蒲原鉄道 高松駅跡 2015年
駅から10分程山間に入ったところに隠れ里のような高松集落があり、
朝な夕なに、このささやかな駅は結構な利用者で賑わうのだった。
時は流れ、あの人々は今何処で日々の暮らしを紡いでいるのだろう。

蒲原鉄道 高松 1981年

蒲原鉄道 高松駅跡 2015年

蒲原鉄道 高松 1982年

金割鉱泉 (廃業) 2015年
時に置いていかれた風景がもうひとつ。素朴な湯宿だった金割鉱泉は数年前に廃業したらしい。
農閑期の癒し場としてそこそこ賑わっていたようだし、何より高松駅から徒歩1分という泣かせるロケーションながら、
一応温泉旅館だからそこそこのお値段で、結局一回きりしか泊まらなかった。部屋の窓からのプチ俯瞰も懐かしい。
結構気張った建物だったはずだが、今は夏草に埋もれるばかりである。
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「風太郎の1980年田舎列車の旅」Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved
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棚からぼたもち
東京ドーム観戦戦績は数えたくもないが通算15勝35敗程度と考えられ、屍累々のなかで2戦連続勝利たあ、目出度いこっちゃ。
土壇場9回表に澤村の連続暴投で決勝点とくれば「棚からぼたもち」とはこの事だが、たまにはあってもよかろう、これも野球だ。
福田、 レフト前に弾丸ライナーの同点打!
苦節10年、「ドラゴンズのロマン砲」福田の存在感が俄かに頼もしい。
序盤の同点タイムリーもあれば、澤村の暴投はフルカウントからいつもやられるフォークにバットが止まったから呼び込んだ。
福田が打ち勝ったとも言えよう。
「ロマン砲」についてはそのうち一稿設けねばと思っているが、福田よ、今度こそ今度こそロマンを現実にしてくれえ。

戦利品~。 「橙魂グッズ」との事。
まあ見境なくよく配るわ、こういうモノを。いつもは当然受け取り拒否するこの手のグッズだが、つい手を出しちまったい。
いっぺん度胸試しに「ドラゴンズ応援席」でコレを着てみるか。怖過ぎるな。
大の巨人ファンのカミさんのお母さんのパジャマになる。
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4枚目のお写真
列車にまさに乗ろうとする男子学生の瞬間を撮影されています
長靴を履いていません
傘で顔が見えない方も長靴ではありません
その背後の方学ランにコート姿の方は長靴を履いています
この地に住む方々はこの程度の雪では豪雪とは思われないのでしょうね
長い冬の間 雪に寄り添うように暮らされていたのでしょうね
そして列車と共にあったのでしょうね
奥様のお母様 ジャイ子だったのですね
Dgirlsモデルとして活動募集中です
応募写真送ってみたくなりました
風太郎さま
道床と云い、オーバークロスと云い、そして金割鉱泉の建物。
此処はしっかりとあの時代が今の世に焼き付いてますねぇ。
益々もってレンジファインダー機一台片手に彼の地を訪問したくなりました。
りらさま
携帯もパソコンも無く、あるのは雪ばかりの山里で若者や子供達はごく普通に暮らしていたのです。
もちろんそれが嫌で故郷を捨てる若者も多かったに違いありませんが。
そんなに昔じゃないはずなのに、もう二度と戻れない程遠くなった時代。
写真というのはつくづく雄弁な証言者だなあとも思いますね。
Dgirls・・・カープ女子の向こうを張って、なのでしょうか。ここまで来ると泥臭いオールドファンはつい引いてしまいます・・・。
狂電関人さま
高松は何かこう在りし日の蒲原の魂が宿っている感じのオーラが漂っています。
七谷と来ればもう、泣けますよ。
レンジファインダーにトライXでこの地の幻影を形にして下さい。
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