ホッパーが立つ駅

赤谷線 東赤谷駅全景2 1983年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b

   赤谷線  東赤谷     1983年









国鉄赤谷線は、国内では珍しい鉄鉱石を産する赤谷鉱山への専用線を出自とする。

この深い山峡に盲腸線を伸ばし、終着東赤谷手前の急勾配はスイッチバックまで作ってやり過ごすという執念の建設は、

それが軍事物資そのものでもあった故だろう。

戦後になっても営々と採掘は続けられ、往時は鉱山関係者の100戸を越す集落で賑わい、銭湯まであったという。


東赤谷構内の外れには大きなホッパーがあった。

ここから更に先にある採掘現場から専用線で運ばれた鉄鉱石をホッパーを使って国鉄貨車に積み替えたもの。

風太郎は特別興味があった訳でも無いが、産業機関車も見える専用線はその筋の人にとっては垂涎ものだろう。


この翌年に赤谷線はその歴史を閉じる事になる。

豪雪期故の開店休業なのか、それとも既にその機能を止めていたのか。

ホッパーは冷え冷えとした空気のなかに静まり返っていた。










赤谷線東赤谷駅のホッパー2 198年月 X970 AdobeRGB 16bit 原版 take1b


赤谷線 東赤谷駅1 1983年2月  AdobeRGB 16bit 原版take1b





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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2016/11/20 21:01 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(8)

赤谷線

風太郎さま

此処へは行かず終いでした。

ホッパーの中も覗いていたとは、流石です。
[ 2016/11/20 21:06 ] [ 編集 ]

何のお咎めも無く


狂電関人さま

構内を線路伝いに歩いてうろうろした挙句、恐る恐るホッパーの中まで首を突っ込んでも何も言われませんでしたからねえ。
今なら不法侵入ものですね。ホッパー内に人は居ませんでしたがご覧の通りの開店休業状態ですし、一声掛ければ何のお咎めも無かったでしょう。
この当時でも鉱山関係者がその家族と共に結構大勢住んでいて、不思議な雰囲気の駅でした。
チャレンジ2万kmぽい人は居ても、最後まで撮ってる人など見かけませんでしたねえ。
[ 2016/11/20 21:23 ] [ 編集 ]

産業遺産

これは凄いアングルの写真をお持ちですね。ホッパーの内部のディテールには、私もよだれの口です。
蒲原と合わせて撮られたものだと思いますが、よくもここまで踏み込まれたものです。時代も時代でしたから出来たのでしょう。
赤谷鉄山といえば時代に翻弄され続けた鉱山です。社会情勢によって何度も開発と放置が繰り返されたとされています。
このヤマは、その昔、冬季には雪のため操業を止めていたそうですが、そんな記憶が伝わってくるような眺めです。
風太郎さんの視点が生かされた、まさに産業遺産的な写真ですね。
もし赤谷-東赤谷間のスイッチバックの情景をお持ちでしたら、是非お願いします。
[ 2016/11/21 10:57 ] [ 編集 ]

風太郎様。
これまた、貴重なお写真ですね。
私の世代だと、半ば伝説化(?)しているとも言える国鉄赤谷線は、とても興味を引きます。
しかし、当時は中学1年坊主・・・流石にこの滋味豊かな末端ローカル線は知らず、
やっと山陰線旧客生き残りの魅力を知ったばかりの頃でした。
現地を訪問し、その目で見た風太郎様が羨ましい限りです。
[ 2016/11/21 17:04 ] [ 編集 ]

ご賢察です


こあらまさま

ご賢察です。此処には2回程行きましたがいずれも蒲原の前後だったような。
「みなみ東北ワイド周遊券」で乗れたので行き易かったのです。
かつて鉱山に鉄道はつきものでしたしホッパーのある駅は珍しくなかったのですが、
いつの間にか失われた風景になってしまいましたね。
本数極少、東赤谷周辺は雪のトンネル状態で走行写真は殆ど撮っていませんが、
スイッチバックの写真は辛うじてありました。そのうちUPしますよ。

[ 2016/11/21 21:01 ] [ 編集 ]

マイナー線区ながら


hmdさま

伝説ですか。今の様に趣味として一般的でなく、廃止対象線区としてマスコミの報道は多少あれど、
他にも廃線は無数にありましたからワンオブゼムだったのだろうと思います。
静かなもんでしたよ。でも気違いじみた喧噪の中などでは無くて本当に幸せだったと思うべきでしょうね。

こんな豪雪に閉ざされた山奥に鉱山の社宅があり、ちょっと都会的な感じの子供たちが大勢列車通学していたりして、
マイナー線区ながら不思議な雰囲気に惹かれたものです。
[ 2016/11/21 21:10 ] [ 編集 ]

風太郎様

記事何回も拝読させて頂きました
全ては理解出来ませんが 当時は貴重な産業の起点でもあったのですね
最後のお写真 鉄度員の方の雪掻き 印象に残ります

お写真 拝見させて頂き最初に感じたことを素直に書かせて頂きますね
廃墟写真の美・・・・感じました
実は 私は以前より廃墟写真に興味があるのですが 自分では到底撮れません
廃墟の美学を撮ることはとても難しことかと思います

撮影当時 建造物は当然廃墟ではないことは理解しています
映像美としてですが・・・・怒らないで下さいね
あくまで 私の主観です
二枚目は一際 憧れ写真です
[ 2016/11/21 22:57 ] [ 編集 ]

廃墟


りらさま

このホッパーは撮影時点で放棄されていたとは思いませんが、この1年後にはこの駅自体が廃止は決定していましたから、
ほぼそれに近いものであった事でしょう。廃墟といっても差支えないかと思います。
廃墟にはそれが重ねてきた膨大な時間と、そこに働く人々の汗と息遣いが閉じ込められています。
見えない聞こえないはずのそれらの囁きが、心の中だけに入り込んで来る空間。だからこそ心が揺さぶられるのでしょう。
かつて鉄道は常に産業と共に在りました。無論過酷な労働や暗い歴史も秘めているに違いないのですが、
残酷な時の流れはそれをきれいに消し去ってもしまいます。今この場所はすっかり自然に還り駅の場所すら判然としないようです。
写真が記録するものは単なる画像ではないのかもしれません。

廃墟の写真はいろいろな意味で難しくなりました。下手をすれば不法侵入ですからね。
持ち主が所有権や管理権を事実上放棄しているから廃墟なのであって、そのありのままを侵す事など無いのに不思議な解釈ですが。
でも時の流れに忘れ去られたものを廃墟と呼ぶなら、それはすぐ傍らにもあるような気がします。
りらさんだけに見える廃墟を発見して下さい。
[ 2016/11/22 00:27 ] [ 編集 ]

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