10系気動車

島原鉄道 大三東駅ホームの乗客5 1982年8月 Adobe16bit 原版 take1b

    島原鉄道 大三東    1982年








風太郎が本格的に写真を撮り始めた頃は、国鉄線上においては10系気動車の最末期にあたり、

只見線あたりで辛うじて乗車しているだけで、ほとんど写真に残っていない。

しかし地方私鉄においては払下げの同車が主力気動車として活躍している場合が多く、

津軽、南部縦貫、筑波、茨交、加悦、そして島原、全国各地で相まみえたもの。

機械式だのガソリンカー改造だの、怪しい車両がいよいよ置き換えに迫られていたそれらの会社においては、

頼もしい「新鋭車」に見えたのかも知れないし、先を争って国鉄に頂きに行ったのだろう。

しかしその実、戦後の復興から高度成長期の大量輸送を地方から支え続けた10系気動車は、

長年の酷使がたたってボロボロのものが多く、ババを掴まされた会社も多かったと聞く。


島原鉄道には結構な所帯でこの車両が在籍しており、島原半島一円の郵便輸送を担っていた事もあって、

キハユに改造したりとか、なかなか重宝に使ってはいたようだ。

車両そのものにあまり興味が無かった風太郎はそういう珍車を丁寧に記録していないのが悔やまれるが、

島原のネガをひっくり返せばそこかしこに「バス窓」が出て来る。


かつては北から南まで、全国津々浦々のローカル駅に当たり前のように停まっていた顔。

それはひっそり目立たないが紛れも無く「戦後」の顔だったし、都会への人材供給源だった農村の暮らしを支えた生涯は、

文字通り「ニッポンの気動車」だったと、その墓碑銘に刻まれるべきと思うのだ。




暫く留守にしますので、お返事等遅れます。





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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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こんばんは。
 詳しく知りませんが、レールバス?。子供のときHOゲージでは安かったので買ってもらった記憶があります。
 貧弱な造りでしたが、今思うと可愛らしい。残しておけばよかったと後悔。
  
 車両の写真も貴重ですが、当時の人物も写されているのは更に貴重ですね。
  琥珀色ではないですが、琥珀色の日々に帰れたらなーと思いますね。
[ 2016/02/26 00:51 ] [ 編集 ]

風太郎様

右手の女性の服装は当時の女子学生の制服でしょうか・・・
島原鉄道の気動車
撮影当時は何色だったのでしょうね・・・
調べてみましたがイエローの時代が長かったようですが・・・・
風太郎様のお写真にお会いすることが出来て幸いです
[ 2016/02/26 21:15 ] [ 編集 ]

島鉄も・・・

風太郎さま

また、大名旅行ですかぁ(笑)
島鉄も電関人の悪い癖で、灯台下暗しの餌食となって
国鉄乗り入れ時の2600や5500の写真しかありません。。。
薄いインクブルーの制服、当時の公立校のレギュラースタイルで
懐かしいです!!
[ 2016/02/29 12:58 ] [ 編集 ]

時代を語る

haradaさま

お返事遅くなりました。

レールバスと同じディーゼルエンジンで走る車両ですが、遥かに大型で兄貴分といったところでしょうか。
HOゲージの入門用としてありましたね。カツミのレールバス。
オモチャ然とはしていましたが、それでも欲しかった記憶があります。

鉄道は人を運ぶためにあるもので、特に意識しなくとも人が一緒に写るのが自然と思います。
高校生の制服とか、車両と同じでデザインが時代を語るのが面白いですね。
[ 2016/02/29 23:30 ] [ 編集 ]

お久しぶりです

りらさま

お久しぶりです。ブログも再開されたようで何よりです。
写真は自分を映す鏡であり言葉に出来ぬ想いを紡ぐものです。
春も真近なフィールドに出て自分を解き放ちましょう。

りらさんの世代ではとんと縁の無いデザインの制服でしょうね。
島原鉄道は当時クリームと朱色に塗り分けられていました。黄色になったのはずっと後です。
ただこのキハ11の一族は国鉄時代の塗装そのままでしたね。似たような色だからいいやあとなったのでしょうか。
[ 2016/02/29 23:42 ] [ 編集 ]

色使い

狂電関人さま

いやいや大名旅行では無く、ちゃんと自腹の遠征ロケですよ(^-^)v
危うく帰って来れなくなるかと思った・・・。

インクブルーというか水色で、東京ではあまり見かけない明るい色使い、
やっぱり九州は暑いので反射率を高めているのかと思ったもの。
[ 2016/02/29 23:49 ] [ 編集 ]

感動です

風太郎さま
こんにちは。
はじめておじゃまさせていただきました。
長崎在住のkazuです。
大三東駅の古きよき時代の写真が残っていたなんて。。
大変感動しました。
当時私は中学生で島鉄に乗りたくても自力で乗ることができませんでした。
キハ10系が活躍していたのは知っていましたが、一度も乗らずじまいでした。
この写真に写っているのは、アジア白蟻研究所の広告車ですから、キハ17 1だと思われます。
写真アップしていただいて感謝いたします。
[ 2016/07/02 15:46 ] [ 編集 ]

キハ17でしたか


kazuさま

初めまして。コメント有難うございます。

島原鉄道の昔の写真は結構残っているやに思うのですが、駅の佇まいとかが分かるものは少ないかも知れませんね。
キハ11ではなくてキハ17でしたか。よく見れば2両編成のようですものね。すっかり思い込んでおりました。
窓下の大きな看板は島鉄の特徴でもありましたが、それで判明する事もあるんですね。
この当時は湘南窓のキハ4500なんかも走っていました。

大三東、この当時は古い木造駅舎が残っていて本当にいい駅でしたね。
つい先日、長崎出張の折、島鉄沿線に30年振りに行って来たところです。
大三東もホームの佇まいは変わらぬものの、駅舎は寂しいものになっていましたね。
[ 2016/07/02 18:51 ] [ 編集 ]

レスありがとうございます

当時島鉄のキハ10系は国鉄払い下げ車のキハ16 17が活躍していたようです。
晩年の活躍、また有明梅沿いを走るということで車体もサビが目立つ車体が多かったようですね。
でもそこに味を感じていました。
大三東駅は僕も大好きな駅で、島鉄ぶらり載り放題きっぷを利用して、用もないのによく降り立ちます。
風太郎さまのおっしゃるとおり、駅舎が寂しいものになりましたね。
また昔は車両のバリエーションも多く、キハ16 17 20 4500 26 55など豊富でしたが今はキハ2500のみ。
写真を見てると、有明海の潮の香りがキハ17の車内にも漂うような趣きがありますね。
あの日に帰りたい。。ユーミンではないですが(笑)





[ 2016/07/02 22:05 ] [ 編集 ]

大三東の思い出


kazuさま

あの日に帰りたいの想いは同じですよ。
大三東駅、引き潮になると磯が露出して何とも言えない磯臭さが漂うのは変わらず、
遠い記憶が呼び起されるような気がしました。
拙ブログの「昔の旅 九州のローカル線」カテゴリーには1982年の訪問時の大三東を何枚か載せています。
ちょうど夏祭りの日で、天狗はホームを歩き、浜辺の神社には夜店も出て楽しい一日を過ごしたものです。
そうそう写真に写る女子高生の制服は、ほど近い地元伝統県立校のもので今も変わらないというのにはびっくりしました。

路線や駅そのものが消えてしまったところも多い中、思い出の糸をまだ手繰れるのは幸せな事かも知れません。
[ 2016/07/02 23:22 ] [ 編集 ]

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