
マダヤ線沿線 2019年8月
江ノ電ではないが、線路に面して玄関がある家はいくらでもある。
線路は道路であり、遊び場であり、憩いの場でさえある。
早朝の始発前に歩くと線路の真ん中で毛布を被って寝ている男がいる。 蒸し暑い夜に一番風通しが良い特等席はそこなのだろうが、
さてどうなるかと見ていると始発通過の10分前位にはちゃんと起きて歯を磨いたりしている。
レールそのものはローカル線にしては立派なものだし、ところどころPC枕木が入っていたり意外にちゃんとした線路という見立てもあろうが、
道床やバラストが存在しない事が凄まじい乗り心地を呼んでいるのは疑いない。
いやバラストだってあるところにはあるからもともとあったのだろうが、いつの間にか雲散霧消してしまったのだろう。
人が歩いて座って寝ころんだ、はるか昔からの生活の息遣いが二本のレールの間に埋もれている。

時折モンスーンにも襲われる土地だけに、木の皮を編んで作ったような壁の華奢な家々は大丈夫なのかと心配になるが。

これはキャベツの千切りではなく、ちいさな花弁を糸で繋いだ女性用の髪飾りを作っているところ。
市場でもよく見かけるし、ミャンマー女性は好んで身に着けているが、生花だけに命も短くそう高く売れるものでも無いだろう。
でも貴重な現金収入であるに違いない。

列車の道は風の通り道でもある。
しばしの涼を線路際に求める人々。


足許がいい訳でも無いのにこのバランス感覚には恐れ入る。

子供たちがやがて大人になる頃、此処はどう変わっているのだろう。

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子供たちがやがて大人になる頃、此処はどう変わっているのだろう。・・・・
15年後また同じ地に撮影に行って下さい
風太郎様は70歳前半でしょうか・・・・
風太郎様なら大丈夫です
でもその前に出来ますことならば毎年マダヤ線沿線の今回訪問されなかった地にも足を運んで下さい
そしてマダヤ線の題名の写真集を出版して下さい
風太郎様なら出来ます
りらさま
15年後・・・。さてどうなってるでしょうか。
日本だって50年60年前はこんなだったはずですが、ミャンマーが追いかけて来るスピードはもっともっと早そうです。
例え時代がどう変わってもその時にしか撮れないものはあります。それを大切にしたいですね。
また時代の記録はやがて撮影者の許から離れ、社会の共有財産になってゆくと思うのです。
そういう意味では写真を広くオープンにして社会に問う事も必要ですね。
写真集・・は高いですがいろいろ考えていますよ。
人びとの笑顔を見ていると、「豊かさ」とは何か、と考えてしまいます。
現在のミャンマーに住みたいとも思わないが、私が住む東京(ただし西のはずれ)に住みたいとも思わない。
「豊かさ」にも、いろいろあっていいのかも知れません。
しかし、ミャンマーの人たちの「豊かさ」は、なにものにも代えがたものですね。
yamashiro94さま
コメント有り難うございます。
彼らの笑顔に嘘偽りは無いように見えますし、彼らにとっての幸せがそこに表れているのだろうとは思います。
でも彼らの奥底にある 「幸せのありか」を、刹那の袖の触れ合いだけで推し量るのは難しいですし、
何より我々がこれまで享受してきた豊かさを捨てる勇気も当然ありません。
それでも見る人ひとりひとりの思索に繋がるならそこに写真の意味があると思うのです。
我々が豊かさと共に得たものと、引き換えに失ったものについて。
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