第二大川橋梁

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   会津線  第二大川橋梁   1980年11月


言わずと知れた、SL時代の名撮影地である。

1970年代前半まで世を席巻した「SLブーム」は、「鉄道にカメラを向ける人間」を認知させる

効果はあったものの、SL終焉と共に潮が引くように線路際から人は消え、この撮影当時は、

「奇人変人」に逆戻りした感もあった。今のように撮影ガイドの類にも恵まれず、古いSL雑誌

のガイドに多くを頼った。


ここは、そんなガイドに誘われて行った場所。「目覚ガ淵」と呼ばれる絶壁をまたぐ絵になる鉄橋

だった。本当は作例写真に載っていた、この鉄橋の先、「桑原駅」周辺の鄙びた田園風景の方に食

指が動いていたのだけれど、工事中の大川ダムに沈むことになる桑原の里は、既に泥の海だった。

この鉄橋もダム工事により1980年に取り壊されたとあるから、これはその寸前の撮影ではないだろ

うか。もちろん撮った時はそんな情報は露知らず。



東北の片田舎に似合わぬ外人2人組が黙って紅葉を眺めていたのが印象的だった。この列車を見送

ったのは、その外人サンと風太郎だけである。SL時代も凄かったろうが、今だったら取り壊し情報

は溢れかえり、同じく阿鼻叫喚の撮影現場となっていたろう。


ある意味、とても幸せな「時代のすきま」だったのかも知れない。



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「風太郎の1980年田舎列車の旅」




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[ 2012/06/27 21:32 ] 昔の旅 東北の国鉄・JR | TB(0) | CM(6)

ホントに今の鉄ちゃん行動はやり難くなりましたね・・・

にわかかどうかは知りませんが、基本的なルールも守らず、自己中心な輩が多くなり過ぎましたね。
なので、有名撮影地には極力近寄らないようにはしています。

カメラもデジタルになり、ウロチョロする子供でも一眼レフを持ってきているし、(カツアゲしたろか!?)
場所取りも無法地帯か?と思わされる有様・・・

マナー違反者は何らかのペナルティーを与える様な事は出来ないものでしょうかね??
[ 2012/06/27 22:11 ] [ 編集 ]

最新鉄事情

mackさま

「鉄」の世界が、あまりにも「普通の存在」になり過ぎましたね。

普通になり過ぎればキャパシティは容易に超えますよね。

「マナー」という奴も、至極曖昧な基準の上にある訳で、

あたかも絶対の正義のように振りかざして他者への攻撃性を露わ

にするような輩は、マナー違反者以上に嫌いだったりします。

なんにしても、「マナー」が問題になるような喧噪からは静かに去っていきたい風太郎です。
[ 2012/06/27 22:54 ] [ 編集 ]

なつかしい

こんばんは。桑原から湯野上はC11を撮りに数回行ったことのある懐かしい場所です。特に大川第二は全国的に見ても極めつけと言っていい名所でした。蒸気が無くなっても風景をまた見てみたいと思って1981年に訪れたら、それらは過去の風景となっていて愕然としたことは今でも忘れられません。その後、磐越西線に通っていた時、会津鉄道となってトンネルになったこの辺りを通ると胸が締め付けられる思いがしたものです。
[ 2012/06/28 01:14 ] [ 編集 ]

撮影名所

北マトさま

こんばんは。

コメント有難うございます。

C11をここで撮られたんですか、それはもの凄く羨ましい。

只見線、会津線、日中線、会津の里を走るC11は
ローカルムード満点でこれ以上のハマり役は無かったですね。

私は小学校高学年でしたか。行けそうで行けない微妙な年齢。(笑)

それだけに口惜しさもひとしおなのです。
[ 2012/06/28 23:01 ] [ 編集 ]

こんばんは。

わたしも行きましたよ。会津線通いは、只見側より滝の原側がメインでした。
そして、その核心区間が上三寄から湯野上の区間で、大部分が水没してしまいました。
まあ、ダム計画が在ったおかげで、その付け替え道路から俯瞰が撮れた側面もありましょうが。

72年の3月改正までは客車列車の設定もありましたので、仕事の合間を見つけては、発売されたばかりのミニ周遊券片手に、夜行<ばんだい>の客となったものです。
小さな転車台の在って、寂しい終着駅であった会津滝の原が中間駅となり、架線まで張られている姿は、往時の記憶とどうしても重なりません。とても同じ場所とは思えぬのでした。
[ 2012/06/29 22:31 ] [ 編集 ]

会津線

wondergraphics さま

会津線は、実はこの時一度行ったきりです。

おっしゃる通り核心区間が水没もしくは水没前の残骸状態で、

とても次に行く気がしなかった、というのが実情です。「私鉄」になってからはなおの事。

会津線は、SLの時代が最後の華だったのでしょうね。
[ 2012/06/30 01:26 ] [ 編集 ]

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