只見線 十色の春来たり。 その12    暮れ六つ

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  只見線 郷戸   2018年4月








陽も傾く頃、土地のお寺が撞く鐘の音ほど、旅のセンチメンタルに響くものもあるまい。

俗に「明け六つ暮れ六つの鐘」というのがあって、これは何時に撞くという決めではなく、

朝は日の出の30分位前、夕は日没の30分位後に撞くという、当然季節変動があるものだったらしく。

つまりはブルーモーメントの始まりと終わり、なんとか灯り無しで行動出来る時間をもって日々のなりわいを始めて終わりなさいという事だ。

自然自体に時計を求めた暮らしから生まれたもそれも、今ではまだ明るいうちに定時を決めて撞くのが一般的で、

機械仕掛けの時計に縛られた現代にあっては撞く方にも都合がいいのかもしれない。


いずれにしてもセピアの斜光線に染まる黄昏時にあって心安らぐ響きに違いない。

ゴトンゴトンと響く轍の刻みもまた、里に時を告げているのだろうか。










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  金山町 大志






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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2018/06/01 20:20 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(2)

風太郎様

自然自体に時計を求めた暮らし・・・それは現代でもお写真が語っています

一枚目
桜の色調等で時間が分かりますね

二枚目
立ち上げる煙に・・・それをなす人に・・・時を感じます
左手のお墓・・・祖先と共にある暮らし・・・今では贅沢な程になってしまいましたね
[ 2018/06/01 20:59 ] [ 編集 ]

自然の摂理


りらさま

足許も見えない程の田舎の夜を体験すれば、野生動物ほど闇を見通す能力の無い人間様、
やっぱりお日様のあるうちだけを行動時間とするのが自然の摂理なのかなあと思ったりしますね。
自然の摂理に身を任せてというのは憧れではありますが、数十年染み込んだ垢はなかなか抜けないでしょうね。
それでも光を追って気ままな旅にあれば、何処か自然の揺らぎと共鳴する瞬間もあるから止められないのです。
[ 2018/06/01 21:53 ] [ 編集 ]

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