写真展の案内ハガキが出来る。
2,500枚印刷には仰天するが、うち2,000枚はニコンが各所に発送配布してくれるのは有難い。
都内各ギャラリーの開催案内にも貼られると思うが、世の中との最初のコミュニケーションツールはこのハガキだから、疎かには出来ぬ。
タイトルバックに使った写真はちょっと調子が硬過ぎが不満ながら、サイズが小さい程コントラストが高めの方が見栄えがすると思うし、
猛吹雪でもともと暗い天気ゆえ、雪の質感まで出そうとすると全体がグレートーンに沈んでしまうきらいがある。
なによりこの写真については極力明るいトーンに仕上げたい、というのが拘りとしてあった。
学生生活最後の冬、1984年の三菱石炭鉱業鉄道線、清水沢駅。石炭ストーブ積みの客車を連ねた朝の通学列車である。
この列車、ヤマからマチへ向かう高校生を満載しており、聳え立つリーゼントの「男」はよそ者に対するガン飛ばしに余念がなく、
写真はおろか目も合わせないようにしていたが、そのくせ近くの女生徒には色目を使う様は面白かったもの。
女の子はそれなりに可愛らしく、ちょっと都会的に洗練もされていて、飽きることのないおしゃべりで車内はとにかく賑やかだった。
降りてくる子は横顔しか分からないが色白な北国美人と思う。
彼らは皆、炭鉱関係者の子弟と思うが、年寄りばかりが目立つローカル線でこの平均年齢の若さと溢れるような活気は異質だった。
炭都夕張といえばむしろ重苦しいイメージが沈殿していたように思う。
1981年に起きた北炭夕張新鉱のガス突出・坑内火災事故は、なかでも悲惨な経過を辿って此の地に暗い影を落とした。
事故発生から5日を経過し坑内火災を鎮火する術が無く、この時点で生死不明の坑内員59名を地底に残したまま注水する方針が出される。
全家族の同意を取り付けた後実行に移された注水の時間にはサイレンが鳴り響き、全ての夕張市民が頭を垂れたという。
その現場はここ清水沢駅の目の前ともいえる場所である。覆い隠せぬ斜陽の影と、日常生活のすぐ隣にある、死の匂い。
その一方で製鉄用のコークスを始めとする石炭需要そのものは旺盛であり、良質な夕張の石炭への期待は小さくはなかったのも事実である。
近年になって開発された南大夕張炭鉱は最新の採掘設備と保安設備を備え、輸入炭にも負けぬ競争力を持つとされていた。
それは夕張の希望であったし、ヤマの若者の活気は、相応に恵まれた経済力と将来への展望にも支えられていたに違いなかった。
石炭を満載したセキは轟音をあげて行き来し、客車の車内はローカル線らしからぬ若さに溢れる。
夕張は元気だった。少なくともそう見えた。
先入観ではなく、行ってみなければ分からないその土地のリアルもあるという事を教えられた気がしたもの。
この撮影からわずか1年後の1985年5月、南大夕張炭鉱は突然の爆発事故を起こし、62名の犠牲者を出す。
絶対安全と信じられていた最新鉱の悲劇に関係者の失意は大きく、ここに100年にわたる炭都の歴史は閉じられ、鉄道もまた運命を共にする。
あれほど大勢いた高校生たちは、ごく短期間のうちに姿を消した。
その土地の土を踏まねば分からないという旅の記憶と共に、時代に翻弄される地方の刹那の光が写っているように思う写真は、
その後の運命も併せ風太郎にとって思い出深い一枚になったし、本展のタイトルバックを選ぶに迷いは無かった。
さてハガキも出来たし、ぼちぼち追い込みにかからねば。

三菱石炭鉱業鉄道線 清水沢 1984年
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こんばんは。
300mmの件、丁寧にご説明頂き有難うございました。
お写真も拝見しまして、PFフレアの感じが解りました。
少々高いですが、良いレンズですね。欲しいです・・・
いよいよハガキも完成されて、「もうすぐ」って感じですね。
このお写真のみならず、展示されるすべてのお写真の「思い」を感じたいと思います。
鉄道写真に一石を投じるような写真展になりそうな予感がして、本当に楽しみです。
今年は熱い夏になりそうですね!
最後のお写真
雪降る中 女子生徒らしき二人
友達のマフラーをなおしてあげています
素晴らしいシーン撮影されましたね
大好きです
このお写真
写真展 順調に準備が進んでいるようですね
何故か私までそわそわしてきます
高輪の際はまだまだ地味めな(失礼!)写真展でしたが、
いよいよ天下のニコンサロンですか。
新宿は私めの勤務先から目と鼻の先ですので、あるいは
連日のようにお邪魔してしまうかも、です。(ご迷惑か)
いぬばしりさま
ニコンもスケジュールを空けて待っている都合上、
よもや出来ませんなどと言おうものなら損害賠償だそうですから、
健康管理は気を付けなければと。
そんな訳で新たなロケも控えて大人しくしております。
写真展は後に残らぬ寂しさがありますが、それを補う程の出会いがあると聞きますから、
来場していただける方との交流を楽しみにしております。久々にお会いできそうですね!
りらさま
結構な低気圧に見舞われて、ホワイトアウトしそうな吹雪、気温もぐんぐん下がっているのが分かりました。
雪まみれになって転がり回るように撮ったのはもう32年前、というのが信じられない程、
「その時」のシャッターの感触が手に残っています。
時空を超えてその場に立つような手触りのある写真に憧れていました。
そんな写真が撮れたのか、時を経て今試されるような気がします。
マイオさま
写真展というのは究極の道楽のようなところがあって、新宿の真ん中で2週間、まともにやったら車が買えます(汗)
今回はニコンさん、音威子府の時は音威子府村がスポンサーについたので出来たようなもの、
他人のフンドシでなきゃとても出来るものではありません。
音威子府の時は鉄分極少にも関わらず、わざわざお越しいただきましたね。
あれから早や4年、トシを取ると月日の流れが早いものです・・・。
「毎日」も大歓迎ですが、私も結構勤務先が近いものの、2週間本業お休みはさすがに机が無くなりそうでアレではあります。
それでも土日を中心になるべく在廊したいと思います。久々にお会いしましょう。
名手・木村伊兵衛氏は「スナップショットとは巾着切りのようなもんだ」と言ったとか。
すれ違いざまの一瞬にかけるもの、という意味で正に「瞬間芸」なのでしょう。
連続する時間と動きの中の一瞬を捕らえることで、思いもかけぬ姿が、思いもかけぬ真実が、見えてくるからでしょう。
今では、4K画像を撮りその中から選べばよい、などとたわけたことを言う御仁もいらっしゃいますが、
スティルフォトの神髄はそんなもんじゃなく、もっと潔く、ストレートなものだとぼくは考えています。
この風太郎さんの写真も、足は切れているし、空はあいているし、フレーミングはダメじゃないの、と思うかもしれませんが、
そんなことは全く関係なく、二人の女性の通い合う気持ちが、痛いほど的確に伝わってきます。
雪の降る様も、冷たさも伝わってきます。 いやいや…あまり分析しちゃってはいけませんね。
正に「たまゆら」ならではのもの、スティル写真の凄さです。
暑い夏になりそうです。
「下手なスリ」は楽しみにしています。
大木 茂さま
いやあ大木さんの前にあってもはやアラはバレバレですから、裸で公衆の面前に出るような恥ずかしさですね。
私もかつて風景を前にブローニーカメラをどっかり三脚に据えて最少まで絞り込み、
ビリビリに構図を詰めた写真を撮っていた時代もありましたが、精緻な記録は写真の凄みではあるものの、
どこか油絵を撮っているような、死んだ空気感をそこから感じる事もありました。
ブレ、ボケ、尻尾切れは写真の三悪かもしれませんが、生きている人と時代の瞬間は常に動いているもの、
都合良くカメラの小箱に収まらないもの、収まっていないから今でも動きだしそうなもの、
という言い訳を考えまくっております。
巨匠の手練などには到底近づけぬこわっぱの戯れ、今更背伸びしても仕方ありませんから、素のまま在りのままで。
風太郎さま
三軸客車には興味はあれども、どうなんでしょう福岡に生まれ育った小生には
筑豊の延長線上にあった北海道の炭鉱にさほど揺れ動かされず、そして時代が
すでに斜陽期に合った石炭産業の退廃イメージが血気盛んな頃には嫌で結局77年夏の
旅のルートには組み込まなかったのでした。
そして、つい2年ほど前に初めて夕張地区に足を踏み入れ三軸客車との対面も果たしたのでした。
しかし、お写真を見るにつけ屈託のない学生たちの楽し気な雪の通学姿は
電関人の持っていた暗く重い炭鉱町のそれとは真逆でビックリした次第です。
狂電関人さま
そうなんです。三菱の客車、展示物というよりついさっきまで走っていたように残されてるんですよね。
沁み込んだ石炭ストーブの匂いは消えるはずも無く、座席の背もたれの「〇〇君大好き」系の落書きもそのままに。
そこを埋めていた高校生達や独特なジョイント音だけが消え失せた車内にしばし佇んでしまいました。
地元ボランティアの尽力との事ですから、地元に残ったあの頃のツッパリ兄ちゃんが今、骨を折っているのかも知れません。
年を取る事は消えゆくものの看取りを重ねる事でもあるようです。せめて銀粒子の記憶を残す事が弔いかと。
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鍵コメさま
有難うございます。
送らせていただきます。宜しくお願いいたします。
あの頃は廃止直前ですらあまり撮影者を見かけない、今では想像も出来ない時代でした。
少数者として共に同時代を語れるのは楽しいですね。お待ちしております。
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