マダヤ線沿線 2019年8月
今日も変わらず繰り返される日々を縫って、二条の鉄の道は伸びている。


ママチャリ号がゆく。
少しでも楽をしようとホテルでレンタサイクルを借りたのだが、どうも無用の長物だったようだ。
もちろんこの写真は 「イメージ」 で、線路の真ん中は自転車で走れる状態では無いが、
線路脇の小道もところどころ途切れているし、小川でもあれば線路まで持ち上げて渡らなければならない。
何より次から次へと被写体が現れて、自転車に乗っている暇が無いのだ。
もっとも 「自転車に乗ったヘンな外人」 は沿線の話題だったようで、翌日には 「アンタ自転車は?」 と言われたが。

家並みと木立に囲まれた隘路を窮屈そうに列車が通る。

覚えたミャンマー語は、「こんにちは。」 「写真撮ってもいいですか。」 「笑って下さい。」 「ありがとう。」 だけ。あとは女性用に 「美人だねえ。」 位か。
とっさに出て来ない事もあるので、ファインダーの脇に小さく書いたカンペをたくさん貼り付けて行ったのが役に立った。
ミャンマー語は発音が難しいが、「ポケトーク」の発音を参考に結構練習した。 後は万国共通語の「スマイル」。
後ろで 「おい、あの日本人、笑えって言いやがったぜ。」 多分そんな会話と笑いも聞こえて来たから通じているようだ。
たどたどしくもその国の言葉で話すというのは大事な事だと思う。
ただそれだけで一気に距離が縮まるし、「怪しい者では無い光線」 を発し続けなければ写真にならない。
線路を歩きながら人の脇を通るごとに 「ミンガラーバ!(こんにちは!)」 と声を掛けまくれば、にこやかに返事が返って来る。
撮らせてもらえば当然、「チェーズーテンバーデー!(ありがとう!)」 だ。 相手は仏教徒だから手を合わせればなお良し。
「肖像権」 などという言葉は知らないと思う。 でも多分、許してくれるだろうと甘えてしまう、心触れ合う道ゆきである。


東南アジア諸国の中でも 「近代化」 に大きく後れを取ったこの国にあって、追い付け追い越せの掛け声は響き続ける。
長く変わらなかった風景が幻のように消滅してゆくのにさほどの時間は要しないように思える。
失われゆく時代と生活の息遣いを永遠に定着させて後に伝えるのも、憚りながらカメラを持った者の責任ではないか。
そして写真は被写体があって初めて成立する。 カメラの前で笑ってくれた人々に誠実な写真であれと思うのだ。

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こんにちは
お写真の中のひとの笑顔と
最後の文章 心にしみました
私はカメラのことなどよく知らずにいるまま ただの趣味だからと写真を撮るただの素人ですが
被写体の前では誠実で居たいと 常々考え 反芻して 内省しています
自分の思ってたことが次々と覆り そんなことあっていいわけがないと思うことが起こり
で 今の自分にできることは何だろうかと考えると 結果、
何も考えないで目の前に在るものを見ようとすること ぐらいしかなく(笑)
でもそうして 自分もまた、ちゃんと生きていかないとな と 撮ったものを見返して思うのです
笑顔っていいなあ
風太郎さま 我が国も通り過ぎてきた三丁目の夕日の世界で筑豊の子供達の様な写真を模索しているのでしょうね。
自分も入国して直ぐにロンジ-を仕立てて上衣はD51Tシャッツで過ごした変な奴でしたが、毎日の様に顔を出していると、子供たちは直ぐに気づいてくれてスナップも愉しかったです。 デジタルカメラではなかったので、画像を見せてのコミュニケ-ションはありませんでしたが、通じ合う楽しさは子供となら出来ましたよ。来年辺り現地でベニヤ板を立てて写真展でもしてみれば如何でしょうか? 撮らせて頂いたお礼の微笑み返しですよ。
偶々自分達も当地の計らいで羅東森林鉄道で催行しましたが、30数年前の被写体の子供が来展された時など、通訳を通しての対話ですが、感無量この上ないです。 そしてそれができるのもアマチュアならでしたねぇ Sさんなんて全て日本語で記者会見に対応していましたし、まぁK重さんがいなかったら、そんな機会もなかったでしょうけど、打算もなく撮影した場所で写真を披露できるのは、我等の特権ですよ。
自分はドラのファンはもとよりキャンデ-ズのサヨナラ運転(S53.4/4後楽園球場)もその羅東森林撮影の翌日に体験しております。
余り大きな事は出来ませんが、せめて笑顔だけでも、微笑み返しでありたいものですねぇ
1枚目
線路をまるで縄跳びを飛ぶかのような姿の少女が一際印象的です
久しぶりに拝見するミャンマーのお写真は笑顔の花で満開ですね
私の心の中まで笑顔の花を咲かせて下さり有難う御座います
Jamさま
いやJamさんは充分ちゃんと生きてらっしゃると思いますが。
敗戦後の日本で特別な人しか持つことが出来なかったカメラを操り、
路地裏、炭鉱町、平凡な農村の日常を撮り続けた、土門拳や田沼武能や木村伊兵衛といった方たち。
彼らが酔狂に見られながら写真を残したからこそ、現代の私たちがその時代の息遣い、
ひいてはこの国の来た道をリアルに感じて、今を見詰め直す事が出来ます。
彼らはカメラを持てた者の責任を果たしたのだと思うのです。
そして被写体として彼らに協力した市井の人々も時代の証言者となりました。
残念ながらミャンマーの人々はカメラを操り自分たちの記録を残すという余裕までは無いようです。
ヘンな外人が何を撮ってるんだかと笑っているに違いないのですが、
猛スピードで新しい時代に巻き込まれる彼らが、いつの日か来た道を振り返りたくなった時、
こういう写真が時代の証言となったらいいなあと思うのです。
koppel-2さま
ヤンゴン行きのANAのCAから英語で話しかけられる位ですから風太郎はミャンマー人に見えるのかも知れず、
ロンジーを巻けばすっかり化けられるかもしれませんが、それもまたかえって怪しくないですかあ。
カメラの前で笑ってくれる人、ましてやアタシを撮ってと迫る人に写真をあげたいとは本当に思うのです。でもその術が無いもどかしさ。
そうですねえ、また同じ場所に行ったると思っていますし、写真展はともかくプリントを配布するのはグッドアイデアかも知れませんね。
りらさま
いろいろご心労があったようで案じておりました。復活なされたならなによりです。
ファインダー越しに見る彼らの笑顔は本当に自然なんですよね。
何故なんだろう、生活は楽では無くとも心から笑って過ごす事の幸せを知っているのかな、と思うのです。
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