真を写す

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    津軽鉄道  金木     2014年








写真が文字通り真を写しているかというと、さあどうだろうと思えてしまう。

レンズの前の実象を忠実にトレースしているというのが光学的事実であることは確かだろうが、

本来時間的にも空間的にも途方もない広がりがある対象に対し、コンマゼロゼロ何秒かの瞬き以下の時間、

レンズの画角というごく限定された枠を嵌めるというプロセスに、どこか小賢しい「写真の嘘」が入り込みはしないか。


ローカル線がローカル線らしかったのはいつの時代かというと、それは連続して変化しているものだけに難しく、

そもそもローカル線の定義が時代により人により異なるから一概に言えないが 

(快適空調とこれでもかの観光PR、ゆるキャラが闊歩する車内も「素朴なローカル線の旅」らしいし。) 

風太郎の若き日の30年前と比べてもそれは変わり果てたと言って良い。

現実は冷徹ながら、無理を重ねてもそこに思い出の欠片を探してしまうのはいい親父の感傷に疑いないし、

結局かくあって欲しいというイメージに押し込むべく、周到に場面と画角を選びに選ぶ事になる。

でもそれはやっぱり姑息に現実を偽るものではないかという心の澱に、嘘をつけないことも事実である。

あくまで真を写すという絶対のリアルへの憧れと、捨てきれない感傷の狭間に揺れる、風太郎の写真ゴコロ。








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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2016/05/27 20:24 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(8)

:風太郎様

何回か記事拝読させて頂きました
それくらいのことで風太郎様の心の湖に沈むものを理解したとは当然言えるはずとてありません
現実とこうあって欲しかったと思うこととの落差
それを少しでも埋めようとされる故の心の葛藤
思い悩むこと多々あるかと推察致します
そのような風太郎様だからこそ・・・・
私はお写真に敬意を持って接することが出来るのです

[ 2016/05/27 20:36 ] [ 編集 ]

捨てきれない感傷 ・・・ そういうものらしきを意識したのは 彼方の20代前後の頃だった気がします
その後は仕事や家庭にそういう甘え(笑)の時間は許されずに現在に至っております
あなたの一連の作品を見ていて何かを感じるなと首をかしげていましたが きょう やっとこさわかりました(笑)
そうだったんだ 捨てきれない ・・・ これだったんだ と
自分の写真にはなかなかそういうものを表せません 女房 子供に対する遠慮かな?(笑)
人の写真に勝手にわが想いをかぶせて誠に申し訳ありませんな お許しくだされ
[ 2016/05/27 20:45 ] [ 編集 ]

迷い道


りらさま

写真というのは真を写しているから強いし、人々の心を捉えるのだと思いますが、
一方で巧妙な嘘を演出する事も出来るのは駄文の通りです。
でも嘘の演出だってひょっとしたら写真の魅力なのかも知れませんし、
結構それに溺れてさえいるのも事実なのですが。

たかが道楽、でも道楽だからこそストイックに向き合った挙句、迷い道に落ちる事にも意味があるように思っています。
[ 2016/05/27 22:39 ] [ 編集 ]

まあ、

風太郎さま

或る意味「写真」は、銀塩と共に去ってしまったのかもしれません。
なぜならば、撮ったものをRAW現像というフィルターによって別物、
つまり自分の感性によって脚色しているのがデジタルの今ですからね。
[ 2016/05/27 22:43 ] [ 編集 ]

食えない感傷ですが。


タブレットさま

写真の金木駅、このアングル、この瞬間だけで見れば自分がハタチの頃と全く変わりません。
それはひとつの奇跡のようにも思うのですが、すぐ右手には味気ない鉄筋コンクリートの駅舎があります。
やがてやって来るはずの軽快レールバスを見れば一気に夢から覚めてしまいそうです。

ずっと夢から覚めたくないという想いは恋々とあるのですが、強烈な演出はどんどん必要になるばかりのようです。
ちょっと疲れて来たかなー、とも思いますし、真っ正直に向かい合える被写体を探したいとも思っているのですが、
それでもずるずる線路際に寄って来る、親父の食えない感傷も断ち切れない根っこがあるものですね。
[ 2016/05/27 22:58 ] [ 編集 ]

道楽ゆえの


狂電関人さま

巧妙に改変したデジタル写真はひょっとしたら万人を騙す事も可能かもしれませんが、
唯一騙せないのは自分自身で、最後はそれで自分の心を満たせるか、という問いに帰結するかと。
そこが騙せば勝ちの商売と異なる、道楽ゆえの厳しさ純粋さなのでしょう。
「絶対非演出」などと、先達も大いにストイックな試練を自らに課していた訳ですし、
写真の求道はある種マゾヒスティックなものなのかも知れません。

[ 2016/05/27 23:08 ] [ 編集 ]

写真の真実...実際の事実と非現実のローマン、
過ごしてきた事実と現実の事実との乖離、でもそこに求め続ける過日への憧れ。
写真の持つタイムマシン性が故のギャップとの葛藤、電車にしても蒸気機関車にしても
常に心は揺れ動いています。
過去の情景が素晴らしかったこと、でも現実はどんどん進んで行きます。
だから昔とあまり変わらない情景の中を見慣れない車両が現れるとその心の落ち着くところまで
しばらく時間が掛ります。
だから私はそれがあまり時間がかからない、過去の実際との乖離が少ないところ少ないところへと
訪ねてしまいます。
この金木駅の腕木信号機、ここはめずらしく過去と現実が逆転したところでもあります。
帰ってから写真を見て、これっって腕木じゃない?
出来れば今夏、ここを再訪して腕木信号機を現実のものと再確認してみたい場所でもあります。
五能線、津軽鉄道は距離は遠いけど乖離は一番少ない場所に、私の中では落ち着いています。
大井川鉄道も小湊鉄道も同じかな、今度江の電を訪ねてみようと思っています。
観光客が多い鉄道は苦手だから中々行けずにいるところです。でも300形電車は魅力的ですね。
東急3450で出来なかったアングルを求めてこの夏、湘南かなとはちょっと思っています。
湘南の夏空と真夏の海と海に群がる夏の人々、結構好きかもです。頭で考えてるだけですが。
[ 2016/06/03 09:21 ] [ 編集 ]

部分のイマジネーション


popomanさま

お心のこもったコメント有難うございます。

popomanさんは多分同世代ではないかと思うのですが、
現役蒸気は無くなれどそれ以外の鉄道情景はまだ生き永らえている、
不思議な時代を共に過ごすことが出来た、幸せな世代なのかも知れませんね。
故に現代の鉄道に対する屈折も共感していただけたのかなと勝手に思っています。

古寺の庭園の巧妙な仕掛けを例に取るまでも無く、
ある「部分」から巨大な宇宙の拡がりを感じとるような感性は我々のDNAの中に息づいているのかも知れず、
切り取られた時間と空間にイマジネーションの拡がりを託すのは、現代にローカル線を追う者の切なる抵抗でもあります。
それを「嘘」と捉えるのか、写真表現にしかできない妙味と捉えるかは気持ちの持ち方ひとつなのかも知れませんね。

仰る通り「部分」を捉えれば味わいのある鉄道はまだまだあります。
ウジウジするより、遠い記憶を呼び覚ます様な一瞬の表現をとことん追求してみるのも健康的な創作活動かと思います。
共に頑張りましょう。


[ 2016/06/03 20:15 ] [ 編集 ]

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