
銀箱買いました。
と言っても最近のトリテツ君たち、分からなかったりしないだろうね。 「アルミ製でハードな造りのカメラバック」ですな。
とにかくデカイんです。 全長42cm、全幅25cm、重さ3.4kg。 収納物を全部詰めたら12kgになりました。
おめぇ馬鹿じゃねえの、こんなの担いでテツやる気かという声はごもっともですが、
これは自宅では機材保管箱、いざ鎌倉の際は車のラゲッジにどっかり据えた前線基地という用途なんですね。
最前線では此処から小型バックに適宜必要な機材だけ移して出発です。
従来その用途に使っていた大型ソフトバックがボロボロになり、中身の緩衝材があちこちから飛び出してくる事態になって、
その後継という事なのですが、場合によっては飛行機の預け荷物にもなる可能性を考えると、なるべくハードなケースがいいかと。
此処からは回想モードに入りますが、風太郎の若い頃は「銀箱にあらねばテツにあらず。」という時代でした。
一度人に連れられて行った復活蒸気運転の際、ボックスシートのみならず、網棚、通路、あらゆるところを銀箱が占領していた光景が目に浮かびます。
それらはことごとくデコレーションされており、色とりどりなブルトレとか「エル特急」とかのHMステッカーはど定番なら、
英数字のステッカーを一枚づつ丁寧に貼った、「EF5861」とか。
ああ日本国有鉄道最後の日々は銀箱と共に在り。
そういう「属性」への反発を旨として、風太郎は天邪鬼にも銀箱そのものを拒否しておりました。
いやそれは詭弁であって、銀箱は高かったのと、全てが徒歩の撮影行にあってあの重さは耐えられないと踏んでいたのです。
で、使っていたのはボール紙の芯にビニールレザーの外皮を貼り付けたような、軽いだけが取り柄の安物でありました。
「踏み台に使える」という銀箱の利点だけは羨ましく、止むに止まれぬ場面でボール紙バックの上に乗ったらベコリと凹みました。
それから幾星霜、すっかり廃れて今や絶滅危惧種になった銀箱を今更買うのも相変わらずの逆張りモードですが、いろいろ感慨もあり。
どれ踏み台にしてみようかいと、天板に足を掛けたらじわりとたわんで、よく見たら「乗るものではありません。」との注意書きが。
最近のはヤワになったのか、いや昔と比べて4割増しの体重が悪いのか釈然としませんが、
リヤゲートの向こう、万年床の上にピカピカ光る存在感。 (寝る時は運転席に移動させます。)
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