さらば豊ヶ岡

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  札沼線 豊ヶ岡  2015年






コロナ禍のあおりでGW明けに予定されていた札沼線の廃止が前倒しになり、昨日突然の様に最終日になったらしい。

そういう事もありかいとびっくりだが、一度ならず撮った事がある者としては少なからず感慨もある。

やっぱりこの線の白眉と言えば、浮世離れした豊ヶ岡駅の佇まいだったろう。

もう一回という色気も何処かにあったはずだけれど、ご多聞に漏れぬ狂騒の噂を聞けば。


発車直前のキハの眼前から動かないという狂人やら、例のアンダークロス上の金網が刻まれてズダボロだわという凶行を耳にすれば、

それと同類と思われるのも癪だし行かなかった。

だいたいあそこはな、除雪の壁を登って金網の上からレンズを出すんじゃ、雪が無いなら脚立位用意しろや、バカタレがぁ。






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  駅への道



目を瞑れば降り積む雪の音が聞こえるような、あの静寂が蘇る。

未開の原野に開拓の鍬が入った、その時代の息遣いさえ。





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  駅舎




日没後のブルーモーメントの終わりに上り列車は間に合うか。

30秒ごとに絵が変わってゆくようなまさにギリギリのタイミング、2~3分でも遅れていたらアウトだったろう。

定時発車のキハの紅いテールランプが次第に遠ざかり、やがて夜の帳に溶けてゆくのを見送れば。

ミラーが返る音と自身の呼吸だけが聞こえるこの独りきりの時間こそ、狂騒とは無縁な最後の別れに相応しかったと今は思う。


それでも鉄道ありきを示す防雪林の間がやがて灌木に埋まり、その痕跡さえ失われても。

写真の中の上り列車は永遠に走り続ける。






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  2017年





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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2020/04/18 19:25 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(4)

こんにちは

「札沼線を勝手に守る会」の新十津川在住の知人が
こんかいの事 心の整理がつかないとつぶやいておられたのですけれど
私はそれにかける言葉も出てきませんでした そんな突然のラストラン前日・当日でした
廃止が決まる以前から さらに廃止が決まってからも 鉄道ファンによる迷惑行為は後を絶たず
知人含め地元関係者は苦悩されていましたがそれでもGWは多く押し掛けるであろうファンのためにも
そもそも沿線地域の自治体を盛り上げるためにも様々なことを考え企画し実現しようとしていて
その姿を遠くから見てきたので・・・


ことばを綴っても
なんとも言えない気持ちが残ります 口もつぐめ、語るなとどこからか声がして 
こんな浅い自分が何の力にもなれず言葉もかけられず申し訳ないと伝えると
鉄道を思う気持ちは一緒ですよと 知人から返事がきました


鉄道を思う気持ちって何だろう
鉄道を思う気持ちって何だろうな
ラストラン当日に見た「ありがとう札沼線」って言うことば、 ありがとう札沼線って何だろうな
こんなあわただしくて不安定な日々の中
ぼーっ と思いめぐらしています





[ 2020/04/19 17:31 ] [ 編集 ]

感動の在りか



Jamさま

見向きもされなかった路線が廃止となると黒山のような群衆に囲まれ、
「感動をありがとう!」なるボードやら絶叫やらの中で最期を迎える映像を見るにつけ、
仰る通り鉄道に対する「ありがとう」って何なんだろうなと思いますね。

地元に暮らす人の心情というのは正直言ってよく分かりません。
毎日使っていたならともかく、使いもしないのに最後だけ騒ぐって何なんだろうと思いますが、
一日一本しか来ない駅舎を毎日掃除する人もいると聞けばますます分からなくなります。
使う使わないは関係なく、その鉄道が過去に残してくれた思い出に「ありがとう」なのでしょうか。

それ以上に分からないのはマニアの絶叫で、いわゆる感動ポルノでしょうか、ただお祭りで騒ぎたいのでしょうか。

その土地の平穏な日常と共に在るはずの鉄道はその普段通りのままを目に焼き付けたいですし、
私にとっての「感動の在りか」はそれ以外にはありません。

白滝に戻られたんですね。
昔と同じではないところも多々あると思いますが、新しい白滝の物語を楽しみにしております。
[ 2020/04/19 20:46 ] [ 編集 ]

さよならの向こう側

もう9年前になるのですが「鉄道ファン」誌に次のような文章を載せて頂きました。
なにか、ヒントになれば嬉しいのですが…

「さよならの向こう側」

昨今では、右手を高く上げた携帯電話が、ずらりと並ぶ「さよなら運転」の風景。
何においても「別れ」とはつらいもの。もう二度と会うこともかなわぬとあらば、なおのことだ。
記憶の中に残るのは「最後に見た姿」と「最初に会ったときの声」だという話を聞いたことがある。
なるほどと思う。
娘を交通事故で亡くした父親が、「元気に出かけていった朝の姿をはっきりと憶えておきたいから死に顔は見ない」
という話も聞いた。
今から40年ほど前に蒸気機関車が次々と廃止されて、各地でお別れの「さよなら運転」が多数行われた。
ふだんはありもしない重連運転だったり、満艦飾にされてしまったり、そしてなによりも大騒ぎがいやで、
ぼくは一度も行ったことはなかった。

昭和47(1972)年3月、米坂線が無煙化されることになった。
何度か訪れて愛着があっった所だけに思いは深く、1月下旬、大学卒業を目前にして数日「別れ」を告げに行くことにした。
この際だからと、じっくりと列車に乗ってみよう。駅員、乗務員や乗客の姿を撮ってみよう、
それがぼくの「さよならのかわり」になるのではないかと考えたのだ。

それから8年… 昭和55(1980)年。
ー 何億光年、輝く星にも、寿命があると、教えてくれたのはあなたでした ー
   ー 季節ごとに咲く、一輪の花に、無限の命、知らせてくれたのもあなたでした ー
と、引退を前にした山口百恵が歌い出す「さよならの向こう側」
阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲のこの歌は「さよなら」の作法をもう一度考えさせてくれた。

漂白の俳人、種田山頭火が寒い季節に粗末な庵に友人を迎えたが、布団がない。
そこでちゃぶ台をかけてやり、ふんどしを脱いで首に巻いてやった、そうだ。
いや、いささかマユツバかもしれないが、よく考えてみるとある意味の「もてなし」の本質をついた逸話ではあるまいか。
はたしてぼくにとって、君にとって、心からの「さよなら」とはいったいなんなんだろう。

その後、幸いなことに?米坂線の現地に行く機会がない。ぼくの心のなかでは今も9600が力強く走り回っている。
そう、さよならの向こう側で。

[ 2020/04/19 23:30 ] [ 編集 ]

あなたとわたし


大木 茂さま

いつもながら名文家の大木さん、沁み入りました。

年を重ねるという事は残念ながら別れを重ねる事でもあり、「いかに別れるか」についてちゃんと考えなければと。それは鉄道に限らず。
別れの相手に対する慈しみが深いほど、それは「あなたとわたし」の関係だと思うのです。つまり一対一の別れです。
サヨナラ列車の乱痴気騒ぎに押し掛ける人、多分別れの相手に対して言うほどの慈しみが無いのだろうと思うのです。
いつも大勢で何かに踊らされて自分の目で見ず、最後はおい感動しに行かなきゃソンソン、みたいな。

まあ他人の趣味嗜好をとやかく言うのも天に唾するようなものですから控えますが、やっばり別れは一対一ですよね。
そこに心の交信があって胸の中で「ありがとう。」と言えば、それは永遠になって帰って来るような気がします。
[ 2020/04/20 01:11 ] [ 編集 ]

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