
羽越本線 桑川 2023年1月
十日町に出て、羽越本線沿いに北上する。
蒲原鉄道⇒五能線とか、かつて散々乗ったはずなのに、その車窓はとんと記憶に残っていない。
夜行急行「鳥海」とか、最近でも「あけぼの」とか、夢うつつのままに通り過ぎてしまう路線だったからだろう。
何のかんので大幹線と思っていたから、移動手段ではあっても、撮る場所ではなかったのだ。
桑川駅併設の「道の駅」で夜を明かす。
名勝「笹川流れ」はそのまま撮影名所でもあって、客車列車はもちろん、D51の貨物列車が飽きるほど往復したという時代、
まだ「今川信号場」の頃の名作は数々残されている。
今や全ては様変わりして多くを期待できないことは分かっているけれど、
時間が出来た今、知らず通り過ぎた鉄道風景をひとつひとつ訪ねてみたい気持ちもあって。
もとより通りすがりにさらりと流すのみ、誰でも撮る有名お立ち台でお茶を濁すも、こういう場所だったかという感慨はある。
これ程長く波打ち際を走る区間があるとは不覚にも知らなかった。
眠れぬ夜にそっと車窓の闇に目を凝らした記憶はあるけれど、それは黒くうねる海原だったか。
架線の下をヨンマルが走るという不思議な列車もGVに置き換わったらしい。
期待した雪が一片もないのは、もう一回来いやということだろうか。
今川
新潟県の最北端、村上地方といえば遡上する鮭漁が伝統の地場産業。
ご多聞に漏れぬ衰退も聞くところだが、軒先には大きな鮭がずらりと並んで海風に吹かれている。
人影もまばらに、時を停めて眠ったような集落である。

今川
ささやかな村々を結んだ地域交通というより、優等列車の拠点間輸送が現在の主役。
シュルシュルと風のように。

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ある研究者によれば、ビルマ=ミャンマーの近代史は以下のサイクルを繰り返しているという。
「軍事政権から民政移管する⇒民政移管した政府が行き詰まる⇒軍がクーデターを起こして軍事政権が復活する⇒軍事政権から民政移管する」
今現在の軍事政権復活も一時的なプロセスに過ぎず、またサイクルは巡るのだと。
歴史を見れば頷けるところはあるし、風太郎はこれで結構リアリストだから、「国軍との武力闘争はいたずらに解決を遅らせる」というスタンスだ。
しかしより深く民に寄り添い、友人が多い人ほど「止む無し」と、国軍との闘いを肯定するところがあるから、黙るしかない。
答えの出ないもどかしさと無力感が漂う。
ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。
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