さわやかイレブン

土讃線阿波池田2016年10月_11114b

   土讃線  阿波池田    2016年







四国鉄道の要衝、阿波池田には夜も更けた頃に着いた。今時良く残ったと呆れるほどの本格的駅前商人宿に投宿。

全盛期と比べれば見る影もないのだろうが、まだまだ広い構内に所狭しと車両が駐泊する様は、腐っても鉄道の町である。

覆い隠せぬ衰退の翳にも関わらず、路地裏に赤い灯青い灯がそこかしこに灯るのは、やはりぽっぽや相手の商売の名残りか。






土讃線阿波池田2016年10月_11116b

   待合室に掲げられたかつての阿波池田駅








空を覆っていたであろう機関車の煙も消え、いつしか忘れ去られる運命にあったこの山間の町に

一躍全国の注目をもたらしたのは、あの「徳島県立池田高校」である。

部員数僅か11人の野球部を率いる、後に名将と謳われる蔦文也監督は当時普及し始めたばかりの金属バットに着眼、

「腕力さえあれば多少芯を外しても飛ぶ」という特性を見抜いて、細かいプレーよりもひたすら打ちまくるチームを目指し徹底的に筋力を鍛え上げる。

バッティング練習の乾いた金属音が学校の背後の山に木霊することから、誰が呼んだか「やまびこ打線」。

1974年、甲子園出場を掴むや11人のチームは並みいる強豪校を猛打で次々撃破、遂に決勝戦まで進出する。

最後に敗れたとはいえ「さわやかイレブン」は全国に感動を呼び、このささやかな町の熱狂は想像に難くない。


野球が単純だった時代と言えばそれまでだ。

11人というのも本当はもっと大勢の部員が居たのだが、猛練習に耐えきれず残ったのが11人だったという事らしく。

でもそれは地元のごく普通の少年達だったのは事実だし、よそ者ではないおらが町の代表に心からの声援を送ること、

それは高校野球の原点であり、夢のある時代じゃなかったか。


池田高校はご多聞に漏れぬ過疎や少子化の逆風を受けつつも、周辺校の統合も重ねて今も生き残っている。

(最近でも2014年に甲子園出場を果たしている。)

実はこの学校、駅のすぐ近くにある。明日の朝食を仕入れにコンビニに行くついでに見にいく。

周辺はさすがに真っ暗で校門位しか判別できなかったが、吉野川を挟んで「やまびこ」を返した山々は、黒々とした翳になってそこに在った。






HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/08/10 20:06 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(8)

野球狂

風太郎さま

大学時代には、その片鱗を感じませんでしたが
意外や意外、結構ヤキュウマニアなんですね!
セントポールだからそうか!?と今更知りました(笑)
[ 2017/08/10 20:31 ] [ 編集 ]

風太郎様

かつて甲子園でドラマを生み出した、蔦文也元監督率いる池田高校野球部は、これまで春夏の甲子園大会では通算で優勝3回、準優勝2回の輝かしい成績を残している。全部員11人だけで戦い抜き準優勝を果たした「さわやかイレブン」や、「やまびこ打線」と呼ばれたその豪快な攻撃野球で、一躍有名になった。1992年夏の甲子園(第74回大会)以降は20年以上甲子園出場から遠ざかったが、2006年の春の県大会では準優勝、同年の秋季高校野球大会では、同じく県大会で準優勝を果たし(優勝は徳島商業)、四国大会出場を決めるなど復活の兆しを見せた。2013年の秋季四国大会で準優勝し、2014年の春の甲子園に27年ぶり8回目の出場を果たした(2回戦敗退)。
1974年の春の甲子園(第46回大会)に出場した池田高校は、メンバーが11人という、どうにかゲームが出来る人数であった。しかし大会では快進撃を続け決勝戦で惜しくも報徳学園高等学校に敗れたものの、準優勝を果たした。
********************
記事にあったことを知りませんでした 調べてみました
感銘を受けました
記事を書いて下さりありがとう
いろいろなことを学ばせて頂いています
[ 2017/08/10 20:46 ] [ 編集 ]

刻まれた記憶


狂電関人さま

いやいや野球と言えばドラゴンズ一筋で、高校野球も大学野球もあんまり興味は無いんです。
でも昔の高校野球は何処か郷土の土の匂いが漂うようで、
旅の道すがら記憶の隅に残った校名に出会うとちょっとワクワクしたり。
蔦監督は駅前の飲み屋街で名うての呑兵衛だったそうですし、
町一番のビジネスホテルの屋号が「ホテルイレブン」なのも無関係ではありますまい。
ささやかな田舎町に刻まれた忘れ難い記憶なのでしょう。
[ 2017/08/10 21:10 ] [ 編集 ]

おらが代表


りらさま

今の高校野球は半ばプロ化していて全国から有望選手をかき集めたチーム同士、
何処が郷土の代表なのかとなれば、醒めた見方にもなりますよね。
「さわやかイレブン」当時はまだまだ本当の地元選手中心、
素質はともかく指導と努力次第でヒーローになれた時代でもありました。
真のおらが代表と地元の熱狂の余韻も未だ街の片隅に残るようです。

なおMF=マニュアルフォーカス。カメラ任せにせず、自分でピント位置を決める撮り方です。
りらさんのカメラでもOKだと思いますが、それぞれやり方が異なるので説明書をよく読んで試してみて下さい。
[ 2017/08/10 21:19 ] [ 編集 ]

モータリゼーションの頃

待合室の写真がとても興味深いです。この手作りっぽさもいいですね。実感が籠っています。
昭和43年(1968年)には駅前が砂利道だったのが、昭和51(1976年)には舗装のロータリーが出現。
ちょうど車勢力が鉄道に攻勢をかけ始め、蒸気が消えた時期でもあります。それに、まだまだ地方都市も元気そうです。
そして、風太郎さんの2016年となるわけですが、ちょっと暗くて様子が分りませんね。(笑)
確かに「高校野球」も郷土のチームとは言えなくなり、だらだらと一日が終ってしまうので見ないようにしています。
今年は孫の出場が決まって大騒ぎをしている叔母がいますので、その試合だけは見ようと思います。
ただし、彼もまた郷里とは縁もゆかりもない地区の代表です。
[ 2017/08/10 23:28 ] [ 編集 ]

時代の転機


こあらまさま

成程43年と51年を比較すれば、両者の間に鉄道と車の地位逆転という時代の転機が刻まれているようですね。
風太郎の旅は例によっていささかタイトなので、徳島の所用を終えた後、暗くなってから池田に着き、
翌朝の土讃線一番列車で高知(そこで車を借りて予土線に向ったのです)という忙しなさ、
阿波池田駅の佇まいまで記録出来ませんでしたが、51年と比べても大分変ったようですね。
瀟洒になった駅舎とはうらはらに駅前のシャッター通りが目立つのもご多聞に漏れず。
高校野球ですらスカウト次第、カネ次第というのも寂しいもの、何処か夢の跡を見るような池田の町です。

[ 2017/08/11 00:06 ] [ 編集 ]

IKEDA

こんばんは。

夜の阿波池田駅、架線の無い広い構内はとても良い雰囲気なのでしょうね。
機会があったら、此処と徳島駅には行ってみたいものです。

池田高校の思い出は、やっぱり畠山選手や水野選手が居た頃の黄金?時代ですね。
私は両親が徳島ではないものの、四国の出身なので結構応援しておりました。
時代が変われば甲子園出場高も変わりますが、いつかまたIKEDAのユニを甲子園で見たいですね。

[ 2017/08/16 23:48 ] [ 編集 ]

土地の物語


いぬばしりさま

池田というのはありふれた地名で、最初は一体何処の県かと思ったものです。
確かに全盛期はむしろこの後だったんですよね。
それも大分昔の事、実は阿波池田に着く寸前まで気付かなかった位なんですが、
ふと思い立ってスマホの地図を見たらあれま、と。
何かの物語を秘めた土地は何処か違う空気を纏う気がします。旅人の勝手な思い込みかも知れませんが。
[ 2017/08/17 00:13 ] [ 編集 ]

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