虚ろな夏   30年目の蒲原鉄道     その10

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   蒲原鉄道 七谷駅跡    2015年  







往時の面影を最も濃く残すのは、この七谷駅跡だろう。

駅舎は地元の集会所として今も活用され、コンクリートのホームもはっきり形を残している。その奥の二棟並んだ農業倉庫もそのままだ。

ホームの周囲の草叢がきれいに刈られているのは、これを記憶を継ぐものとしたいという、誰かの意思だろうか。


在りし頃。

駅の周辺こそ人家は疎らだが、列車の時間が近づけばどこからか集まる人々で小さな駅舎は結構一杯になるのだった。

それは此処が上下交換駅で、二列車分の乗降客を相手にしていた事とも無関係ではないだろう。

運転上の要衝でもあるから独りの駅長が常駐し、朝に夕べに列車を迎え、送り出していた。







七谷夏のホーム1 1981年8月31日 Adobe16bit 原版take1b

  蒲原鉄道 七谷     1981年
  
蒲原鉄道 冬の七谷駅俯瞰1 198年月 16bitAdobeRGB原版 take2b
  
    1985年





中央の手を借りることなく、地元有志が資金を拠出しあって未開の山野を切り拓き、

1930年に開通した村松~加茂間の鉄路は結局55年間の生涯だった事になる。

幾多のエネルギーが注がれた公共財が人の一生より短い期間で失われる現実。

地域が衰退するから鉄道が失われるのか、鉄道が失われたから地域が衰退するのか。

例え民営であろうとも公共輸送としての性格を持つ鉄道は、相応の理由なしに無くせないものである事は事実だから、

答えは前者と考えるのが妥当だろう。

しかし村松加茂線は最後まで1日12往復、1時間ヘッドの運転間隔を維持し、朝夕は座りきれない程の混雑だった。

それが地域でいかに信頼を得ていたかは、何より昔日の写真が如実に語るではないか。

代わりに大金を投じて整備され、冬季の除雪をはじめ維持コストも膨大と思われる国道290号線は、今通る車も疎らで、

廃止の見返りに同区間を並行して走っていたバス路線も既に消滅した。

鉄道のみが抜け落ちたムラの風景は、この土地が覆い隠せない停滞、そして衰退にある事を感じさせる。

地域の振興、活性化とは誰のためにあるのか。



それはともかく。

風雪に耐え、そこに生きる人々の日々の業を支え続けた鉄道は、いつしか目には見えぬ魂をこの地に遺した気がする。

繰り返される日々の暮らしの泣き笑いや、地道な労働が折り重なった場所に宿る、情念のようなもの。

そんな魂のさざ波は、時を超えて此処に立つ人の心を微かに揺らしはしないか。

たとえその痕跡があめつちに埋もれ果てても。



( 虚ろな夏  30年目の蒲原鉄道     おわり )











蒲原鉄道 冬の七谷駅夕暮れの乗客4 198年月 16bitAdobeRGB原版take1b

   1983 年



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   2015年








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[ 2016/07/03 19:20 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(10)

こんばんは

旧蒲原鉄道の一連の御作品、密かに拝見させていただいてましたが、どれも心にしみておりました。
なんと言いましょうか、鉄道がなくなって寂しいとか、むなしいとか、そういうことではなく...。
これもまた無常と言ってしまえばそれまでですが、‘なんだかやるせない気持ち’と言えばしっくりくるでしょうか。

この時代に廃止になった鉄道路線は、ある程度の利用客はもちろん、駅員や設備がしっかり残っていたものが多く、
御写真を拝見して、その鉄道の中に十分な人の気配を感じることができるので、よりやるせない気持ちになります。

今だと、特にJRの各ローカル線は、大きな組織の中で徹底した合理化が図られ、鉄道の気配が薄くなってしまった鉄道が多く、残されているというより放置されている感じですね。なので、逆に、近所の方の方が鉄道に対する愛着が強かったりして、駅のまわりをしっかり手入れされてるのを見ると、なんだかとてもほっとします。

鉄道も人と同じで、決して永遠ではないと思えば良いのかもしれませんし、たとえ鉄道がなくなっても、人がその場所にいた時間は永遠に生き続けるのは間違いないのですが、できれば少しでも長く生きていてほしいなと思いますね。好きな鉄道には。
[ 2016/07/03 22:20 ] [ 編集 ]

時代を生きる


山岡山さま

蒲原鉄道は古いなりに車両も施設もよく手入れが行き届き、従業員の所作もひとつひとつが折り目正しく、
その最後の日まで凛とした鉄道の矜持を感じるところがありました。
結果的に終焉に至るまでの3年間を追い続けたのは、滲み出て来るようなその存在感に惚れこんだのかと思います。

何事も合理的かつ経済的になるのは悪い事では無いはずですが、それは鉄道の矜持というものと相反するのでしょうか、
最近の鉄道の寂しい現実はありますね。むしろ経営に関係の無い利用者の想いの方が強い気がするのは同感です。

時代は刻々と動いています。30年前だって鉄道の黄金期と比べれば寂しいものであったはず、
足りないものを数えるよりも、その時代時代に生きるローカル鉄道の在りようを誠実に記録に残そうではありませんか。
それが土地に歴史を刻んだ鉄路への精一杯の敬意のような気がするのです。
[ 2016/07/04 00:26 ] [ 編集 ]

こんにちは。

私も蒲原鉄道に何回か通った一人として感慨深く拝見しました。
ありがとうございます。

鉄路がある、ない。 思い出や無情。
いろいろな情景が織り混ざったこのシリーズで感じたことは、
自分もあれから30年経ったということですね。

昔は良かった・・ではなく、自分が非常にポジティブになれた時
自分も30年という空気に触れてみたくなりました。

今後とも素晴らしいトピックを楽しみにしています。


[ 2016/07/04 17:29 ] [ 編集 ]

写真展

こんばんわ、始めてコメントを差し上げる露太本線と申します、風太郎様より一回り年上の団塊後期世代です。 定年退職後に子供時代の夢を実現すべく、蒸機が現役だった最後の時代、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウト製作中です。 時代整合しない車両に興味なし、運転より風景再現重視の風変わりなコンセプトがどう評価されるのか知りたくなり昨年末ブログ開設しました。 写真撮影は全くの素人なのでコメント送付を躊躇っていました、前置きが長くなりました。 偶然に貴ブログ【駅の品格】に出会いました、画像と添えられた文章が一体となって心に染みました、私が目指す鉄道のある風景に通じる独特の匂いを嗅いだ様に感じました。 80年代に撮影されたバックナンバーからは、60年代とも90年代とも異なる、現代に至る転換点だった時代特有の空気が伝わって来るように感じています。 五能線・北陸・北海道・そして蒲原鉄道と、すっかり「風太郎ワールド」にハマってしまいました。 信州在住ですが新宿まで2時間余、8月末の上京機会に貴写真展を訪問する予定でおります。 
[ 2016/07/04 18:23 ] [ 編集 ]

風太郎様

駅舎は地元の集会所として今も活用され・・・・
それをお聞きして安堵しました
1981年 1985年 1983年 撮影されたお写真
それを拝見したあとに2015年撮影されたホームの階段 愕然とする思いです
1981年撮影されたお写真 振り返り微笑む鉄道員の方が一際印象的です

虚ろな夏  30年目の蒲原鉄道  感動を持って毎回拝見させて頂きました
有難う御座います
[ 2016/07/04 19:26 ] [ 編集 ]

自分の足跡を


をごやさんぽさま

初めまして。コメント有難うございます。

若かりし日に相応に大きなエネルギーを注いだ土地に、時を超えて再び立つというのは想像以上にエキサイティングでもあり、
その間の自分の足跡を振り返るような、静かな思索の時間でもあるようです。
そんな場を今与えてくれるというのも、失われた鉄道に感謝すべき事なのかも知れませんね。

「をごや」というのは尾小屋鉄道から来ているのでしょうか。間に合いそうで間に合わなかった、憧れの鉄道のひとつです。
贅沢を言い始めたらきりがありませんが、共感していただける方が居る限り、
せめて自分が触れる事が出来た愛しき鉄路の在りようを伝えていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

[ 2016/07/04 22:09 ] [ 編集 ]

イマジネーション


lofthonsenさま

初めまして。コメント有難うございます。

こういうブログですから写真が話の中心になってしまうのですが、もともと鉄道に興味を持ったのは模型が始まりで、
さらには1990年代以降、20年にわたり鉄道の写真から身を引いていた頃は模型に救いを求めていた位ですから、模型も大好きですよ。
それも枕木を1枚づつ貼って細いレールを犬釘ならぬスパイクで固定し、線路から作っていた位ですから「風景重視」の極みですね。

lofthonsenさんのブログもさわりだけですが拝見しました。「生野中学校」の内部まで再現した精巧さにはついニヤリとしてしまいます。
それ程見えはしない内部を作り込む事で、なかなか言葉に表現出来ない時代の空気のようなものを再現できるんですよね。
ただ買ってきた模型を走らせるだけでは月面の鉄道を見るようです。
いにしえの鉄道に込めた想いを工作に積み重ねて、初めて風や温度を感じる事が出来るのかと。
結局写真も模型も豊かなイマジネーションがあってこそ深みを持ち得るのではないでしょうか。

遠路はるばるお越しいただけるなら嬉しい限りです。イマジネーションが膨らむ一助になれば良いのですが。
お待ちしております。

[ 2016/07/04 22:36 ] [ 編集 ]

時代の証言者

りらさま

過去を振り返ってそこに何かを感じるには相応の歳月が必要なのかも知れません。
そういう歳になったという事なのでしょうね。まだ若いりらさんにとってはこれから先の体験なのかも知れませんが。
写真が時代の証言者であると、その価値に気付くのには時間が掛かります。
後になってみればあれもこれも撮っておけばよかったと後悔は付きません。

ハードディスクは残念でしたね。でもりらさんの写真生活は始まったばかりです。
りらさんの心のメディアには溢れるほどの情報が記録されているはず。
またこれから積み上げていきましょう。まだ先は長いです。


[ 2016/07/04 22:46 ] [ 編集 ]

七谷夢幻

風太郎さま

確かに公民館風情の駅舎でしたね。
それが活用されているのは嬉しい限りです。
しかもホーム跡がしっかりと健在なのも何とも言えません。
ホーム階段真正面からの対比写真が泣かせてくれますよ。
[ 2016/07/05 22:26 ] [ 編集 ]

七谷復活


狂電関人さま

ムラが寂れている今、公民館としての役割も終えつつあるような・・・。
多分ホームや敷地ごと地元有志あたりが買い取ったのではと思っています。

ここまで残っているなら線路を敷き直してホームの上屋も再建、安田民俗資料館のモハ51を移設して鎮座させ、
白熱電球が灯るホームを駅舎の宿直室に置いたコタツの中から眺めつつ雪見酒・・・。という七谷復活の妄想が膨らみますね。
誰か仕掛けないかなあ、と言ってるお前がやれって?
[ 2016/07/05 23:41 ] [ 編集 ]

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