ふるさとの学校

天北線 中頓別1 1988年1月 16bitAdobeRGB原版 take1b

   天北線  中頓別     1988年







通学時間帯は寂れた最北のローカル線にもしばしの賑わいが戻るひとときだ。

中頓別だから、町内唯一の高校、中頓別農業高校の通学生か。

酪農・生活科は地場の主産業と連動したふるさとの学校だったはずだが、2008年に廃校になった。

生まれ育った土地でささやかな暮らしを結ぶ事の、かくも難しき。








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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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風太郎様

左手鉄道員の方の顔 真剣ですね
雪の中 歩く青年たち・・・
その背中は青春を謳歌するには寂し過ぎます
やはり気候風土の厳しさがあるのでしょうね
背中で語るべき多い描写
やはり風太郎様ならではでと感じました
[ 2016/05/22 10:18 ] [ 編集 ]

足元

風太郎さま

別にヤラシイおやじ目線ではなく、
北辺の真冬なのに、女子学生の足元が以外に軽装なのが驚きです。
天北線、未踏のまま幻になってしまいました。
[ 2016/05/22 10:24 ] [ 編集 ]

北と南で


りらさま

ドアの脇で閉まる間際まで撮っていますから、車掌さん、なんだコイツと訝しげではありますね(笑)
高校生がローカル線の主役である事は日本全国共通していましたが、
同じ高校生でありながら北と南であまりに違う通学風景にはこの国の広さを実感しましたね。
酷寒・豪雪と都会人には想像し難い苦労がある生活だったと思うのですが、
その故郷を捨てる若者あり、留まる若者あり、それぞれの人生模様にも想いを馳せたものです。
[ 2016/05/22 12:03 ] [ 編集 ]

雪国の足許


狂電関人さま

言われてみれば男も女も軽い足許ですねえ。雪国と言えばゴム長が定番でしたが、このあたりから変化が生じていたのでしょうか。
想像するに本州とは違うサラサラパウダースノー、除雪済みのところだけ歩いて余程ズボらない限り、
足許が濡れるような事はあまり無かったのかも知れませんね。
もちろんゴム長なんてダサイものは履けるかという、この世代ならではのやせ我慢的なカッコつけもあったに違いありませんが。

撮影地に立つのもいいですが、旅人目線のスナップ写真というのも後でじわじわ効いて来る所があるものです。


[ 2016/05/22 12:13 ] [ 編集 ]

こんにちは

そういえば私も雪の中 かさじそうのように停留所で待ってたものです
待っていても雪 車内はうだるような暑さでもうもうとし 下車してから黙々と雪道を歩き
当時はそれが何の苦痛も感じなかったのが不思議です
そういうものだと何の疑問にも思わなかったのでしょうね よく風邪なんかほとんどひかず通えたなと思います   
撮影の年代を見たら ・・・ああそうか この年は私はもうこの写真の学生さんたちより年上なんだと ちょっと苦笑い

うちの長男もそうする予定ですが いったんそこを出たものが成人式の日にはみんな帰ってくる
そのときに あのころはさ・・・という話と 今自分が何やってるか・・・の話と たしなみ始めたばかり(のはずの)お酒を口にし
その日のうちに それかその翌日に また各自の「持ち場」に戻る、田舎では当たり前の仕組み
お写真に写った彼や彼女も雪の汽車通を肴にしたかな なんて ふと思い描いたりします
  

 
[ 2016/05/23 01:14 ] [ 編集 ]

「汽車」の記憶


Jamさま

都会育ちの風太郎は故郷への想いも屈折も想像でしかない立場なのですが、
例え故郷を捨てたとしても、多感な時期を過ごした場所を人生の記憶から消去出来るはずもない事は想像に難くありません。
故郷を離れた仲間たちがまたひとつに集うというのもいいものでしょうね。
既にそこに通じる「汽車」は消え失せていても、彼らの中では今も走り続けているのだろうと思います。
何か切ない記憶の断章ではありますが。



[ 2016/05/23 21:46 ] [ 編集 ]

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