島原鉄道 布津 1982年
島原鉄道キハ4500は当時極めて貴重だった湘南二枚窓の気動車。
鹿島鉄道の元夕張鉄道勢の向こうを張って西の雄だった。ヒゲも似合う。
ホームにたむろすのは九州の忠犬。夏の陽もようやく暮れるらしく。
渋谷の忠犬は駅前の屋台がくれるエサ目当てだったという説もあるが。
風太郎はこの当時のギャグマンガ、谷岡ヤスジの「ド忠犬ハジ公」が好きだったな。
それはどうでもいい話。
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「風太郎の1980年田舎列車の旅」Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved
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ホームに犬がいますね・・・・・
それだけで心癒されます
のんびり構えたその姿いいですね
その向こうのホーム・・・
列車を降りた女性
素敵なポートレートでもあるかと思います
病院の看板を見るといつも懐かしい気分になります
それは何故でしょうね
以前の風太郎のホームにあった看板思い出だすのです
それが何駅だったかは定かではないのですがいつも何故か郷愁にかられます
風太郎さま
当時、何かの専門誌にてみた島鉄線内の写真が
余りにも退廃的過ぎて其処へ行くのを躊躇ってしまったことを
この写真で思い出しました。
りらさま
地方で駅看板といえば病院ばかりが相場で、何処へ行っても必要なものかと思ったり、
看板代を払う程の財力は病院ならではかと思ったり。
いずれにしても地元資本の看板があるという事はその土地の経済活動が生きている証しで、
そう言う意味でも愛おしいところがありましたね。
この駅も廃止となり、この写真の今はただの草叢です。
狂電関人さま
何が頽廃なのかよく分かりませんがくたびれ果てているという意味?
それならいやいやです。どんな小駅にも乗り降りがあって、どっこい粘り腰を見せてる地方私鉄と思いましたよ。
風太郎さま
高校プラスアルファを過ごした福岡時代には、
まだまだ餓鬼鉄でして、せいぜい西鉄の旧性能車位がいいとこ
古いものにはそんなに興味が無くて、風景は自然の造形を好み
人工的な建造物などは単に古い、ボロいという尺度しか持ち合わせなかった
時代でしたので、山陰の海は綺麗で鄙びた駅は絵になっても、
鹿児島交通や島鉄の荒廃しきったストラクチャに興味を持つのには
少々早すぎましたね。。。
狂電関人さま
同じ様に経営に苦しみながら親方日の丸でも無かった地方私鉄は、その寂れ具合にも各線毎の特徴がありましたね。
酷かったのは鹿児島交通で、駅舎など廃屋同然、本当におじいさんな運転士が必死に機械式気動車を操る様は、確かに頽廃をも感じました。
所詮岩崎財閥という地元名門コンツェルンの末端に過ぎないという重みしか無かったのでしょう。
その点島原鉄道は有名な「盲目重役」という熱血漢が居たり、旅客ばかりでなく島原半島一円の郵便輸送も担うという役割意識もあったのでしょう、
結構施設はよく手入れされ、何処の会社も手を焼いたという払下げキハ10系も主力で走らせていましたから整備力も確かだったのかと。
蒲原もそうですが最後まで鉄道の矜持のようなものを忘れない会社は、古くても汚くても何処か凛とした空気を感じたものです。
大三東のキハ17の写真の際、書き込みをさせていただいた者です。
この写真も風情がありすばらしいですね。
湘南窓のキハ4500は一度も乗らずじまいでしたが、独特なたたずまいは今も興味をそそるものです。
犬と乗客が入り当時の生活感があり数十年経った今見ても、あの頃に戻れるような感覚になりますね。
素敵な写真を見せていただきありがとうございます。
kazuさま
コメント有難うございます。お返事遅くなりました。
私鉄らしく駅間が短くて、まだまだ鉄道が中心にある時代でした。
駅に佇めばその土地の普段通りの日常が、ゆったりとした時間の流れの中にあったものです。
この駅も無人化され、それすらも廃止になった残骸を目の当たりにすれば、まるで浦島太郎の様な心境です。
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