ホタテの町から

湧網線 計呂地 1981年8月 16bitAdobeRGB原版 take2b3

   湧網線 計呂地   1981年








オリンピックも終わっちゃいましたが前評判の盛り下がりとはうらはらに楽しませてくれましたね。

しかしカーリングって面白いねえ、と改めて。大トリとも言える銅メダルには風太郎も目頭が熱くなりました。

藤沢以外全員の出身地、常呂町は今は北見市の一部らしいけど、オホーツクとサロマ湖のほとり、

ホタテが特産の小さな町の盛り上がりもさぞやと。

五月チャンをはじめルックスも話題になったが、重さ20キロというストーン ( 時々その重さに放り出したくなるフル装備の風太郎カメラバックの2倍近い重量 )

を片手でひょいと返して裏を拭いたりするのは相当な筋力と思うぞ。

件の五月チャンも普段は北見市の普通のOLとの事。決して恵まれた競技環境とも言えない中での快挙に価値がある。

風太郎がご縁のあった音威子府の高校の卒業生も、スキー競技に二人出場した。 ( ノルディックとバイアスロン女子 )

冬季オリンピック故もあろうが、日本の片隅の北の町に陽が当たるのもいいね。



さて写真は網走から常呂を経由して湧別に向っていた湧網線。計呂地~芭露のサロマ湖脇の区間。

事前情報も何も無く地形図だけ見て此処ならと下車して安直にパチリだし、右側に道路があるのか何とも窮屈な構図だが、時事ネタに免じて。

車内は地元の人はもとより、リュックにラジカセまで抱えた旅の若者で一杯だった。

確か台風が近づいていたと思う。 憂いを含んだ北国の短い夏。








HPはこちら  
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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風太郎様

北海道北見市・常呂町を拠点として活動する女子カーリングチーム「ロコ・ソラーレ(Loco Solare)」LS北見の活躍は私も楽しみでした
元々冬季のオリンピックが夏季オリンピックよりも興味があるのですが今回は一際毎日見逃せないシーンが多かったです
テレビの司会者がLS北見が北海道オホーツク沿岸である北見市を拠点としていることを紹介しているのを聞いた時瞬時に風太郎様のお写真を想いだしました
今回アップされたお写真では当然なく以前アップされていた北海道のお写真を想いだしていたのです
本橋麻里選手は故郷北見に帰った後スポンサーゼロ選手ゼロから初めて世界で活躍するチームを育てあげたのです 敬意を抱きました
メンバーはメダリストになった後すぐ北見に帰りたいと言っていました それも嬉しかったです
また帰国後の公式のメダリストたちの合同記者会見においても言動も立派でしたが一際心響いたのは吉田知那美選手の言葉・・・限界は人の決めるものではない・・・です
吉田知那美選手は北海道銀行フォルティウス所属の時ソチオリンピックに出場結果を残すことが出来ず戦力外通告を受けて北海道銀行を退職し悩み一人旅をしている時に本橋麻里選手の北見でのカーリングの立ち上げを知り参加を決意しています
旅の途中では知らない人々の励ましを受けて戦力外通告のショックから立ち直れる機会を与えられています
それほど旅は人生をも変えるのだとも思いました
今回のお写真はタイムリーであるだけではなく風太郎様の道程また吉田選手の道程も思うことが出来感激しました
「限界は人の決めるものではない」その言葉改めて思い出されます

[ 2018/02/27 06:45 ] [ 編集 ]

こんにちは

今日 彼女たちは北見に帰ってくるとのこと
まだまだまだまだこちらではしばらくずーっとカーリング女子熱続きそうです
おそらく地元テレビ局への出演もあるでしょうし

カーリングのストーンを投げるのに まずまっすぐ氷の上をあの姿勢でぶれずに滑ることが難しい、
ストーンを思ったところに放つその力加減が全然わからない、腕が石の重さに負けて全然まっすぐに投げられない
スイープするのにその石のスピードに追い付けない(;^ω^) あのスイープを一投ずつ10エンドまでやって・・・軽い気持ちで体験したらきつかったです
彼女たちは相当鍛えているのだなあ
にもかかわらずそれを一切感じない笑 あの親しみ深い、田舎丸出しの雰囲気 あれはなんとも強いバリアだなあと思いました

常呂町から線路がなくなってから久しく
常呂の駅跡のバスターミナルの裏の流氷の浜にはひとがぽつりぽつり 
湧網線の記憶はそこには感じられなかったですが、昨年秋のサンゴ草の季節に行った計呂地と志撫子ににはまだ名残があって
計呂地鉄道公園にはまだまだ鉄道ファンが訪れることを公園内「駅長の宿」の管理人さんから聞きました    


そだねー は え、標準語でしょ と思う道民多数
でも「押ささった」「ちょっきり」は もろだなあ と あれには笑ってしまいました
[ 2018/02/27 10:25 ] [ 編集 ]

常呂よいところ

オリンピックはあまり好きではないのですが、カーリングの女子たちはよかったですね。

もう十数年前になりますが、取材で東京在住の方にお会いした時に、雑談の中で「北海道出身です」とお聞きしました。
興味がありますから「どちらですか?」とおたずねしたらば「網走です」とのお答えでした。
「網走市内ですか…」と返したのですが「いや、いや、網走のちょっと北の方して」とのことです。
あの辺りの地図を頭の中に広げて…「常呂ですか?」と伺ったらば… いや、ビックリされましたね。

「今まで色々な人にお会いしましたけれども『常呂』という地名が出たのは初めてですよ」と大層感激されていました。

確かに「常呂」なんて誰も知らないよね。
こちらは高い授業料を払って、あちこち旅をしていましたから(「旅はぼくの学校だった」)分かっていたようなものです。

昨年の今頃、流氷の撮影をすることになり、網走〜常呂〜佐呂間を、もう何十年ぶりかに訪れました。
もちろん、勇網選の線路もその跡も定かではなく、ぼくの記憶、想い出も一緒に雪に埋もれていました。

驚いたことには、常呂町が北見市に編入というか合併させられていたことです。

多分、これからは常呂出身の方々も「北見出身」と言うことになるのでしょうね。
現に、カーリングチームも「地元北見では」と紹介されていましたね。

話は変わりますが「常紋」も常呂郡と紋別郡の境の峠でそう名付けられたわけで、常呂郡がなくなってしまうと
その根拠も薄らいでしまいますね。

平成の大合併とかで行政区分も大きく変わり、懐かしい地名も消え去ろうとしています。

「降る雪や 昭和も 遠くなりにけり」  でしょうか。




[ 2018/02/27 20:27 ] [ 編集 ]

その後


りらさま

ふと思うところあってチームリーダーの本橋さんの生年を調べたら1986年、湧網線がひっそり廃止になったのが1987年。
多分ご本人の記憶にも無いでしょうし、ましてや他のもっと若いメンバーは全て「その後」の世代です。
当時の国鉄ローカル線は今の何倍もお客を乗せて走っていましたし、鉄道線路図から故郷の地名が消えてしまう、
中央から切り離されてしまうといった焦燥感は地元に満ちていた事と思います。
その後幾星霜、鉄道は必然では無かったというのが歴史の答えかもしれません。
でも鉄道は消えても土地は残ります。袖触れ合うもといったご縁のあった土地の名が全国放送に踊るのはそれだけで少し胸が熱くなるのです。
[ 2018/02/27 23:08 ] [ 編集 ]

常呂っ子


Jamさま

普通である事がある意味一番アイドル性がある時代、本当は普通じゃないんだけど限りなく普通に隣に居る感じの彼女達、
あそこまで無防備に普段はこうやって暮らしてます映像が流れて大丈夫かしらと心配なところもありますが。
何よりひとつの目的の下に結束したチームの強さというものを改めて。スターばかりをつまみ食いした選抜チームではダメというのも頷けます。
ロコ・ソラーレのロコは「常呂っ子」から来ているとの事、此の地に息の長い陽が当たり続ける事を願わずにはいられません。
[ 2018/02/27 23:24 ] [ 編集 ]

故郷という奴は


大木 茂さま

私も初対面の人と出身地の話になった時、鉄道地図が頭に浮かぶ事は多々ありますよ。
誰も知らない地名を知っているとなれば一気に「掴む」ところがありますので、
無駄の極みに見えた昔の旅もまんざらでも無かったなと思う一瞬です。
場所は違えど写真展に出した羽幌線の一枚が故郷という事で、請われてその一枚を大伸ばし、
その人のオフィスの壁に飾ってあるのを見れば嬉しくなります。
どう変わろうとも故郷という奴は心の隅から離れないものなのかもしれません。
故郷を礎に立ちあがった彼女達に讃辞が止まない訳はそんなところにもあるのでしょう。
[ 2018/02/27 23:40 ] [ 編集 ]

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