磐越西線 徳沢 1988年
そぼ降る雨に駅を囲む緑はまた濃くなってゆく。
夏への扉。
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1988年撮影ですね
この時代カラーフィルムは高価だったのでしょうね
駅舎を拝見するとまるで山小屋かのようですね
女子学生かと思われる後ろ姿・・・印象深いですね
ホームの上に植物の緑がある・・・
何気なく見えるそれが大事に思えます
湿気感が漂ってきますね
りらさま
昔のカラーフイルムはこういう天気ではほとんど色が出なかったのですが、
これは新しい「フジクローム」で撮っていて、結構鮮やかに色を出してくれました。
銘柄毎に発色が違う、フイルムの改良に各メーカーが血道を上げていた時代です。
デジタル時代のひとには想像も出来ないでしょうね。
ホームに素朴な待合室があって、そこに人々が行き交う事。
フイルムはそれが当たり前に過ぎた時代と共に在りました。
風太郎さま
撮ってます、撮ってます。
このホームの待合小屋。
もっとも、電関人のは雪景ですが・・・。
傘を差す女性のバックショットが効いてますねぇ。
88年ですかぁ、娘一歳の時で完全休鉄中でしたぁ。。。
狂電関人さま
この小屋は磐越西線標準形というべきもので、他にも上野尻や野沢にもほぼ同じものがありました。
同線は駅本屋からホームの移動に跨線橋よりも構内踏切の駅が多く、早めにホームで待つ必要があったからかと。
何より乗降が多かったからそんなサービス施設も置かれたのでしょうね。
素朴な木肌が暖かくいかにも駅を感じる建物でしたが、立派な跨線橋が出来て消えるは皮肉なものです。
1歳だったお嬢さんも嫁ぐとは、トシを取る訳です。お互いに。
風太郎さま
こう言う感じのしっとりとした国鉄木造ホーム待合所も沢山ありましたが、
今や首都圏のJRでは、ほどんど見かけないですね。
八高線の寄居駅には、原型のまま、残っているのを見ておりますが。
第二の駅舎とも言えますが、本屋よりも注目されず、
ひっそりと無くなっていく寂しさも感じます。
hmdさま
ホーム上の待合小屋は様々な理由で駅本屋から離れたホームで待たなければいけない場合に作られたサービス施設ですから、
比較的大きい駅にありましたね。寄居駅は3社が入っていて貨物用のヤードも含め構内が広かったですからね。
橋上駅舎化されたそうですがそれでも残ってるんですか。一度見てみたいですね。
乗降がほとんど無いなら当然不要な施設で、何か鉄道全盛期の香りを感じます。
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