カラス部隊

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通りすがりに覗いた古本市で「日本発見 ローカル線讃歌」なる1981年刊のムックをゲット。

国鉄線を中心とする全国のローカル線のルポルタージュから、津々浦々までレールが敷かれた背景、国鉄再建問題との関連まで網羅し、

昨今の焼き直しを繰り返したような鉄旅本より余程内容がある。

もっともこの頃既に国鉄ローカル線をことごとく廃止するための政治日程は着々と進んでいたのだが、

そんな懸念は誌面からは読み取れず、ギリギリまで現実感が乏しかった事も分かる。






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記事中目を引くのは北井一夫さんのルポルタージュ「カラス部隊は行く」。成田線沿線から都心に向う行商人の専用列車を追ったもの。

重さ50kgにも及ぶ荷物を背負うのは小柄な地元農家のおばあさん達。昔より減ったとはいえ700人の行商人が利用していたというから驚く。

荷物は必ず風呂敷に包むのが乗車の決まりだったそうで、何故か黒い風呂敷や服装が多く、

真っ黒なシャドウが多い写真は、北井さん独特な黒焼きか未明の撮影もあってタイトな露出故か分からないが、

まさに「闇夜のカラス」の異名そのままに写し止めている。




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行商といえば自家農産品の販売と誰もが思うが、お得意さんのニーズに合わせて商品にバリエーションを持たせるべく、

ヨモギ餅のような田舎風お菓子や生肉まで扱っていたそうで、そのための卸商まで夜明けの駅前に詰めていたという。

背中ひとつの立派なマーケティングが存在していた訳だ。

それにしても山手線経由でようやく朝を迎えた都心の雑踏に消えていく農村女性の逞しさよ。

全国各地に息づいていた行商の世界は、この国の民のごく素朴な勤勉さと共に、資本に頼らず自立した庶民のエネルギーに溢れている。





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昨夏の写真展に来場された雪国出身の女性。

故人になった母が毎朝最寄りの駅から大荷物を背負って行商に出ていた、これはその頃見た待合室そのままです、と。






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kanbara_16831 55mm 大蒲原ホームの行商老婆2 原版 take1b

   蒲原鉄道 大蒲原   1983年    





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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2017/08/02 23:53 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(8)

こんばんは

これはいい本を見つけられましたね。というか、私もほしくなりますよ。この本。(笑)

さておき、私が最初に行商のおばちゃんを見たのは小学1年の夏休みで、三江線の車内です。
都会っ子の私は、大きな四角い箱を背負ったおばちゃんの姿を初めて見た時、それが何なのかわからず、一緒にいた父に聞いた覚えがあります。
その後、山陰地方のローカル線を旅すると、何度か見かけた覚えがありますが、平成になってからはあまり見なくなった気がしますね。

‘カンカン部隊’と言っていた気がしますが...。
[ 2017/08/03 00:36 ] [ 編集 ]

おはよう

行商人の専用列車まで当時はあったのですね
実は行商人の方とお会いしたことがありません
ある程度の年齢の女性とおぼしき方が大きな荷物を背負う姿に・・・・言葉を紡ぐことが出来ません

蒲原鉄道 大蒲原   1983年 
暫し息が止まる程でした
私ごときがコメントする立場ではないように思われ感想は控えさせて頂きますね   

[ 2017/08/03 05:21 ] [ 編集 ]

行商列車

風太郎さま

80年代までほぼ全国で見られた風景ですね。
熱の籠った北井さんらしいカメラアイで電関人も欲しくなります。
高度成長の旗印の下、マスプロダクトに収斂されつつある世の中に
抗うように自身や家族の生活を守る行商女(びと)の精神と北井さんの
イズムが重なって見えます!
山陰本線にも、ほとんどそれ専用に走っていたような
スジの列車が存在していたことを記憶しますが、
残念ながら記録ができませんでした。
小さい話ですが70年から80年代にかけて、自身の中では車両か否かの
撮影主体への葛藤が10年近く続きました。
結果、風太郎さんのように自分の撮りたい被写体にピシッとフォーカシングできず、
中途半端な写真を粗製乱造してしまいましたが、また其処に写っているのも
時代の現実だったのですが・・・。
[ 2017/08/03 09:57 ] [ 編集 ]

行商のおばちゃんたち

高校時代のローカル線行脚の旅では、必ずご一緒してました。
比較的最近では、結婚したら家内の実家に
必ず寄ってくれるおばちゃんがいました。
それは義母が色々購入していたから、そしてあれこれ世間話をしていたからだったのですが。
高校時代はそんなにジロジロ見なかったけど、家内の実家で会った方の荷物は重く、改めて感じ入った覚えがあります。
[ 2017/08/03 13:16 ] [ 編集 ]

オハニ36


山岡山さま

それこそ全国の鉄路と共に在る風景でしたね。
山陰本線では浜坂発福知山行きの542列車が行商人列車として有名だったようです。
「旅と鉄道 1986年秋号」にそのルポが出ていてこれも涙ものですよ。ヤフオクとかで探してみては。
この列車にオハニ36が付いていたのは、まさに行商人の荷物を積むためだったようです。
今大井川で走っているのを見れば、手拭いを被ったおばちゃんが見えて来る気がします。
[ 2017/08/03 20:47 ] [ 編集 ]

荷を背負いて


りらさま

さすがに専用列車という訳では無く、先頭の2両だけとかを大荷物を抱えた人たちのために開放し、
その他の乗客は別の車両に乗るという仕組みだったようです。
昔の日本人の体格ですから担ぐのは本当に小柄なお婆さん達でした。
少なくとも荷の重量・体積共に自分のそれを遥かに上回っていたはず。
その力は何処から出て来るのか不思議でなりませんでした。
お金がどうこうというより、毎日働く事自体が好きで幸せだったのでしょう。そんな気がします。
[ 2017/08/03 21:02 ] [ 編集 ]

土の匂い


狂電関人さま

北井さんという人はやっぱり土着の人々を撮らせれば独壇場だった気がします。
東京という大消費地を背景にしていたとはいえ、都心まで2時間は要する成田線沿線からこれ程の「カラス部隊」が都会を目指していたとは。
こうして時代の証人として記録された写真の有難さを感じますし、決して歴史の表には出ない市井の働き者たちも浮かばれるというものでしょう。
蒲原は加茂や五泉といった繊維産業を擁する街にも通じていましたから、そういった都市生活者の需要というのはあったのだろうと思います。
寡黙なお婆さんが大荷物と共に駅のベンチにちんと腰掛けていたのはまさしく蒲原の風景でしたし、
結局電車より何よりそんな土の匂いこそと思ったに違いありません。
[ 2017/08/03 21:16 ] [ 編集 ]

田舎のおばちゃん


マイオさま

やっぱり1980年代だったでしょうか、都心の実家の母が「田舎のおばちゃん」から野菜やら何やら買っていたのを思い出します。
安くてモノがいいのよとの事でしたが、しっかり常連客を掴んでいたのでしょうね。
何しろ都心に通勤ラッシュ前には到着する必要があったのでしょうから、当時の国鉄も朝5時前に出る様な列車を走らせたのでしょう。
昔早朝の列車で眠りこけていて気が付いたら周囲は行商人ばかり、びっくりしたのも思い出します。
決して裕福ではないけれど創意工夫を凝らせるような仕事があって、社会インフラがそれをサポートした時代。
その幸せの在りかを写真の中に探します。
[ 2017/08/03 21:30 ] [ 編集 ]

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