旅の入り口

五能線 窓の景色2 198年 月 日 16bitAdobeRGB原版 take1b2

   五能線  1983年







幹線の夜行急行とかを下車して乗り込むローカル列車。

普段暮らす都会の忙しないリズムやら煩わしいしがらみやらは無意識のうちにも染み込んでいるものだから、

その冗長な時の流れやら聞き取る事さえままならぬ方言やらの中にあって、一人迷い込んだような尻の落ち着かない感じがしばらく続くものだ。

五能線の客車列車のうち支障なく撮影可能なのは昼間の2本だけだったし、オハユニやワムの一両も繋げたそれは貴重なものだったから、

それに乗ってしまうのは勿体ない事でもあったのだが。

でもカーブ毎に軋みをあげる古びた客車にはその土地ならではの時間が濃厚に詰め込まれていて、

そこに身を委ねているうちに次第にその土地の在りように心も体も馴染んでくる気がして。


そこで撮るべきものは何なのか。

おぼろげだったそれが次第に形を結んでくるような、旅の入り口のちょっとした儀式だったようにも思うのだ。







HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/03/09 20:08 ] 昔の旅 五能線 | TB(0) | CM(10)

風太郎様

五能線の列車内 夢中で漫画本を読む 二人・・・
今ならスマホで見ているのでしょうね
やはりスマホでは味気ないと思います
ホームにいる女性 両手に持つ荷物 それでも背中の赤ちゃんは 充分守られていますね
温かくて安全ですね
この頃の方々の方が頭がいいようにも思えます
[ 2017/03/09 20:28 ] [ 編集 ]

同居


りらさま

漫画本に夢中は何処へ行っても変わらないよなあと思えば、
まるで掛布団のようなネンネコに風呂敷包み、
映画の中でしか見ないような格好の人が結構うら若いお母さんだったりとか。
いずこも同じところと全く異質なワンダーワールドが、絡み合って同居していたのがこの当時の「地方」でした。
ただそれもローカル線に乗客が居てこそです。今は寂しいものになりました。


[ 2017/03/09 21:02 ] [ 編集 ]

貴重な被写体

風太郎さま

そうでしたね、でもその客車に揺られて日本海を眺めながら

のんびりと旅がしたいという欲求を満たしたく・・・。
[ 2017/03/09 21:18 ] [ 編集 ]

窓枠の日本海


狂電関人さま

何だかんだでこの客車に良く乗ったのはここでしか撮れないものがあったからでしょうね。
キハ22や40の窓枠からでは「五能の日本海」は見えなかった気がします。
結果的に道中で撮った写真の中にこれはと思う写真が多いのですから、勿体無くはなかったという事でしょう。
[ 2017/03/09 21:29 ] [ 編集 ]

そうそう

こんばんは。

なるほど、確かに夜行列車を降りて地元の通勤列車に乗り換えると何となく座りが悪いですね。
それは今も変わらず、「ムーンライトながら」で関西に出掛けると、最初は落ち着かなかったりします。
でも、航空機で地方に行くと、それはあまり感じられないんです。何故なんでしょう?
やはり旅の入り口が非日常の空港だからなんですかね。
[ 2017/03/09 21:41 ] [ 編集 ]

プロセス


いぬばしりさま

空港からレンタカーのドアに直行という、最近の風太郎の堕落振りからすれば、
入口もへったくれも無い昨今ですね。
撮影の効率と引き換えにシャッター以前の大事なプロセスを犠牲にしているような気もするのですが、
さあどうでしょう、今のプロセスから何か感じるものがあるのでしょうか。
[ 2017/03/09 22:08 ] [ 編集 ]

旅のプロローグ

目的地との往復は、本来は旅の一部であり、大切なプロローグであり、エピローグであったはずです。
夜行列車を降りた時の、その土地の空気の印象は、とても大事なものだったように思います。
青函連絡船を降りて函館で列車に乗り込んだ時の、あの何とも言えない旅情は未だに忘れられない思い出です。
石川さゆりの歌声が聞こえてくるような、冬の北国への旅をもう一度してみたいものですね。
[ 2017/03/10 11:09 ] [ 編集 ]

カネは無くとも


こあらまさま

時間があったという事でしょうね。
2~3週間も旅にあれば、その土地の身を切るような寒さ、夜の暗さ、それゆえの駅の灯りの温かさがその時間と共に体に沁み込むところがあって、
それはその土地の生活者の目線に一歩近づくものでもあったのでしょう。
カネは無くとも贅沢な旅だったような気がします。

今は宇田郷で水平線に沈む夕陽を見送った翌日朝には、何食わぬ顔で会社のデスクに座っているようなマジックも使わざるを得ませんが、
何処か上っ面を撫ぜたような、というのは自分が一番分かっている訳で。
リタイアして夢よもう一度となるまで、いろんなものが残っていていて欲しいのですが。


[ 2017/03/10 22:30 ] [ 編集 ]

鉄道の外と中

風太郎様
鉄道を外から見るのと、中から見る対比も面白いですね。
冷たくごつい鉄で出来た無味乾燥な中にも、中から見れば、その土地の雰囲気や生活感が濃縮していたかと。
周りを見渡せば、新聞や本を読む者、居眠りをする者、お喋りに夢中な女学生たち、
自分のように車窓にかじり付いていた旅の者・・・雑多な光景が楽しかったと思います。
今や、都市部の通勤電車のロングシートに横一列、全員がスマホを弄っているのをみると、変な恐怖も感じたりして(汗)
[ 2017/03/10 22:48 ] [ 編集 ]

何も見ない自由


hmdさま

鉄道車両というのは閉鎖空間ですから、そこでやる事のネタなど尽きてしまうところがあって。
田舎の風景など変わり映えもせずというところもありましたからね。
車窓を眺めているようで何も見ない自由というのもあったような気がします。
それは自分の心の内との対話の時間でもあった訳で。
スマホは便利なものではありますが、何も見ないという実は豊穣な自由を奪うものでもあるようです。
スマホは閉じて旅に出でよ、というオヤジの説教が若い人にも響いてくれるなら良いのですが。
[ 2017/03/10 23:16 ] [ 編集 ]

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