五能線 1982年
今の若い人は列車内で喫煙自由自在、ご丁寧に大きく立派な灰皿がボックス毎に備えられていたと聞けば目を回すかもしれないが。
喫煙者でない風太郎にとっては心地良いものでは無かったものの、それを避けては汽車旅そのものが成り立たなかったし、
権利主張以前に互いに少しづつ我慢して他人の趣味嗜好はさらりと受け流す、世の中の懐の深さもまた佳き事だったように今は思える。
長距離鈍行の冗長な時間は紫煙の香りと共に在って、何処からか入って来るすきま風に、それは揺らりと漂うのだった。
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「風太郎の1980年田舎列車の旅」Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved
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お写真 拝見した瞬間 感じたこと・・・
煙草の煙の描写が素晴らしいことです
右手にある 煙草からのその煙は 窓の方へとたなびいています
くつろぎを感じる 投げ出された足
その足がある場所の質感
視線を海に向ける その横顔
五能線の列車内お写真 極めて興味深く拝見させて頂きました
りらさま
さすがはお目が高い。
煙草の煙だのシートだの質感に着眼していただければ載せた甲斐があるというものです。
昔の客車は車内が暗かったですから、明るい窓外との明暗差が大き過ぎ、
当時のカラーフイルムでは質感どころでは無かったのです。
ここは階調をなだらかに表現出来るモノクロ写真の独壇場です。
この列車、終点まで実に6時間かけて日本海の海辺を黙々と走っていました。
そのアンニュイな雰囲気も伝わりましたでしょうか。
風太郎さま
電関人もとっくに卒業しましたが、
かつて鈍行列車のボックスに陣取って、
進行方向に向いて足を投げ出して、
シュボッと煙草に火をつけ車窓の風景に目を遣る。
贅沢なひと時でした。
狂電関人さま
当時の喫煙人口は今の比では無かったでしょうし、
終着が遠い鈍行列車の旅には煙草もまた似合うものだったように思います。
お行儀の悪い足投げ出しも空いてる列車では誰の迷惑でも無く、
それも旅の解放感として格別のものがありましたね。
今のローカル線ではそういう風景もあまり見ない気がします。
短距離乗車が多くなって靴を脱ぐ事も無くなっているのでしょうか。
こういう車内風景は、記憶の中では、懐かしさ一杯で生き続けています。
が、画として残したかというと、少なくとも小生的には苦しいところです。さすがです。
旧客の窓戸錠、背もたれ、網棚などの、質感描写もさることながら
このオヤジさんの雰囲気と紫煙、海の眺めとのマッチングが、何ともいいです。
本当にこんな時代があったんですね。当時は、飛行機でも喫煙が許されていました。
旧国鉄車両には灰皿のネジ穴が残っているのがあります。小さなテーブルには栓抜きもありました。
痕跡を見ていると、こんな時代が思い出されます。
こあらまさま
寝てる時以外は煙草を離さない、取引先のチェーンスモーカー親父と呉越同舟、
ヨーロッパまで飛んだ時には死ぬかと思いましたが。
この当時のローカル線は適度な隙間もありましたし、窓を開ければ新鮮な空気も入って来たし、
それを佳き絵として付き合う心の余裕もあったのでしょうね。
実はかなり厳しいネガです。銀塩プリント時代は半ば諦めていたのですが、デジタル処理で救われました。
デジタルに蘇るあの頃の陰翳に再び出会うのも、なかなか至福の時間であります。
ハンドルやブレーキのように いろんなものに“遊び”の感覚があった というか
あまり細かいことに気を遣(つか)う以前に本来の目的を果たすのにいっぱいいっぱいだったのかも知れませんね
いまは物も方法もいろいろと豊かになり逆にその分それに付随する余分なものは切り取られたり邪魔扱いされているのかも
せちがらい便利で効率の良すぎる現代に生きる僕らは時々それを意識すると呼吸(息)がくるしいことも意識させられます
そういうときは そう 撮影旅(日帰り旅含む)に出たくなります 現実逃避の旅かも(笑)
と 屁理屈をこねまわしましたが ・・・ このモノクロシーンの主人公さん 26年前にあっちに逝ったオヤジに実によく似てます(笑)
いい写真です(笑)
タブレットさま
寄る辺ない鈍行列車の時間、ただ気持ちの揺らぎのままに撮り散らしたような写真に、
イマジネーションを拡げて下さる方がいらっしゃるのも嬉しいですね。
多様性を認めるとは、まずは多様性があると知る事が先決で、
全国各地の旅はそんな多様性の在りかを教えてくれた気がします。
現実逃避も旅の大事な役割のひとつでしょう。ひとつの価値観に縛られるから行き詰る訳で。
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