北の細道   その4      北星

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    宗谷本線 北星    2017年2月






吾輩は駅である。名前は無い。無論毛織物屋でも無い。


という風情の北星駅舎はホームからも離れた雪原にポツリと建っている。

農機具小屋然ともしているがちゃんと時刻表とベンチを備え、近年まで汲み取りながらトイレまで隣接してあったというから立派に駅である。


1959年、当初より無人駅として開設。

団塊世代の通学等々なのか、こんな場所に駅を作らせる程の需要があったかと驚くが、

はなから有人駅にしないあたりは国鉄も渋々だったのかも知れぬ。


何より目を引くのはこの大看板「毛織の北紡」である。

かつて旭川に存在した毛織物メーカーであることは判明しているが、既に会社そのものが失われた今、その設置の経緯など知る由もない。

ささやかな待合小屋と言えど国有鉄道、国民の共有財産である。一民間企業の大看板の設置が公式に認められるとは信じ難く、謎は謎を呼ぶ。





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高度成長期に全国津々浦々に貼り巡らされたこの手の「琺瑯看板」には様々な伝説がある。

板壁、土塀、それこそ都会も田舎も無く、当時の建物という建物に所狭しと張り付けられた様々な生活用品の看板。

琺瑯看板の権化と言うか、その枚数とバリエーションにおいて最大規模を誇り、

今も盛業中の大メーカーの人間と以前付き合いがあったので、ズバリ聞いたことがある。

「あれだけの膨大な量の看板を一体どうやって全国に貼り巡らしたのか。」

それは社内に今も語り継がれる伝説だそうだが、答えは「勝手に貼ってまわった。」


モーレツサラリーマンの時代である。大量の看板を軽トラックに積み、全部貼り終わるまで帰って来るなと送り出されたらしい。

一応農家を訪ねて頭を下げ貼り付けの許しを請うのだが、許可が下りる事など滅多にない。

切羽詰まった挙句、夜陰に乗じて納屋の壁あたりに勝手に打ち付けて帰ってくるのだという。

社名商品名が大書してあるのだから当然怒り狂った抗議が来る。

そうなったらすぐに謝罪に向かい、大量のサンプル品を差し出して詫びを入れれば大概はそれで収まったとの事だ。

日本の片隅にまでマスプロ生産の商品が行き渡り始めた時代の、荒っぽくもダイナミズムに溢れた遺産と言えなくもない。

「北紡毛織」もそんなモーレツ営業が生んだ「遺産」なのか。いや国鉄にセーターを持っていっても許してくれないだろう。







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風太郎の見立てはこうだ。

国鉄は木張りの簡素なホームを作るだけで精一杯、駅舎など作らなかったのだが、

困った地元住民有志が自分の土地に半ば手作りで駅舎を建てた。

開拓者魂に溢れた昔の入植者は建物のひとつ位自分で建てられるのだ。

「北紡毛織」は何かの縁でそのプロジェクトのスポンサーだったとすれば。

国鉄がどうこう言う筋でもなかろう。


真相はどうであれ、駅と看板はそれから数十年の歳月を重ねた。

汽車に乗り降りする人々を風雪から守り続けたささやかな駅舎は、いつしか此の地に欠かせぬ風景になったに違いない。

北星駅は今存続の危機にある。駅が出来る前、広大な原野に還る日はごく近いかもしれないのだ。



昭和30年代位まで北海道の農家では2~3頭の羊を飼う事がよくあったらしい。

羊毛を刈り、毛糸を紡いで手作りのセーターやマフラーを編むのが、開拓時代の色を残す当時の主婦に必要なスキルだったと聞く。

用が済んだ羊は食っちまったらしいが。北海道のジンギスカン文化はそこから来ていると知って成程と。

その後やってきた「近代化」はやがてそれらも工業製品へと変えていくのだが、

「北紡毛織の駅」に佇めば、この酷寒の地の暮らしにささやかな潤いを与えたに違いない、暖かなセーターの感触がふと蘇る。






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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/03/21 20:27 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

名推理

風太郎さま

それとも鉄道探偵、麻布風太郎先生の名推理。
それにしても北星に星のマークの北紡とは良くできてますね!
[ 2017/03/21 22:21 ] [ 編集 ]


狂電関人さま

かつて線路際に所狭しと貼ってあった琺瑯看板、あれを様々なシチュエーションで撮って歩いていれば今頃写真展のひとつも出来たと口惜しく。
そんな後悔もあってこの北紡毛織は気になりまくっていたのです。
五稜星のマークは遠く北海道開拓使の旗印まで遡るそうで、長らく北海道の象徴であり。
道内企業としてはサッポロビールならずともごく自然にあやかるデザインだったのでしょう。
北極星か五稜郭でも象徴しているのかと思うのですが、どこか遠い昔の北海道を思わせる「★」です。
[ 2017/03/21 23:01 ] [ 編集 ]

いやいいね!

今回は写真じゃなくて(失礼!)話の内容がいいですね。
アナーキズム極まる琺瑯看板配布の話は泣かせます。
そうだよ、そんなもんだよ、物事はそうやってしまえばいいんですよ。
法治だとか、セキュリティーだとかくそ食らえ。
だって大きな権力を持っている連中は好き勝手なことをやっているじゃない。

「民活」とやらのお題目に騙されて、JR改革とやらの実態が目に見えてきて、
今本当に、我々は騙され、愚弄されたと気が付かねばなりません。

嫌な世の中になってしまった。素朴なセータの暖かさ、そんなものが恋しいですね。
[ 2017/03/21 23:25 ] [ 編集 ]

ホーロー看板

このホーロー看板はまだ生き残っていましたか。既に駅舎の構造材になっているかのようです。
昭和初期、智恵文村は緬羊飼育が盛んだったとされています。
多分、この北星辺りもそうだったのでしょう。そこに、旭川の北紡ですから、何らかの因果関係が。
北紡が緬羊農家に駅舎を贈呈したのか。宣伝効果の高いこの駅舎に勝手に打ち付けたのか。
なかなか、推理するのも面白いですね。
それにしても、今もって「キンチョール」、「オロナミンC」、「ボンカレー」などなど。ホーロー看板の人気は凄いです。
[ 2017/03/21 23:51 ] [ 編集 ]

アナーキズム


大木 茂さま

風太郎は辛うじて「コンプライアンス遵守」なるものに素朴な疑いを持っている世代なのかと思うのですが、
金科玉条のように信奉する人間が増殖するを見れば古い人間になったかと。
この国を焦土から立ち上がらせた庶民のダイナミズムは、決して上からのお行儀の良い教科書の押し付けから生まれたものでは無く。
それぞれが生きる事に一生懸命で、そんな厳しい所を皆が分かり互いに寛容を与え合って共に成長する社会であったのでしょう。
「民活」などというのは所詮お上のルールで民を飼い慣らし、都合よく利用する仕組みでしかありません。
格好の良い秩序とはむしろ民を縛り社会を息苦しくしているのかもしれませんね。
ネガティブな未来ばかりが語られる事が多いですが、これまでの秩序が壊れるのは必ずしも悪い事ではなく、
潤いのある社会を再び作り直すきっかけになるような気もしています。

随分大きな話になってしまいましたが、忘れ去られたような地方にはそんなアナーキズムの痕跡がそこかしこに保存されています。
幸せのかたちというものをそこに見つける様な旅を多くの人にしてもらいたいなあと思うのです。



[ 2017/03/22 00:27 ] [ 編集 ]

ウインウイン


こあらまさま

そうですかそれは初耳でした。開拓農家の自家製手仕事レベルではなく、ある程度組織だった生産が行われていたんですね。
そうなると「推理のイマジネーション」もまた広く深みを増すというものです。
キッチリと小屋の長辺にサイズが合った看板はむしろ看板に合わせた設計を思わせますから、突発的な「犯行」では無い様な気がしますね。
厚い金属で丈夫な琺瑯看板は実際壁の補強材の役割を果たしたり、穴塞ぎに役立ったという話も聞きます。結局ウインウインだったのでは(笑)
[ 2017/03/22 00:39 ] [ 編集 ]

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