秋澄みし わたらせ遡行    その6     足尾②

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    足尾本山   2016年11月







足尾鉱山最奥部の、深紅のもみじに惹かれる。

それは無彩色な鉱山施設とのコントラスト故でもあったろう。








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沿線が単に風光明媚なだけではなく、その行きつく先に時代の証人が横たわっているのが、「わたらせ」の旅を奥深いものにしていると思う。

「観光トロッコ」でも良い。ただ足尾を用意されたアトラクションのみで理解するのではなく、その在るがままに自分の足で踏み込んで欲しい。

魂を揺らすように冷徹なその土地の在りようと向かい合うのも、旅のあるべき形じゃないか。






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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2016/12/12 20:30 ] 最近の旅 関東 | TB(0) | CM(10)

風太郎様

三枚のお写真の語るべきものはあまりにも大きく 私はただ見つめるだけでもう20分程経過しています
どのような 言葉を紡いだら 私の心が伝わるのでしょう
今はこの地に再び撮影に行って下ったことに感謝もうあげるのみとさせて頂きます
[ 2016/12/12 21:35 ] [ 編集 ]

足尾のヤマ

風太郎さま

某宗教のサティアンのような毒々しさと、背景に聳える禿山を何も無かったかのように
自然に還そうとする自然の力。その対比が人間が此処で何を創ってどうなったのかを
深々と考えさせる場所です。
国が富める原泉をつくる引き換えに多くの犠牲を払ったことを覚えておくためにも
この風景は残さなくてはいけないのでしょうね。
[ 2016/12/12 22:17 ] [ 編集 ]

風太郎様
あまりにも、重すぎる足尾の歴史・・・本当に入り込むと、底が見えない位に感じます。
鉱山鉄道は全国各地にありましたが、肌身に挿し込むように感じさせるのは、この足尾ならではかと。
ゴボゴボと音を立て、鉱水を湛えるシックナーが、本当は終わっていない事を主張していますね。
[ 2016/12/12 22:52 ] [ 編集 ]

写真が語るもの


りらさま

巨大な時空のごく一部を切り取った写真が何処まで真実を語り得るのか。
懐疑に苛まれる事もあれば可能性を信じたくもあり。
迷いは尽きませんが、何か心動くものがあったならそれは写真の勝利かもしれませんね。
お言葉有難うございます。
[ 2016/12/12 23:17 ] [ 編集 ]

足尾鉱山

こんばんは。

ここ足尾鉱山は私も訪れた事があるのですが、
風太郎さんのように被写体と上手く対峙出来なかった様な気がします。
やはり深い歴史があるものは、相手をしっかりと理解しないといけませんね。


[ 2016/12/12 23:24 ] [ 編集 ]

歴史への誠実さ


狂電関人さま

足尾には罪もあれば功もあったと思います。
功罪の評価はともかく、確かなのはこの山奥に人間の業というものが凄まじいエネルギーの痕跡として沈殿している事です。
そしてそれらが今、何も無かったかのように再び自然に還ろうとしています。
その痕跡を凍結し保存して後に伝えるべきか、それともそのまま朽ちさせ眠らせるべきなのか、歴史により誠実なのはどちらなのでしょう。
時折考えてしまいます。
[ 2016/12/12 23:34 ] [ 編集 ]

旅の価値


hmdさま

今も満々と水を湛えたシックナーは、まるでホラー映画の舞台のように不気味ですね。
此の地の歴史を今も黙して証言しているようです。
その傍らを派手なカラーに塗られたトロッコは観光客を満載して通り過ぎて行きます。
暗いもの、汚いものはお仕着せの「観光」の対象からは外されてしまうようです。
時間と費用を掛けて本当に見るべきもの、旅の価値の在りかは自分で探すべきなのでしょう。
[ 2016/12/12 23:48 ] [ 編集 ]

鉄道を見る事は


いぬばしりさま

結局風太郎は鉄道好き以前に旅好きな訳で。
鉄道そのものよりも、まずその土地が重ねてきた歴史や風土に目が向いてしまいます。
そこから鉄道は生まれ、やがてその一部になり、共に盛衰を経て今があります。
鉄道を見る事はその土地を見る事。その逆もまた真なり。

[ 2016/12/13 00:03 ] [ 編集 ]

精錬所の煙

50年程前のことですが、夏休みにこの銅山で働く親戚の家に何度か遊びに行ったことがあります。
もちろん、鉱山は稼働しており、そこには、それはそれは異様な光景が広がっていました。
近隣の山々は伐採と煤煙で草木は枯れ果て、川には魚ばかりか、生き物の気配すらありませんでした。
そこに暮らす人々は、本能的に誰もが不安を抱えていましたが、どうすることもできない現実がありました。
それでも、小さな平地に犇めく二軒長屋では、明るく楽しく生きようとする人々の活気ある生活がありました。
多くの方々が最初に鉱毒事件をイメージされる足尾ですが、私的には郷愁すら覚える場所でもあります。
精錬所から流れる不気味な煤煙は、姿かたちを変えて、今も社会に忍び寄っているような気がしてなりません。
[ 2016/12/14 21:18 ] [ 編集 ]

人間の逞しさ


こあらまさま

50年前となればまだまだ活気に溢れた鉱山町だったのでしょうね。
鉱毒云々の教科書的な知識で暗いイメージしか持たれない足尾ですが、
沢山の人々が暮らした足尾では祭りあり、運動会あり、素朴な助け合いありで、
そんな楽しい思い出が忘れられず、今もそこを離れない人も多いようです。
どこか北海道や九州の炭鉱町にも通じますね。
どんな暮らしにも喜びと幸せを見つけ出す人間の逞しさも感じますし、
それもまた記憶されるべき足尾の歴史なんですね。
[ 2016/12/14 21:56 ] [ 編集 ]

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