迎える

蒲原鉄道 七谷駅のホーム1 1982年9月 X970 AdobeRGB 16bit 原版 take1b

   蒲原鉄道  七谷   1982年








朝も夜も一人きりの駅長は、そのたびに律儀に白い手袋をはめて列車を迎えた。











( 写真展漫遊録 )


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東京都写真美術館に「杉本博司 ロスト・ヒューマン」を見に行く。

「海景」シリーズが代表作ながら、写真家の範疇に留まらぬその多才ぶりが妬ましい程の「世界の杉本」である。

写真展を見に来たはずがいきなりガツンと食らうのは、「世界の終末」をイメージした何とも重いインスタレーション群。


「蜂蜜を搾取される事にとうとう気付いた蜜蜂が生きる事を止めた世界」

「自由とは自由の不可能性に支えられて理想になり得ると悟った自由主義者」

「人ゲノム遺伝子情報が解読し尽くされ、一生のスケジュールが確実に予測できる未来」

「草食男子に覆い尽くされて子供が生まれなくなった世界」


その数33点。


古美術品の収集家とも聞いていたが、錆びついた琺瑯看板やら破れかけたポスター、旧日本海軍潜水艦の自爆装置、

果てはダッチワイフまで持ち込んだ作品群に沈黙させられた後は、スクリーンと映写機を持ち込み、映画一本分の長時間露光で捉えた劇場の廃墟。

無数の物語が累積された光は何を映すか。


最後は「仏の海」と題された自然光撮影による三十三間堂の仏像群。仏は末法思想に抗し衆生を救うため祈り続ける。

千年の昔から現代まで尽きる事の無い「世界の終末」のイマジネーション。


人類と文明が遺物になる前に、アートは何を伝え得るか。少なくとも写真とは写真の為にあるのではないと聞いた気がする。

入場料千円を高いとみるか安いとみるか。それは、あなた次第です。






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2016/10/29 22:11 ] 昔の旅 蒲原鉄道 | TB(0) | CM(4)

重たい

風太郎さま

昨晩3年振りのゼミOBOG会々合を東明飯店でやり、
やや二日酔い気味の気怠い状態でネットチェック。
いきなり貴兄のブログにガツンと一発重たくかまされてしまいました。
恵比寿にも最近足を向けてないなぁ・・・。
それ以上に、ハロウィーン気分に浮かれた久々の池袋の人波に
圧倒されたのでした・・・。
この偽善的幸せ感が蔓延する国は何処へ向かっているのかと・・・。
貴ブログを読みながら考え込んでしまいました。
[ 2016/10/30 10:17 ] [ 編集 ]

終末


狂電関人さま

「私は此処に絶望的な未来を提示する。それをどうするかは次の世代に委ねる。」と突き放されてしまうのですが、
「世界の終末」はいつか来るものというより、私たちの心の内に常にあって繰り返し続けているものなのかもしれません。
また「終末のイマジネーション」に抗い、祈り続けることがここまで人類と文明を生き永らえさせたものとも思えます。
ローカル鉄道という輸送システムにもある種の終末感が漂う今、後の世に残すものを問われていますよ。
[ 2016/10/30 12:04 ] [ 編集 ]

風太郎様

一枚目
一枚のお写真の語るべきものは多大です
私がこのお写真に感想を書くこと自体 分不相応であるように感じさえ致します
律儀・・・・一人の鉄道員の方の姿にただただ頭が下がる思いです
ここ数日間のハロウィンの熱狂報道を見たあとなので・・・・感慨深いものが心に去来します


二枚目


「蜂蜜を搾取される事にとうとう気付いた蜜蜂が生きる事を止めた世界」
「自由とは自由の不可能性に支えられて理想になり得ると悟った自由主義者」
「人ゲノム遺伝子情報が解読し尽くされ、一生のスケジュールが確実に予測できる未来」
「草食男子に覆い尽くされて子供が生まれなくなった世界」

そう遠くない世界感であると思っています
現実性を帯びています
[ 2016/10/30 13:43 ] [ 編集 ]

矜持


りらさま

駅長の仕事に手袋が必要なものはほとんど無い訳ですが、
国鉄私鉄を問わず列車が到着する時は白手袋をして迎えるのが傍から見ても不思議な儀式でした。
もちろん誰もが不合理に思うなら止める事も出来たはずですが、この当時の鉄道に綿々と受け継がれたのは、
それがこの仕事に対する目に見えない矜持だったのではないかと思うのです。
楽しい事ばかりでは無かったはずの鉄道員生活、
それでもそんな矜持を持ち得る事の幸せが何処かにあったのかと想像するばかりです。

誰もが気付いている終末の予感、その解決は必ずしも冷静なロジックでは無く、
私達一人一人の心の衝動にあるのかもしれません。
アートはそのために人から生み出され、やがて人を救うものになると信じたくなります。


[ 2016/10/30 19:12 ] [ 編集 ]

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