多種多様

津軽鉄道 金木駅35 1984年1月 X970 AdobeRGB 16bit 原版take1b

   津軽鉄道  金木    1984年








こうして駅に集った人々を観察してみるとそのファッションのバリエーションもなかなかである。

津軽女性の伝統的な冬の正装たるスカーフは外せない年寄りがいれば、

そんな事はお構いなしの若いお姉さんがファッショナブルなのは、都会と田舎の境が曖昧になりつつある事の証しか。

それより下のジャリタレ女子はスタジアムジャンパーの一張羅なら、

寒風吹きすさぶ中、見てるこっちまで寒気がして来そうな超薄着少年は何かの意地でも張っているのか。


彼らの行先はこの地方の中心たる五所川原か、その先か。

レールは生まれ育った土地と都会の香りを繋いでくれるものでもあったろう。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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最近見なくなった・・・

こんばんわ。
60年代前半までは都会と地方の差が歴然としていた様に思います。
テレビ普及と交通綱発達、出稼ぎ/集団就職者帰省が都会の香りを地方へ拡散させ、80年代前半にはハッとするファッションを地方で見るのが珍しくなくなりました。
今回の作品で改めて感じるのは「当時の日本人の顔」です。
食生活の影響かメイクか解りませんが、朴訥な日本人の顔、最近とんとお目にかかりません。
[ 2016/11/07 20:47 ] [ 編集 ]

時代の顔


lofthonsenさま

そうですか、そう見えますかね。
言われてみれば、どっしり大地に根を下ろしたような顔にも見えてきますね。
さまざまなメディアが拡散する情報は、知らず知らずに都会が定める標準形へと顔かたちも変えてしまうのでしょうか。
昨日の事の様にも思える自分の写真からそんな変化が読み取れるとするなら感慨深いものがあります。
[ 2016/11/07 21:41 ] [ 編集 ]

こんにちは

そういえばスカーフのほっかむり 見なくなりましたね
過去うちの母の若いころは当たり前のようにしてましたし スカーフのがらも結び方も工夫してそれなりにおしゃれでした
いまも首元にはスカーフですが 頭にはかぶらなくなりましたねえ 
薄着の少年を見て思い出したのですが、
登校時の上下のスキーウエアで、学校に着いてそれ脱いだら半袖短パンという驚きの格好の小学生を白滝でいつも見てました笑 
意地なのか根性なのかただの汗かきなのか何なのか ただただ見ていて寒く、本人お気に入りのあだ名は「短パンマン」でした
そんな彼も今は高校生で白滝を出て大変おしゃれに気づかっているようです 
うちの息子も 白滝を出ていま住むマチで最初に驚いたのは、休日外を歩く子どもたちは「ジャージ」じゃないこと! 
息子も休日ジーンズと、おしゃれ?になり笑

「時がゆけばおさない君も大人になると・・・」 おしゃしんみてたらそんな歌が思い浮かびました 

 

[ 2016/11/08 08:39 ] [ 編集 ]

風太郎 様

ホームに立つ皆さんの寒そうな表情がよく表現されていますね
列車の窓ガラスにも寒さがよく理解に及びます

文面中
ジャリタレ女子・・・とありますが・・・それはどのような意味でしょうか・・・
お手数ですがお時間ある時教えて下さい
左下の女子だとしたら 可愛いです ファッション今でも通用するように思えます
[ 2016/11/08 20:15 ] [ 編集 ]

ファッション


Jamさま

スカーフは防寒と共にこの地方特有の地吹雪から顔を守る目的もあったのでしょう。
もろに吹かれれば本当に顔を張り飛ばされるような痛さでしたからねえ。
でもそんな機能性も若い人にはがんじがらめの因習に映ったのかもしれませんね。

短パンマンにはびっくりですが、屋内外の寒暖差が凄まじい北海道ならではという気もします。
彼なりに合理的なファッションだったのかもしれません。
風太郎的には-30℃近い超シバレのなか、ナマ足・ミニスカートの女子高生を見かけた衝撃が忘れられません。
ファッションとはしばしば機能性や合理性に背を向けたやせ我慢でもあります。

時がゆけば幼い君も・・・。やがてこの駅から外の世界へと散ってしまったのだろうなあと、彼らの今に想いは及びます。
[ 2016/11/08 21:48 ] [ 編集 ]

駅に集う


りらさま

手前の女子はもちろん違います。
ジャリタレとは二人の少年の間、遠くで背を向けた女子小~中学生を指します。これも何かの方言でありましょうか。
まあジャリタレもオンナを磨き、それなりの経済的自立を果たす事により蝶へと変身するのです。
いろいろな世代がローカル線の駅にあって一堂に集う事。ただそれだけの事が何か遠い風景に思えます。



[ 2016/11/08 21:59 ] [ 編集 ]

金木のファッション

風太郎さま

80年代初頭のこの2~3年くらいにガラリと金木に乗り降りする人々の
ファッション(服装)が変わったと思います。随分ハイカラになった84年の金木。
[ 2016/11/08 22:20 ] [ 編集 ]

この日は休日


狂電関人さま

そうですかねえ。オハ31がオハ47に変わった事以外、変わりようがない津軽鉄道と感じていましたが。
様子からして多分この日は休日、若い人がフリーというあたりが普段と違う駅に感じるのでは。
[ 2016/11/08 23:08 ] [ 編集 ]

金木の今

こんな人々の様子を期待して、先日この駅に行ってみましたが、無論期待は儚く散りました。
駅舎は建て替えられ、車両もカラフルになり、変わらないのは木の電柱の並びくらいですかね。
ちょっと風情のある街並みは残っていましたが、そもそも人通りが少なく、淋しさが漂っていました。
太宰治の斜陽館周りだけが、何所にでもあるような観光地の眺めになっています。
30年という時間の経過は、やはり抗うことのできない、人間模様の都市化を招いています。
隣の嘉瀬駅は昔の風情を留めていましたが、人気がなく、人間模様自体が見られませんでした。
[ 2016/11/11 23:03 ] [ 編集 ]

金木今昔


こあらまさま

北への大紀行、羨ましい限りです。金木にも行かれましたか。

津軽鉄道には無論この当時でも衰退の翳はあったのですが、沿線の中心地金木と言えばやはり別格の賑わいがありました。
若年人口がまだまだ残っていたというのもありますが、この当時は30分ヘッド位のフリークエンシーがありましたから、
公共輸送機関として今とはケタ違いの利便性というか、簡単に言えば当てにされていたということです。
お客が減る⇒本数を減らす⇒更なる客離れ というスパイラルにローカル私鉄の優等生とも言えた津軽鉄道も陥ったようです。
この当時は観光的に脚光を浴びる事も乏しかったと思いますが、これでもかと観光が喧伝される現在に地元庶民の生活が衰退しているとは皮肉なものですね。
[ 2016/11/12 00:41 ] [ 編集 ]

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