北の細道   その2      宗谷本線

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   宗谷本線 東六線    2017年2月






利尻など到底望めぬ天気とあれば、「先端部」はあっさり捨てて、今まで手薄だった序盤~中盤部を重点的に攻めようかと。







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   東六線


hokkaido201702_13933北星take1b

   北星
  

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   剣淵


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   音威子府








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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/03/17 22:01 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

最果て本線

風太郎さま

ヨンマルに高運183など撮りたい被写体はあれども・・・

未だに飛行機に乗って行く鉄に慣れない電関人でありました。。。
[ 2017/03/18 09:51 ] [ 編集 ]

風の如く


狂電関人さま

まっ互いに現役の身ではままならず。広い北海道を今度は「風の如く」で駆け回るようです。
1週間2週間と旅にある中で次第に撮るべきものへフォーカスが合っていくような感触が欲しいんですけどねえ。

優等列車にあまり興味が無い風太郎も、この「サロベツ」の顔にはどこか「国鉄」の面影があるようで懐かしく。
ノッペラボーなヌリカベの如き「スーパー宗谷」より余程いいと思うのですが。
[ 2017/03/18 11:47 ] [ 編集 ]

あぁ北海道、北海道…

北海道てぇのは、何か独特の思い入れがありますね。
ぼくが初めて行ったのは1960年代半ば、もちろん飛行機で行くなんてことはありませんから、固い座席の列車を乗り継ぎ24時間以上かかって札幌まで到達したものです。
今の若い人にとって身近な、ヨーロッパやアメリカに行くフライト(12〜13時間)よりも遠いもの、更に遠い存在だったと思います。
ある意味異国でした。気候、風景、住環境、東京の郊外に住んでいたぼくには想像もしなかった世界がそこに拡がっていたのです。
面白かったですね。
つまらない例ですが「札幌ラーメン」がとてつもなく旨かった。札幌に行かなければ食べられず(信じられないでしょうが、全国チェーン店なるものもなく、東京ではお店はなかったと思います)狸小路に行ラーメン店のはしごをしました。
見るもの触れるもの全てが新鮮でした。

でも考えてみると、面積は広いが人口の少ない北海道は独特の立ち位置にあるようです。
明治政府によって、土着のアイヌの人々を押しやって「開拓」を進め、広大な農地を無理矢理作ったはよいが今や一次産業は衰退し、
もう一つの、石炭を初めとするエネルギー資源は用なしとなり、国家百年の計は大きな行き詰まりになっています。

「鉄は国家なり」という言い方がありましたが、生活を支えている「鉄道は国家なり」であるならば…
新天地に開拓民を放りこんだはよいが、100〜150年後の今では、新たなる国家戦略では、基本的には道民は棄民としか扱われていないのですね。

この2月に久しぶりに北海道に行ってきました。風太郎さんの渡道とほぼ同じ時期でしたが、ぼくは釧網線、石北線でした。
思うところ多々。宣伝ですみませんが、近々我がサイトでお知らせします。
同じく宣伝ですが「北辺の機関車たち」の復刊が、有り難いことに決定しました。
5月刊行を目指して進行中です。こちらもどうぞよろしくお願いいたします。


[ 2017/03/18 20:15 ] [ 編集 ]

北の墓碑


大木 茂さま

いつの時代も若者に旅の冒険談はつきものだと思うのですが、最近の若い奴が「バイクでアメリカ大陸横断」とか事もなげに言うのを聞けば、
コノヤローとか、でもやっぱり羨ましいとか複雑ですね。

同年輩のオヤジ達が集まれば円ドルレートが今の2倍だったとか言い訳と共に「やっぱり北海道が良かったんだよ!」と意気投合します。
松山千春の北海道ソングが街に流れ、北海道の人は皆「北の国から」のように暮らしていると思っていたものです。
夏に20日間、冬に15日位旅しましたか、結局学生時代はこの2回だけでしたね。でもそのワクワク感は他の土地とは段違いでした。
仰る通り24時間掛かりましたから日本の広さと、その隅々にまで違った人生がある事に心動くのも若さゆえの感受性だったかもしれません。

感動はやっぱり要する時間に比例するようで飛行機から降りたった時の違和感は今も拭えませんが、それ以上にこの土地の衰退には胸が痛みます。
無人の荒野にピカピカの高速道路を後世の人間はどう評価するのでしょうね。意味さえなかなか見いだせないそれに比べれば、
ある時代の生活輸送の全てを担ってそこに在った鉄道は、与えられた使命を果たし充分報われたと思うのはせめてもの救いでしょうか。

音威子府の跨線橋は大木さんのC55や9600の煙を吸っています。だいぶ後になりますが風太郎のDD51の排気煙も。
無力は寂しいところでありますが、思い出の墓碑にも見えるそれの行く末を静かに見届けたいと思います。

「北辺の機関車たち」、プレミア付の古本を既に買った身としては少々口惜しいところもあるのですが、
それは歴史遺産として永久保存、最新印刷クオリティで蘇る北の機関車絵巻をまた堪能させていただきます。






[ 2017/03/18 21:40 ] [ 編集 ]

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