町の香り

赤谷線 東赤谷乗客1 1983年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b2

  赤谷線 東赤谷  1983年








東赤谷はスイッチバックの終端駅として知られていたが、鉄鉱石を産した赤谷鉱山の搬出駅でもあった。

有数の豪雪地でもあったから、駅本屋前には高さ2mはあるような雪の回廊が掘られているのだった。

駅周辺には鉱山関係者の社宅が多く、転勤による町からの移住者が多くを占めていたのか、

山深い駅にしては何処か町の香りを纏った利用者が多かったようである。


ホームに通じる階段を降りるご婦人。

雪国で特に年寄りともなれば綿入りの 「どてら」 あたりが普通で、洒落たコートはそれだけで目を引いた。

隣駅まで列車通学が必要だった小学生。

ワンピースのようにも見える可愛らしいコートも他ではあまり見た事が無い。


1年後の赤谷線廃止と共に山を下りたはずの人々にあって、

深雪に閉ざされた山峡の日々はどんな思い出に生きているのだろう。










赤谷線 東赤谷乗客2 1983年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b2






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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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こんばんは。お久しぶりです。ここ一連の連載を拝見いたしました。
国鉄ローカル線だったこともあり、風太郎様をはじめ、当時の写真が数多く撮影されているのは、かなり恵まれているかと。
大鉱山にもなると、鉱山会社の福利厚生の一環で、映画館や演劇場などの娯楽施設も多く設けられたといいますから、
山深い中といえども、文化レベルは町と変わらないのかもしれません(開拓された北海道は別として)。
事故になれば命や生活に関わりますから、一時と言えども、娯楽や文化を楽しむ志向は強かったかも・・・と感じます。
ps 当方も更新いたしました。先日の真壁編です。ご笑覧下さいませ。
[ 2020/02/18 22:05 ] [ 編集 ]

うたかたの夢


hmdさま

北海道の三菱炭鉱もそうですが実は意外に大会社が経営していて、当時の炭鉱会社の幹部社員と言えばエリートでしたから、
そういう社員の家族と言えば驚く程都会的に洗練されていたりしたものです。
赤谷鉱山も日鉄鉱業の傘下で、本社と言えばなんと丸の内ですから。

さすがにこの雪深い山中にそれ程の都会が拓かれていたとは思いませんが、土着の人とは違うコミュニティがあったのだろうと思います。
しかしいくら一時の住まいとはいえ、町から来た大人も子供も強烈な体験だったのだろうなあと想像するのです。
赤谷鉱山、今は跡形も無く消滅し自然に還っているそうです。本当にうたかたの夢の跡ですね。

真壁読んでますよ。相変わらずの緻密な取材振りに心して。筑波鉄道絡みで思い出もあるので続きを楽しみにしていますよ。
[ 2020/02/18 22:48 ] [ 編集 ]

風太郎様

ワンピースのようにも見える可愛らしいコートの少女
現在このデザインのコートの大人用があったなら買いたいです
私の好きなデザインです 現在でも通用するデザインです
これで二度目です 私の好きなデザインの服を着た人を見たのは・・・
一度目は鎌倉高校前1号踏切に立つ後姿がセーラー服に似たデザインの服です
私的なことで申し訳ありませんが・・・実際にクリーム色のセーラーカラーに茶色のラインの服を持っています・・・
[ 2020/02/19 18:48 ] [ 編集 ]

ファッション


りらさま

そうですか。りらさん好みのファッション傾向がだいぶ分かって来ましたよ。

自然が厳しい所になる程、実用最優先でなかなかファッションの好みまで前に出ないものですが、
だからこそお洒落な娘でも現れればひときわ目を引いたものです。


[ 2020/02/19 22:22 ] [ 編集 ]

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