
函館本線 小沢 1984年
こちら春まだ遠し。
「三つ目」はその筋では垂涎の一台だったのだろうが、
そういう微細な違いに興味がない風太郎としてはワンオブゼムとしてネガの片隅に埋もれていたのを発見。
移動もままならぬ峠道で次々とやって来るコイツらに対しアングルに苦労していたのも伺える。
ある意味、贅沢に過ぎた時間も粉雪の中。
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東南アジアで最も携帯が普及していない国と言われたミャンマーも、
一度火が付けば瞬く間にそれは拡がり、SNSは花盛りという。
当局の通信遮断も伝えられるが、絆への渇望まで断ち切る事は出来まい。
ミャンマーの軍事クーデターに抗議します。
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ご無沙汰しております。
懐かしい機関車を見まして。
741、廃車間際に秋田でひっそり運用しているのを撮りました。このお写真から10年ほどあと、90年代中頃の事です。
当時は真ん中のライトは台座だけ残ってました。
同じカマを時間も場所も越えて撮っているのは不思議な感覚です。
R28さま
思い出がある方にご覧頂いて良かったです。そうですか、晩年は秋田に行ったのですね。
この当時の函館本線の普通客レは、写真を見返すと編成の半分以上が荷物車・郵便車なんですよね。
乗客と言うより社会インフラを担っていた最後の時代と言うか。それらの鉄道輸送が消えた後にどんどんDC化、
まだ仕事のある場所に移ったのでしょう。
「三つ目の741」はやはり特別な51でしたか。車番が分かる写真で良かった。
その昔、機関車好きの友人がロングショットでも車番を判別するため、わざわざ中判カメラを買ったのを思い出しました。
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