなあ。」という父親役の田村高廣のひとりごちも大阪弁だから味があった。

宮本輝原作の舞台は大阪湾に注ぐ何本もの川のひとつ「安治川」の河口で、この映画の信者としては是非一度行ってみたい「聖地」だったのだ。

実はこの安治川河口、制作当時でさえ昭和30年の息遣いは消え去っていたのだろう、ロケは名古屋の港湾部で行われたという。

従って映画の場面とはまるで別物であり、ちっとも「聖地巡礼」では無いのだが、原作はこの土地で生まれた訳だし、

映画のイマジネーションの欠片でも探してみたいじゃないの。 もちろんモノクロームをオマージュとして。





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風太郎は隅田川の川べりで幼少期を過ごしたので、映画の場面と実体験が何処か重なるところがある。

町工場の旋盤屑から漂う機械油の匂いや、煌めく川面、朽ちた板壁、ざらつき侵食する赤錆。

この映画に惹かれるのは、そんな記憶の源流とも繋がっているからかもしれない。

振り返ればその頃でもまだ町の暗がりに棲んでいたような、「戦後」はあまりに遠くなった。



書いていたらまた観たくなったな。

暗い、ひたすら暗いと括って遠ざけるのも勝手だし、本当に救いが無い話なのだけれど、

登場人物のひとりひとりが愛おしく、じわりと胸が熱くなる映画。






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[ 2020/10/30 19:29 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)